〇野崎充彦『「慵斎叢話」:15世紀朝鮮奇譚の世界』(集英社新書) 集英社 2020.6
日本かアジアの古い説話集が読みたくて、探していたら本書が目についたので、知らないタイトルだったが買ってみた。『慵斎叢話』の作者である成俔(せいけん/ソンヒョン、1439-1504、号・慵斎)は朝鮮王朝前期のひと。宮中の士大夫の交遊や歴史・文学論、巷の奇譚・笑い話などを記録した随筆『慵斎叢話』全10巻を残している。本書はその中から、特に「極めて人間臭い話題」を選んだもの。僧侶、女性、士大夫など、いくつかのカテゴリーに整理して紹介されている。
興味深かったのは、初めて知った「パンス」の存在。僧形の盲人で、占卜、祈祷、呪詛などに携わったという。集団で活動していた記録も残されている(日本の座頭や検校みたいだ)。政争に利用されたり、好色の逸話を残す者もいる。著者によれば「中国にはない」と主張する韓国人学者もいるが、中国の文献にも盲人の占卜者の存在は確認されるという。
好色ネタは、破戒僧、将軍、大官、人妻、寡婦、いろいろある。専門職として官庁に置かれた医女が、のちには妓生と同様、着飾って宴席に侍るようになったという歴史も初めて知った。燕山君の時代から深刻化し、幾度か是正が図られたが朝鮮時代末期まで解決しなかったそうだ。私は朝鮮史の知識がほとんどないのだが、燕山君(1476-1506、第10代)が困った国王であることは把握した。妖婦・張緑水との物語は、最近の映画にもなっているらしい。これと双璧をなす朝鮮時代のセックス・スキャンダルは、から王族まで数々の男性と関係を持った於宇同という女性である。
しかし、こうした妖婦の逸話が好奇心旺盛な士大夫の随筆に残されていても別に驚かないが、著者が傍証として何度も『朝鮮王朝実録』を引用していることに驚いた。『実録』には、え、そんなことまで?と目を疑うようなスキャンダル記事も含まれているらしい。いつか読んでみたい。
女性を近づけようとしなかった斉安君の「韜晦」人生も興味深かった。こちらは随筆『稗官雑記』などでふくらんだ伝説を、著者は『実録』など史書の記述によって正している。
著者は最後に作者・成俔の家系や閲歴を紹介し、「林羅山(1583-1657)との共通性に触れておきたい」と語る。羅山には意外なほど怪異譚に関する著作が多いという。儒者(学者)の怪談好き、実はあるあるパターンなのだ。成俔は母親と母方の親戚の影響で怪異譚に親しみ、自らの神秘体験も書き残している。清の大学者・紀昀(きいん)先生も思い出すではないか。林羅山には『狐媚鈔』という著作があるのか。森鴎外も連想に浮かんだ。