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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ウサギとカエルと明恵さん/雑誌・芸術新潮「謎解き鳥獣戯画」

2020-07-14 21:56:52 | 読んだもの(書籍)

〇雑誌『芸術新潮』2020年7月号「特集・謎解き鳥獣戯画」 新潮社 2020.7

 本来であれば、今年7月14日から東京国立博物館で開催されていたはずの『国宝 鳥獣戯画のすべて』展に合わせて計画された特集である。展覧会は、残念ながら来年春に延期になってしまった。しかし、おかげで本特集によって、あらかじめ『鳥獣戯画』の見どころを予習しておけるのはありがたいことだと思う。

 表紙に「全巻全場面、一挙掲載!」というキャッチコピーがさりげなく配されていたので、これは買い!と意気込んだ。横の長さが5ページ弱ある折り込みページが途中にあって、その上下裏表に、甲乙丙丁の4巻の全体図が、それぞれ2段組で掲載されている。縦が3.5センチくらいの極小図版で老眼にはつらいが、とにかく「全巻全場面」の掲載はウソではない。もちろん名場面は見開きページの拡大図版でも取り上げている。

 「ここまでわかった鳥獣戯画」というタイトルで、各巻の特色や見どころを語っているのは土屋貴裕さん。甲巻は、前半(10紙まで)と後半(11紙以降)で微妙に手が違うという指摘が興味深かった。確かに前半のウサギはもっさりして着ぐるみっぽく、後半のほうが俊敏な感じがする。ただ別人かどうかはよく分からない。マンガの連載でも、だんだん絵が変わっていくことがあるし。

 乙巻については、甲巻の後半と同一の描き手ではないか。和歌集や説話集と同様、動物の「アンソロジー」を作ろうとする志向があったのではないか。作者が宮廷絵師か絵仏師かはよく分からない、など。『年中行事絵巻(摸本)』に描かれた風流傘の上に「鳥獣戯画」のサルとウサギの競べ馬の場面が、つくりものとして載っている(図版あり)というのは、超気になる!

 丙巻の前半は人物戯画、後半は動物戯画。もとは同じ紙の表裏に描かれていたものを「相剥ぎ」して継ぎ合わせたと考えられている。この巻は人物図(首引きとか)が展示されることが多い気がする。今回初めて後半の動物戯画を拡大図版でじっくり見て、すごく気に入ってしまった! 牛が引く山車のまわりで狂喜乱舞するカエルとサル、そこはかとない狂気が見えて、いいなあ。

 丁巻について、土屋さんが「丁巻をあまりディスらないで下さい」と言っているけど、のびのびとユーモラスな描線が私は大好き。「下手な人にはこれ程のスピード感では描けません」という解説に納得する。最後に「鳥獣戯画」成立の背景について、料紙が、通常絵巻に用いる紙でなく、寺院でふだん使いする紙であること、作者は「宗教界と宮廷界の画事に接し得る立場」の人物で、仁和寺に関係するのではないかという推理が、とても面白いと思った。

 関連記事として、冒頭には「小説・鳥獣戯画縁起」を冠した創作「彼女たちのやりたいこと会議」(藤野可織)。宮廷の女房たちが、自由に川に飛び込んだり、相撲をとったり、田楽をしたりする自分たちの姿を想像して絵巻を描かせる物語。でも「鳥獣戯画」のカエルやウサギの多くは、やっぱり男子だと思うなあ。

 金子信久さんの「その後のカエルとサルとウサギたち」は、作品のセレクションもよく、文章にも考えさせられた。若冲の『象と鯨図屏風』に先んずる、真正極楽寺の『仏涅槃図』には、白象と鯨がいるのか! 金子さんは若冲の『象と鯨図屏風』に楽しさや元気さよりも、深い静けさ、悲しみを感ずるという。国芳の『猫のすずみ』の解説もよい。

