〇陳凱歌監督『さらば、わが愛/覇王別姫』(Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下)
映画『国宝』ブームの影響か否か知らないが、『さらば、わが愛/覇王別姫』の再上映があると聞いて、慌ててチケットを取って見て来た。私は1994年の日本初上映、2007年の特集上映「中国映画の全貌」でも見ているので三度目になる。同じ映画を三度も劇場で見たことは、この作品しかない。
冒頭、無人の劇場(体育館みたいな無機質な空間)に、項羽と虞姫の扮装をした二人が稽古のために入ってくる。照明係の老人(たぶん)の声が「四人組がいなくなって、ずいぶんよくなった」と語りかけ、これが文化大革命終結後の場面であることを伝える。それから、物語は過去へ。
1924年の北京、女郎の私生児である小豆子(字幕では小豆)は、母親によって京劇の劇団に預けられる。実質、棄てられたと言ってよい。おそらく生きる術のない女児は妓楼に売られ、男児は劇団に入ることで、なんとか命をつないだのだと思う。周りのいじめや厳しい修行から小豆子を守ってくれたのは兄貴分の石頭。二人は助け合いながら育っていく。
私は、この少年時代の物語がとても好きなのだ。劇団を率いる関師傅は、旧時代人らしい鬼師匠だが、芸を磨き、観客の歓心を得ることしか、少年たちに生きる道がないことをよく知っている。また深く京劇を愛し、京劇隆盛の時代に生まれ合わせたことを感謝しろ、と少年たちに言い聞かせる。身体的な鍛錬には妥協を許さない一方で、覇王とは誰か、なぜ覇王が敗れたか、という芝居の背景や解釈をきちんと言葉で教える姿もよい。関師傅は「全ての人には命(運命)がある。それに逆らってはいけない」という哲学を持っている。そういったあれこれを踏まえて、少年たちが声を揃えて「垓下歌」を練習する場面がとても好き。
成長した二人、小豆子は程蝶衣(女役)、石頭は段小楼(男役)を名乗り、京劇の人気コンビとなる。蝶衣は、単なる共演者を超えた愛情を小楼に抱いていたが、小楼は舞台は舞台、私生活は私生活と割り切って、妓楼の売れっ子・菊仙を落とそうとする。小楼を気に入り、押しかけ女房になってしまう菊仙。嫉妬する蝶衣はあてつけのため、演劇評論家にして没落貴族の袁世卿に近づく。
折しも1937年、日本軍が北京に侵入。蝶衣は日本軍の宴席に招かれ「牡丹亭」を披露することになるが、将校の青木は蝶衣を丁重に扱って返してくれた。戦後、日本軍が撤退すると、国民党政府は、利敵行為を働いた疑いで蝶衣を逮捕。小楼や袁世卿らは「日本軍に脅迫されてやったこと」と弁護するが、蝶衣は法廷でそれを否定してしまう。劇場に乱入した国民党軍との小競り合いで流産した菊仙は、蝶衣が小楼から離れることを願い、小楼にも芝居を忘れることを強要する。阿片に溺れる蝶衣。1949年、共産党中国の成立によって、時代は再び転換を迎える。
小楼と菊仙の献身によって、ようやく蝶衣は阿片から立ち直り、小楼とともに再び舞台に立つが、共産主義に心酔する新世代の若者たちの反応は二人を困惑させた。その頃、かつて二人が拾って劇団に招き入れた赤子の小四は、共産主義青年の急先鋒になっていた。1966年、文化大革命が始まり、旧貴族の袁世卿は糾弾の標的になる。次いで、長年、京劇劇団の元締めとして二人とつきあいの深かった那老板が、自己保身のため、小楼と蝶衣を告発する。紅衛兵に縛り上げられ、お互いに過去の汚点を暴き合い、罵ることしかできない小楼と蝶衣、そして菊仙。三人は命だけは助かったが、菊仙は首を吊って自殺してしまう。
何年後か、おそらく小楼は還暦を超え、蝶衣もそれに近い年齢だろう。二人だけの「覇王別姫」の舞台で、蝶衣は覇王の腰から抜いた剣を自分の首筋に当てる。それは、少年時代に芝居の褒美として賜り、巡り巡って手元に残った本物の剣。
実はディティールは忘れていたことが多くて、物語に引き込まれた。初見のときは中国の近代史に不案内だったので、何が起きているのか分からなくて困惑したことを覚えている。逆に2回目は、少し歴史が分かるようになっていたので、政治的な激動に注目し過ぎてしまったように思う。今回は、小楼、蝶衣、菊仙の三人の関係性が強く印象に残った。ぶつかり合い、嫉妬し、反目しながら、支え合ってきた三人。しかし政治的な極限状況は、彼らの絆さえぶった切ってしまう。競って罵り合う小楼、蝶衣の、舞台上の煌めきとは別人の醜悪さ。信頼していた夫に「お前は淫売だ」と罵られた菊仙の、勝ち気な顔に影を差す絶望。鞏俐、好きじゃないけど巧いわ。時代に関係なく、人間の本質ってこういうものかもしれない、という諦め。そして関師傅の「命(運命)に逆らってはいけない」という哲学を思い出す。いろいろな読み解き方のできる映画である。