○菅野完『日本会議の研究』(扶桑社新書) 扶桑社 2016.4
最近の政治状況をネットで追いかけていると「あのひとは日本会議の…」という話をよく聞く。議員、もしくは有識者(政府の諮問委員会メンバーなど)で、憲法に関して、あるいは教育、家族・男女共同参画政策に関して、あまり私は共感を抱けない人たちの磁場だと感じている。本書は、マスコミがほとんど取り上げない不思議な保守団体「日本会議」の実態を、歴史的な淵源までさかのぼって追及したものである。いま「保守団体」と書いたが、本書の冒頭で「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは明らかに違う」と著者が断言していることは付記しておこう。
「日本会議」(1997年設立)は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の二団体が合併し、「日本青年協議会」が事務局として参画することで成立した。このうち「日本を守る会」は1970年代、宗教団体の集まりとしてスタートし、1979年、元号法制化を成功させた。一方、同時期の「靖国神社国家護持法制定運動」は失敗に終わった。この運動を担った「英霊にこたえる会」も、現在の日本会議の有力メンバーである。
前述の「日本青年協議会」は、70年安保の時代に「生長の家学生運動」を母体とする「全国学協」の社会人組織として発足するが、全国学協から除名処分を受け、自前の学生運動組織「反憲法学生委員会全国連合」を結成する。この団体がすさまじい。「改憲」ではなく「反憲」、現行憲法を徹底的に否定することをテーゼとしているのだ。改憲よりも憲法解釈の変更こそが重要であるという、目のまわるようなプロパガンダパンフレットが、本書に例示されている。安倍政権の解釈改憲政策の淵源がここにあるというのは、十分考えられることだと思う。
ただし、宗教団体「生長の家」は2015年現在、政治とのかかわりを一切断っている。にもかかわらず、創始者・谷口雅春が説いたウルトラナショナリズム路線を堅持する人々が生き残っているのだ。著者は、安倍政権のまわりを取り囲む「生長の家」→「日本青年協議会」関係者を、具体的にひとりずつ特定していく。そして、今なお(谷口雅春亡き後)彼らの精神的支柱となっているカリスマ的存在を探し求め、安東巌という名前にたどりつく。安東は1939年生まれ。60年代、長崎大学において左翼全学連を自治会選挙で排除する「学園正常化運動」に名を残している。
ここで本書には思わぬ名前が登場した。のちに右翼団体「一水会」代表となる鈴木邦男さんである。鈴木さんは、生長の家の信者で、母校の早稲田大学で武闘派として活躍し、左翼学生の全学ストを解除してしまう。この功績によって、生長の家学生運動のヒーローとなるが、安東の罠にはめられ、教団から排斥される。本書によればこの経緯は「身元厳秘」を条件にある人物が語ったものだという。現代日本にも、こんなすごい権力闘争があったのかと驚いた。しかも登場人物は学生だし。まるで時代劇の宮廷闘争みたいである。
そして著者の需要な指摘。安東は、長崎大学の学園正常化運動において「対左翼」の勝利のしかたを獲得する。気分に流される一般大衆に依拠していては勝てない。運動を強固に組織化しなければならない。その認識から「日本会議」はストレートにつながっている。デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった、ある意味「民主的な市民運動」を愚直にやり続けてきた結果、改憲の悲願達成に手をかけるところまできたのである。これが本当だとすれば、歴史の皮肉といえる。
しかし本当に日本会議って、そんなに強固な団体なのだろうか。政治・宗教あるいは地縁など、およそあらゆる中間集団から縁の薄い人生を送ってきた自分には、どうも壮大な法螺話を聞いているような気がしてならない。それから、最近の「保守」というより「左翼嫌い」のおじいちゃんたちの出発点が、60-70年代の学生運動にあるのだとしたら、まあ分かるような気がした。若い頃に受けたトラウマは消えないんだろうなあ。