 高山寺の明恵上人に関する記事も充実。紀行エッセイストの宮田珠己さんの記事で、明恵さんが島を愛して、苅藻島(和歌山県)に宛てて手紙を書いたエピソードを知って、また明恵さんが好きになった。高山寺に伝わる白光神立像が、天竺の「雪山」すなわちヒマラヤ山脈を神格化したものだというのも素敵だ。伊野孝行さんのマンガによる「『夢記』ビジュアルガイド」は最高。明恵という人、実際にそばにいたら、かなり面倒臭いだろうが、時を隔てて向き合うと実に魅力的だ。早くまた高山寺に行きたい。

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さよなら、早稲田/書と絵画と工芸と(センチュリーミュージアム)

2020-07-13 21:40:25 | 行ったもの(美術館・見仏)

センチュリーミュージアム 『書と絵画と工芸と』(2020年6月8日~7月18日)

 まだ新型コロナウイルスの影響で閉まっている美術館・博物館も多いので、開催中の展覧会情報を探してネットを回遊していたら、センチュリーミュージアムにおける展示活動終了のお知らせを見つけてびっくりした。慶應義塾大学三田キャンパスに2021(令和3)年創設予定の「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」の開館に合わせ、所蔵資料全点を慶應義塾大学に寄贈することになったためだという。最終日の1週間前、たぶん最後の参観に行ってきた。

 今回は、館蔵コレクションの全てのジャンルの中から名品を選び、一堂に集めたものだという。確かにその言葉に嘘はない。冒頭は、真っ白な荼毘紙に墨色鮮やかな『賢愚経断簡(大聖武)』、『二月堂焼経』、院政期の装飾経など。古筆は『荒木切』(古今集)、『紹巴切』(後撰集だ!)、『石山切』(伊勢集)は、白地に花鳥の小さなモチーフを散らした目立ちすぎない料紙で、連綿とした筆跡の美しさが映える。古筆類は、趣味のよい表具も見もの。横幅のある『常知切』(和漢朗詠集)のまわりには逞しい唐獅子。『紹巴切』は上下に尾長鳥(花喰鳥?)が円を描いていた。

 墨蹟は中峰明本が2件出ていたが好きなのかなあ。1件は師の高峰原妙の頂相に賛を記したもの。おかっぱ頭のむさくるしい坊さんの肖像なのに、表具の控えめな草花文が可憐。後陽成天皇の天神名号(南無天満大自在天神)は、さすがの迫力で気持ちいい。解説を読んだら「署名はないが、筆跡から後陽成天皇の自筆疑いなきものである」とあって、確かに。

 側面に螺鈿を排した卓(机)(室町時代)や五鈷杵、羯磨、彩色木製の華鬘など、工芸品もいろいろ出ていた。面白かったのは『洋犬錫象嵌鏡箱』。円形の黒っぽい鏡箱の蓋に二匹の洋犬の姿が象嵌されている。細身で足が長く、シッポと耳も長い。滑石経は見たことがあると思った。

 上の階へ。思ったおり、ほかのお客は誰もいない。左右の壁に沿って並ぶ仏像を懐かしく眺める。素朴な平安仏が多くて好きだが、特に木造毘沙門天像の足の下で、ぺちゃんこに倒れ伏した餓鬼が見上げる視線と目が合ってしまった。かわいい。窓の外のベランダには5枚の「特青砥」。明清の宮廷に敷き詰められていたタイルで「嘉靖16年(1537)」「雍正4年(1726)」「嘉慶4年(1799)」「道光2年(1822)」「光緒2年(1876)」があることをメモしてきた。このミュージアムは、なんだか雨の日に来ることが多かったように思うのだが、この日は窓の外がよく晴れていた。

 平台ケースには古鏡の名品が並んでいて、戦国・前漢時代の素っ気ない幾何学文様の銅鏡もよいが、唐代の装飾鏡にも惹かれる。『平螺鈿背六花鏡』は、正倉院御物のような大きさを想像してきょろきょろ探したが、直径10センチほどの小型鏡。でも、実際に使われていたんだろうなあと想像される。

