見もの・読みもの日記

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一人で死ぬということ/子の無い人生(酒井順子)

2016-06-17 23:57:16 | 読んだもの(書籍)
○酒井順子『子の無い人生』 角川書店 2016.2

 ベストセラーになった『負け犬の遠吠え』は2003年刊行。今、「負け犬」の条件が「30代以上・未婚・子ナシ」だったことに少し驚いている。2016年現在、そんな女性は世の中にあふれている。40代になると、さすがに「負け犬」感が醸し出されてくるが、30代・未婚・子ナシで、自分を負け犬だと思っている女性は少ないのではないか。13年で、それだけ日本社会の晩婚化と少子化が進んだということだろう。

 『負け犬の遠吠え』刊行当時の著者は30代後半。こんなエッセイを書いてるけど、そのうち電撃結婚して、セレブ奥様文化人に変身するんじゃないかしら(美人の噂だし)、と意地悪な読者である私は思っていた。しかし、その後の著者は「負け犬」のまま、順調に年を重ねているらしい。そして、40代になった頃から、女の人生を左右するのは「結婚しているか、いないか」ではなく、子供がいるかいないか」なのだと悟る。

 著者がそのことを実感したのは母親を看取ったときだという。これにはかなり共感した。私はまだ親を看取っていないが、その可能性が現実味を帯びてくるにつれ、いみじくも著者が書いているとおり「親が死んだ時のために、子供は存在する」ということが真実であると理解できるようになってきた。では子ナシ族の場合は? 著者は小さな姪に自分の遺体や遺品を始末する責任を負わせなければいけないのか、と気づいて愕然とする。私の場合、甥も姪もいないので、弟より長生きすれば、負担をかける係累がいないのは幸いかもしれない。あとは公共サービスに任せたい。

 この点では、沖縄の「トートーメー」問題のルポが面白かった。門中(中国でいう宗族)を重視する沖縄では、先祖代々の位牌札をひとまとめにしたトートーメ―を長男が継承する。しかし離婚して出戻った女性は実家のトートーメ―に入れないので一人立て位牌となる。これは長いこと置いておくと、家に悪いことが起きるとして嫌われる。また、沖縄には一族みんなが入る門中墓というものがあるが、これも独身女性は入れないのだそうだ。

 気持ちいいほど思想が明確で、独身女性差別を怒るより前に笑ってしまった。まあ家族を基本単位とする封建社会ってこんなものだろう。でも、抜け道というか、セイフティネットがあったりしないのかな。沖縄は、儒教文化の影響が強いというけれど、中国や韓国の葬制や墓制はどうなっているんだろう。

 京都の常寂光寺には、市川房枝さん揮毫の「女の碑」があり、第二次世界大戦で多くの若い男性が亡くなった結果、独身で生きることを強いられた女性たちの共同墓の役割も果たしてきたという。その次の世代の独身女性のシンボルとして、著者があげているのは土井たか子さん。バリバリ働く女は「仕事と結婚した」と称して(あるいは見られて)いた時代。けれど、著者は、自分の世代は先輩たちとちがって、なんとなく独身でなんとなく子ナシが増えてしまったことを自覚している。昔の家族制度を理想とする保守派には、罵倒・糾弾されそうだが、私はそれより「どんな人でも、一人で安心して死ぬ時代」に、ゆっくり推移していってほしいと思う。

 また著者は、最近(独身・子ナシで)「仕事しかできない女性」は「本当に優秀な女性」と目されなくなってきた、と指摘する。「離婚・子あり」は評価されるが、「既婚・子ナシ」は一人前に見られないという観察も鋭い。「これからは『出世のために子を産む』という女性が増えてくると思います」と、著者は勇気ある発言もしている。特に、その傾向が顕著なのは政治の世界で、野田聖子さんが出産にこだわったのも「保守派の政治家としての責任」が根底にあったという話、それから新聞報道が、女性閣僚には必ず子供について記載する(男性閣僚にはナシ)という指摘は、興味深いがあまり共感できるものではなかった。

 なお、「未婚・子ナシ」より「既婚・子ナシ」のほうがつらい(生きにくい)のではないか、というのはあまり考えたことがなかった。晩婚だと何も言われないけど、若い頃に結婚して子ナシを続けると、事情はさまざまでも「負け感」があるのかもしれない。後半に「源氏物語」の紫の上の話が出て来て、時代を超えて普遍的な「子ナシ」女性の苦悩を描いた紫式部ってすごいなあとあらためて思った。
コメント
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