最近の政治状況をネットで追いかけていると「あのひとは日本会議の…」という話をよく聞く。議員、もしくは有識者(政府の諮問委員会メンバーなど)で、憲法に関して、あるいは教育、家族・男女共同参画政策に関して、あまり私は共感を抱けない人たちの磁場だと感じている。本書は、マスコミがほとんど取り上げない不思議な保守団体「日本会議」の実態を、歴史的な淵源までさかのぼって追及したものである。いま「保守団体」と書いたが、本書の冒頭で「日本会議周辺は、これまでの保守や右翼とは明らかに違う」と著者が断言していることは付記しておこう。
「日本会議」(1997年設立)は「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の二団体が合併し、「日本青年協議会」が事務局として参画することで成立した。このうち「日本を守る会」は1970年代、宗教団体の集まりとしてスタートし、1979年、元号法制化を成功させた。一方、同時期の「靖国神社国家護持法制定運動」は失敗に終わった。この運動を担った「英霊にこたえる会」も、現在の日本会議の有力メンバーである。
前述の「日本青年協議会」は、70年安保の時代に「生長の家学生運動」を母体とする「全国学協」の社会人組織として発足するが、全国学協から除名処分を受け、自前の学生運動組織「反憲法学生委員会全国連合」を結成する。この団体がすさまじい。「改憲」ではなく「反憲」、現行憲法を徹底的に否定することをテーゼとしているのだ。改憲よりも憲法解釈の変更こそが重要であるという、目のまわるようなプロパガンダパンフレットが、本書に例示されている。安倍政権の解釈改憲政策の淵源がここにあるというのは、十分考えられることだと思う。
ただし、宗教団体「生長の家」は2015年現在、政治とのかかわりを一切断っている。にもかかわらず、創始者・谷口雅春が説いたウルトラナショナリズム路線を堅持する人々が生き残っているのだ。著者は、安倍政権のまわりを取り囲む「生長の家」→「日本青年協議会」関係者を、具体的にひとりずつ特定していく。そして、今なお(谷口雅春亡き後)彼らの精神的支柱となっているカリスマ的存在を探し求め、安東巌という名前にたどりつく。安東は1939年生まれ。60年代、長崎大学において左翼全学連を自治会選挙で排除する「学園正常化運動」に名を残している。
ここで本書には思わぬ名前が登場した。のちに右翼団体「一水会」代表となる鈴木邦男さんである。鈴木さんは、生長の家の信者で、母校の早稲田大学で武闘派として活躍し、左翼学生の全学ストを解除してしまう。この功績によって、生長の家学生運動のヒーローとなるが、安東の罠にはめられ、教団から排斥される。本書によればこの経緯は「身元厳秘」を条件にある人物が語ったものだという。現代日本にも、こんなすごい権力闘争があったのかと驚いた。しかも登場人物は学生だし。まるで時代劇の宮廷闘争みたいである。
そして著者の需要な指摘。安東は、長崎大学の学園正常化運動において「対左翼」の勝利のしかたを獲得する。気分に流される一般大衆に依拠していては勝てない。運動を強固に組織化しなければならない。その認識から「日本会議」はストレートにつながっている。デモ・陳情・署名・抗議集会・勉強会といった、ある意味「民主的な市民運動」を愚直にやり続けてきた結果、改憲の悲願達成に手をかけるところまできたのである。これが本当だとすれば、歴史の皮肉といえる。
しかし本当に日本会議って、そんなに強固な団体なのだろうか。政治・宗教あるいは地縁など、およそあらゆる中間集団から縁の薄い人生を送ってきた自分には、どうも壮大な法螺話を聞いているような気がしてならない。それから、最近の「保守」というより「左翼嫌い」のおじいちゃんたちの出発点が、60-70年代の学生運動にあるのだとしたら、まあ分かるような気がした。若い頃に受けたトラウマは消えないんだろうなあ。