 最後は何度も展示室を見まわし、名残を惜しんで退出した。この美術館は2010年10月の開館で、開館当時を知っているので感慨深い。実は、ブログに記事を書いたら、学芸員の方からコメントだったかメールだったかをいただいたことがあった。それから北海道赴任時代、週末に帰京して同館に行ったら手帳を置き忘れてしまい、連絡をいただいて、慌てて取りにいったこともある。お世話になりました。

 来年、「慶應義塾ミュージアム・コモンズ」が開館したら必ず見に行くけど、現在のセンチュリーミュージアム4階に飾られていた巨大な鉄製如来頭部(新羅時代)や5階の仏像の数々に再会できたら、感無量だろうなあ。それまで、しばらくのお別れ。

 10年間、ありがとうございました。

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朝鮮時代の怪談とスキャンダル/「慵斎叢話」(野崎充彦)

2020-07-11 22:30:03 | 読んだもの(書籍)

〇野崎充彦『「慵斎叢話」:15世紀朝鮮奇譚の世界』(集英社新書) 集英社 2020.6

 日本かアジアの古い説話集が読みたくて、探していたら本書が目についたので、知らないタイトルだったが買ってみた。『慵斎叢話』の作者である成俔(せいけん/ソンヒョン、1439-1504、号・慵斎)は朝鮮王朝前期のひと。宮中の士大夫の交遊や歴史・文学論、巷の奇譚・笑い話などを記録した随筆『慵斎叢話』全10巻を残している。本書はその中から、特に「極めて人間臭い話題」を選んだもの。僧侶、女性、士大夫など、いくつかのカテゴリーに整理して紹介されている。

 興味深かったのは、初めて知った「パンス」の存在。僧形の盲人で、占卜、祈祷、呪詛などに携わったという。集団で活動していた記録も残されている(日本の座頭や検校みたいだ)。政争に利用されたり、好色の逸話を残す者もいる。著者によれば「中国にはない」と主張する韓国人学者もいるが、中国の文献にも盲人の占卜者の存在は確認されるという。

 好色ネタは、破戒僧、将軍、大官、人妻、寡婦、いろいろある。専門職として官庁に置かれた医女が、のちには妓生と同様、着飾って宴席に侍るようになったという歴史も初めて知った。燕山君の時代から深刻化し、幾度か是正が図られたが朝鮮時代末期まで解決しなかったそうだ。私は朝鮮史の知識がほとんどないのだが、燕山君(1476-1506、第10代)が困った国王であることは把握した。妖婦・張緑水との物語は、最近の映画にもなっているらしい。これと双璧をなす朝鮮時代のセックス・スキャンダルは、から王族まで数々の男性と関係を持った於宇同という女性である。

 しかし、こうした妖婦の逸話が好奇心旺盛な士大夫の随筆に残されていても別に驚かないが、著者が傍証として何度も『朝鮮王朝実録』を引用していることに驚いた。『実録』には、え、そんなことまで?と目を疑うようなスキャンダル記事も含まれているらしい。いつか読んでみたい。

 女性を近づけようとしなかった斉安君の「韜晦」人生も興味深かった。こちらは随筆『稗官雑記』などでふくらんだ伝説を、著者は『実録』など史書の記述によって正している。

 著者は最後に作者・成俔の家系や閲歴を紹介し、「林羅山(1583-1657)との共通性に触れておきたい」と語る。羅山には意外なほど怪異譚に関する著作が多いという。儒者(学者)の怪談好き、実はあるあるパターンなのだ。成俔は母親と母方の親戚の影響で怪異譚に親しみ、自らの神秘体験も書き残している。清の大学者・紀昀(きいん)先生も思い出すではないか。林羅山には『狐媚鈔』という著作があるのか。森鴎外も連想に浮かんだ。

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少年たちの夏/中華ドラマ『隠秘的角落』

2020-07-10 23:58:13 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『隠秘的角落』全12集(愛奇藝、2020)

 ネットの評判があまりに高いので見てみたら、現代劇を得意としない私もあっという間に引き込まれてしまった。少年少女を主人公にした犯罪サスペンス。たぶん今年の中国ドラマNo.1だと思う。まだこの作品を見ていない人は、以下の文章【ネタバレあり】など読まずに、とにかく作品を見て、驚き、怯え、震えてほしい。

 2005年夏、中国南部の(広東省らしい)のんびりした港町。少年宮で数学教師をつとめる張東昇は、妻の徐静を愛していたが、妻の心は離れ、妻の両親からは離婚を急かされていた。聞き分けのよい婿を演じる張東昇は、妻の両親を山登り観光に誘い、崖下に突き落として殺害する。

 同じ町に住む中学一年生(13歳)の朱朝陽は、数学が得意で成績はよいが内向的な男子。両親は離婚して母親と二人暮らしだった。その朝陽の前に、夏休み前の最後の日、幼い頃の友人・厳良が現れる。厳良は、父親が事件を起こして刑務所に入って以来、福利院(児童保護施設)で暮らしていたのだが、親友だという10歳の少女・普普を連れて脱走してきた。普普の弟は難病に苦しんでおり、手術には30万元の大金が必要だという。気晴らしに山に遊びに行った三人が撮影した記念写真(動画)には、背景に張東昇の殺人シーンが映っていた。

 朝陽は警察に届け出ようとするが、施設を脱走中の厳良と普普は警察を嫌がる。そして、殺人犯が少年宮の数学教師であることを知った三人は、普普の弟の手術代30万元を張東昇からゆすり取ろうとする。

 さて、朝陽の父親は別の女性と再婚し、幼い娘・晶晶と暮らしていた。ときどき朝陽を気にかけてはいるものの、比較にならないほどの愛情を晶晶に注いでいた。寂しい気持ちをうまく表現できない朝陽。正義感の強い普普は、紛れ込んだ少年宮で出会った晶晶を問いつめて反省を迫る。その様子を発見して慌てる朝陽。激昂した晶晶は、二人を脅かそうと窓枠によじ登り、足を滑らせて転落死する。誰にも言えない秘密を背負ってしまった朝陽と普普。

 晶晶の母親は、娘の死に関して朝陽の関与を疑う。しかし父親はそれを否定し、朝陽への愛情を思い出し、父と息子は久しぶりに心の通った時間を持つ。厳良は父親の所在を知っているはずの警察官・陳冠声を訪ねる。厳良の父親は、刑務所を出たあと、精神を病んで病院で暮らしていた。陳冠声は、厳良の保護観察人となることを決意する。一方、張東昇は、最初の殺人を隠蔽するための殺人を次々に重ね、次第に追いつめられて、少年たちとの距離を縮めていく。

 結末は、張東昇の死によって訪れた平和な新学期の始まり。陳冠声の家に迎え取られた厳良は「俺は勉強して警察官になりたい」と語って、陳おじさんを喜ばせる。朝陽は以前のとおり、母親の自慢の息子に戻って学校に向かう。朝陽のもとには普普からの手紙。普普は「少年宮の事件を私は誰にも言わない。でもいつか勇気を出して話すべき」と告げる。そして朝陽が、警察官の葉おじさんを伴って、晶晶の転落事件の現場検証をしているシーンで全編が終わる。

 私は初めこのシーンを見たとき、朝陽が「晶晶の転落現場にいた」という秘密を周囲に打ち明ける結末だと思った。殺人犯の張東昇は、少年たちに「お前たちも俺と同じように生きろ」という呪いをかけていく。張東昇が、一見さわやかな好青年なのに、実は若禿げでカツラ愛用者という、本筋にあまり関係のない設定をされているのは、「秘密」(嘘)を持つことの形象化ではないかと思った。朝陽が人に言えない「秘密」を持ち続ける限り、彼は張東昇のようになってしまう危うさを持ち続ける。だから、秘密を告白することでその呪いを解いたのだと思った。しかし、いろいろな考察・感想を読んでいると、真逆の解釈もあることが分かった。ドラマにおける晶晶転落事件の真相は、よく分からないのである。

 このドラマは、少年が父親に出会う物語でもある。厳良は実の父親に失望を味わうが、陳おじさんという新しい父親に出会う。朝陽は、実の父親の愛情を取り戻すが、その父は朝陽をかばって張東昇に殺される。父親を失った朝陽を守るのは、やはり警察官の葉おじさん。射殺された張東昇の姿を朝陽に見せないように、朝陽の顔を覆って連れ去るときの断固とした足取りに父性を感じた。このとき、朝陽の白いシャツが張東昇の返り血を点々と浴びている演出が残酷で美しかった。葉おじさんは、朝陽の同級生の父親でもあるのだ。これからも葉おじさんが傍にいてくれたら、朝陽は決して張東昇のようにはならないだろう。少年たちに比べると、普普の結末は漠然としていて、ただの狂言まわしのように感じられた。

 朱朝陽を演じた栄梓杉くん、実は『那年花開月正圓』の小杜明礼や『軍師聯盟』の小司馬師でも見ていた。これからの活躍が楽しみ。葉おじさんの蘆芳生は初めて現代劇で見たが、自然な演技でよかった。張東昇役の秦昊は、終始微笑みを浮かべ、礼儀正しく理性的な態度を崩さないのだが、ひとりになってカツラを外したときの別人のように陰険な表情がなんとも言えなかった。ドラマの陰惨さとは裏腹に映像は本当に美しい。伝統的な街並みと普及し始めたデジタル機器の共存、十分に豊かで、まだどこかのんびりしていた「あの頃」の生活感が画面に満ち満ちていて、外国人の私がいうのもおかしいが、懐かしい。

 ドラマがあまりにも面白かったので、いまネットで原作小説『壊小孩』を探し出して、読み始めている。私の中国語力で長編小説は無理と思うが、時間がかかってもいいから読んでみたい。もっと現代中国文学の翻訳を出してほしいなあ。日本の小説は、たくさん中国語に訳されているのに!

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写経と拓本が眼福/三井家が伝えた名品・優品:第1部(三井記念美術館)

2020-07-09 21:49:43 | 行ったもの(美術館・見仏)

三井記念美術館 開館15周年記念特別展『三井家が伝えた名品・優品』第1部:東洋の古美術(2020年7月1日~7月29日)

 同館所蔵の三井家伝来の美術品から最高の作品を選んで展示する開館15周年記念特別展。第1部は東洋の古美術品、第2部は日本の古美術品が予定されている。ちなみに、このあとに控えていた特別展『ほとけの里 奈良・飛鳥の仏教美術』(9月12日~11月8日)が中止になってしまったのは大変くやしい。入館前は検温と手指の消毒に加えて、名前(姓のみ)と電話番号を申告する体制(任意)になっていた。

 展示は茶道具から。『古銅龍耳花入』(明時代)『青磁筒花入』(南宋時代)など、見覚えのある名品が並ぶ。特に小さな香合三種の、変化のある並びが楽しかった。深紅の『堆朱梅香合』、緑・黄・紫の色合いが異国的な『交趾金花鳥香合』、素朴な絵付けとコロンとした姿がかわいい『宋胡録柿香合』。

 書跡・絵画の部屋に入ると、いきなり敦煌写経で驚いた。驚く必要はなくて、むかしの三井文庫別館の時代は、写経や拓本の展示が主だったような気がする(一、二回しか行ったことはないが)。絵画、梁楷の『六祖破経図』は大好き。マンガみたいな横顔、顔や手足をとらえる柔らかな描線と、カクカクした直線で単純化された身体など、『鳥獣人物戯画』の墨線を思い浮かべて、比較しながら眺める。

 『刺繍十六羅漢図』(明代)を16面まとめて見ることができたのも面白かった。沈南蘋筆『花鳥動物画』も伝来の11幅をまとめて。以前、6幅までは見たことがあるのだが、全て一括で見ることができる機会は嬉しい。「沈南蘋の描く猫は(他の動物も)どこか可愛らしさに欠ける」というのは、以前も気になった解説。まあ確かに…鳥はともかく哺乳類はあまり可愛くない。

 次の展示室は、拓本ばかり20件ほど。顔真卿の『争坐位稿』(宋拓)が素晴らしくて、しばらく前を動けなかった。中国の石刻文字資料としては最古のものといわれる石鼓文(戦国時代)の拓本は「先鋒本」「中権本」「後勁本」(いずれも宋拓)の三種が出ていた。どこかで見たことのある字面だと思ったら、岩波書店刊行の『漱石全集』の装丁に用いられているのか! 王羲之の『蘭亭序』(開皇本、宋拓)あり、虞世南、欧陽詢、褚遂良も揃っていて、好きな者にはたまらない贅沢である。

 最後は陶磁器、工芸。呉須赤絵が何点かあって、明快な色彩、形式にとらわれない自由な絵柄が魅力的。リストによれば、このあたりは室町三井家の旧蔵。第1室で、私がいいなあと思った香合三種も室町三井家である。一方、拓本コレクションは新町三井家旧蔵。同じ三井家でも、好みや得意分野があるように思った。

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墨書さまざま/祈りの造形(五島美術館)

2020-07-05 23:27:51 | 行ったもの(美術館・見仏)

五島美術館 開館60周年記念名品展III『祈りの造形-古写経・墨跡・古版本-』(2020年6月27日~8月2日)

 東京の美術館も少しずつ再開し始めた。今年2020年は「開館60周年」をうたっている美術館が複数ある。大和文華館、泉屋博古館、そして五島美術館だ。五島美術館では、通年で60周年を祝う企画を立てていたが、4~5月の名品展I『筆跡の雅び』、5~6月の名品展II『絵画の彩り』は新型コロナの影響で中止になり、この第3部からスタートすることになった。

 門を入ると、建物の前に机を出してスタッフの方が座っていて、検温を求められた。チケット売り場はビニールで防御がされていた、マスクはもちろん必須。しかしまだお客さんは少なくて、先客は1名、私が帰るときに入れ代わりに1名、姿を見ただけで、スタッフの数のほうが多くて申し訳ないような気がした。

 展示室1は古写経と墨跡が主。壁面はほぼ墨書ばかりの渋い展示室だ。ちょっと華やかなのは『過去現在絵因果経』(鎌倉時代)。益田鈍翁旧蔵の巻子のほかに、断簡(松永家本)が3件、壁に掛かっていた。それぞれ表具が違っていてきれい。「尼蓮禅河水浴図」は苦行を捨てた釈尊が尼蓮禅河(にれんぜんが)で沐浴し、天女に岸に上げてもらうところ。その後、村娘から乳粥の供養を受ける図も描かれている。「樹下坐禅図」は名前のとおり。「伎楽供養菩薩図」は菩薩が城門を入ろうとするところ、木の陰に悪鬼がいて様子をうかがっており、その悪鬼の息子が父親の腕を引いて悪だくみを思いとどまらせようとしているのだという。人間くさくて、笑ってしまった。

 紺紙金字阿弥陀経や二月堂焼経などもあったが、黄蘗(きはだ)染めの紙に墨書のスタンダードな古経が、いちばん見飽きないな、と思うようになった。

 それから「法隆寺一切経」という存在を初めて知ったが、平安末期に書写された一切経で、一部は既存の古経を活用しているそうだ。平安末期の法隆寺なんて世間に忘れられた存在かと思っていたので、そんな大プロジェクトが遂行されていたことに驚いた。

 墨蹟は中国僧と来朝僧、日本僧が混じっていて、誰が日本人だかよく分からないが、そもそもそんな区別も無意味なんだろうなと思いながら、縦に並んだ漢字のリズムと美しさを味わう。写経生の個性を殺したストイックな美に比べると、かなり自由で融通無碍で、名僧それぞれの人柄を感じさせる。

 第2室は古鏡と漆芸。光琳の佐野渡図硯箱が見られて、嬉しかった。

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変わらない主人公・変わる敵役/中華ドラマ『将夜』

2020-07-03 22:53:24 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『将夜』全60集(騰訊視頻、2018)

 新型コロナの影響で新作ドラマのリリースが停滞していることもあって、気になっていた旧作から。架空世界を舞台にしたファンタジー古装劇である。唐国、燕国、西陵、大河など各国が覇を競う世界。唐国の辺境の一兵士として育った寧缺(陳飛宇)は、都にある人材育成機関・書院の入学試験を受けることを許され、侍女の桑桑を伴って上京する。

 寧缺には敵討ちの宿願があった。狙うのは、かつて林将軍府を襲って寧缺の父母の命を奪った夏侯。唐国皇后の兄でもあり、北の国境を守護する大将軍である。孤児になった寧缺は、やはり夏侯の軍勢に襲われた人々の生き残り、赤子の桑桑を拾って、二人で生き抜いてきた。

 都に着いた寧缺は無事に書院に入学し、書院二層楼の選抜試験にも合格して十三番目の席次を得て「書院十三先生」と呼ばれるようになる。それぞれ特異な能力を持つ十二人の兄弟子・姉弟子と、書院の主である夫子に可愛がられる。また、符道大師・顔瑟に素質を見込まれ、神符術を伝授される。さらに皇帝の特務を請け負う侠客・朝小樹と意気投合して、朝小樹を幇主とする魚龍幇の人々にも助けられる。聡明な名君・唐国皇帝の知遇を得、公主の李漁(先代皇后の娘)からも好意を寄せられる。

 もちろん寧缺を邪魔者と見なす敵もちょこちょこ出てくるが、全体としては、仲間や師匠、支援者がどんどん増えていくので、ちょっとご都合主義ではないかと苦笑してしまった。寧缺のぶっきらぼうで傲岸不遜な性格は、幼い頃からひとりで(桑桑と二人で)生き抜いてきたことを思えば納得もでき、初めは魅力も感じたが、ドラマの中盤、終盤になっても、全く性格が変わらないのはどうなんだろう。若者を主人公にする場合、成長や変化が目に見えるドラマのほうが私は好きだ。

 それでいうと、むしろ敵役の劉慶(孫祖君)のほうが面白かった。燕国の第二皇子で、地位、美貌、才能全てを持ち、昊天を奉じる「光明の子」と呼ばれていたが、書院二層楼の選抜試験で寧缺に敗れ、のち、再び寧缺と争って決定的に敗北し、修行者としての能力を全て失う。彼を気づかう恋人を振り捨て、乞食となって流浪し、たどりついた知守観で、邪悪な方法で強大な能力を手に入れる。いけすかないセレブのイケメン皇子ぶりから、薄汚れた乞食姿、悪のラスボスと、メイクも衣装も別人のように変わるのが面白くて、劉慶を主人公にしたほうがよかったのに、と思った。

 桑桑は「少爺」寧缺のために働くことを喜びとしている幼い侍女だが、寧缺が書院の仲間たちとともに北の荒野へ派遣されて留守の間、西陵の光明大神官に気に入られ、不思議な能力を授けられ、光明大神官の後継者に指名されてしまう。さらに、彼女こそ諸国の伝説にささやかれる「冥王の子」であるというネタバレを途中で読んでしまったのだが、本編では、そこまで話が進まなかった。本編のあとに続く「将夜2」で初めて明らかになるらしい。

 本編は、寧缺が夏侯との死闘を制し、両親の仇をとるところで終わる。戦闘シーンの撮り方は突き抜けていて、古装劇というより、特撮ものみたいだった。まあ夏侯を演じた胡軍がカッコよかったのでよしとする。しかし、いろいろな伏線が置き去りになっているので、「将夜2」が気になるといえば気になる。寧缺の性格も、ここからようやく変わり始めるのだろうか?

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2020年6月関西旅行:奈良国立博物館・なら仏像館

2020-07-02 22:22:36 | 行ったもの(美術館・見仏)

奈良国立博物館・なら仏像館 名品展『珠玉の仏たち』(2020年6月2日~)

 奈良博は仏像館と青銅器館だけが開館中だった。仏像館は、最近、ぱっとメインホールに入ることができなくて、館内を半周しなければならないのが面倒臭い。と思ったら、第1室に見慣れない十一面観音菩薩立像(平安時代)がいらっしゃった。左手を垂らし、右手に水瓶を持つ。動きの少ないストンとした立ち姿が古風な印象。大智寺ってどこのお寺だろう?と考えながら巡路を進み、第6室(メインルーム)に出て、あたりを見回す。

 奥の中央に、浄土寺の巨大な阿弥陀如来立像は変わらず。その手前は、左に元興寺の薬師如来立像、右に法明寺の吉祥天立像、そして手前中央に同館所蔵の如来立像が重厚で南都らしい四角形をつくっていて、とてもよい。この部屋で珍しいと思ったのは、泉屋博古館所蔵の阿弥陀如来坐像。温和な丸顔だが、いわゆる定朝様よりもキリッとした印象。お会いしたことがあるだろうか。

 それから、見たことのあるような、ないような文殊菩薩騎獅像(鎌倉時代)がいらして、「文殊菩薩騎獅像(京都・大智寺所蔵)のX線CTスキャン調査」というリーフレットが置かれていた。大智寺は、木津川市木津雲村にあり、2019年秋から始まった本堂改修に際して、文殊菩薩騎獅像と十一面観音菩薩立像を奈良博でお預かりしているのだという。文殊菩薩は、安倍文殊院の像に近いという。ああ、なるほど確かに。像内納入品が見つかったことは、「日々是古仏愛好」(旧:神奈川仏教文化研究所)の特選情報のページで見ていたことを、あとで思い出した。

 メインルームの左右のうち、片側(二月堂本尊光背があるほう)には観音像が集結。ウェストが細く、衣文が華やかな十一面観音は元興寺のもの。新薬師寺の十一面観音は板光背を負う。横に広い平たい顔の観音菩薩像(万願寺旧蔵)など、どれも個性豊か。反対側は、以前、天野山金剛寺の降三世明王がいらしたところ。今も黒い背景が残っていて、秋篠寺の梵天立像と救脱菩薩立像が並ぶかたちになっていた。悪くない。

 メインルームでは、複数の警備員や係員の方が、無言でソーシャルディスタンス注意のプレートを掲げていた。また、普段は仏像から仏像へ自由に歩き回れるのだが、お客さんが交錯しないよう、きちんと巡路が設けられていた。会話を控えることが推奨されているので、館内が静かで見仏に集中できるのは嬉しい。ずっとこのままでもいいくらいだ。

 ちなみに通り道の興福寺の境内も、見事に人がいなくて驚いた。前日の京都は、だいぶ人出が戻っていたが、奈良はまだまだ。30年くらい前の奈良は、こんなふうだったなあ、と記憶を探る。東金堂の壁も文字が新しくなっていたので、記録写真。

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