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見もの・読みもの日記

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伴大納言絵巻は下巻/江戸絵画の華やぎ(出光美術館)

2016-06-20 22:51:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 開館50周年記念展『美の祝典III-江戸絵画の華やぎ』(2016年6月17日~7月18日)

 開館50周年記念展の第三部。出光美術館の江戸絵画と聞いて、私が最初にイメージしたのは浮世絵だった。冒頭には、歌麿、北斎などの華麗な肉筆浮世絵が並ぶ。北斎の『春秋二美人図』は、現実離れしたスタイルのよさ(小顔・長身)で、左右にふくらませた髪形、女性らしさを強調する裾広がりのシルエットなど「萌えキャラ」要素がたっぷりで、見とれた。

 続いて、桃山~江戸初期の屏風。『祇園祭礼図屏風』(慶長期初め)は祇園祭を描いた最古の作品。画面を左右に横断する烏丸通。斜交いに交差するのが、三条、四条、五条通という解説を読んで、なるほどと思う。美々しい母衣を背負った武者行列がまるでカーニバル。『南蛮屏風』(桃山時代)は、往来を歩いているのが南蛮人ばかりで、日本人がほとんど描かれていないのが面白い。異様に背の高い、てるてる坊主みたいな伴天連坊主の姿もある。二条城の描かれた『洛中洛外図屏風』(江戸初期)は、人物が小さく動きが少ないので、牧歌的というか童画的。

 第2室に進むと、ぱあっと華やかで賑やかな『江戸名所図屏風』だ! やや寸詰まりではあるけれど、個性的で表情のはっきりした人々が、肩をぶつけあうようにびっしり描き込まれている。黒田日出男先生の『江戸名所図屏風を読む』によれば、下がり藤の家紋をつけた船に注目するのだった。船上の男の視線の先の武家屋敷が向井将監邸だな、というところまでは思い出したが、「若衆歌舞伎」や「浅草三十三間堂」などの注目ポイントはすっかり忘れていた。いま、自分の読書メモと図録を見比べている。

 さて、『伴大納言絵巻』下巻に進もう。短い詞書に続いて、京の下町。舎人が役人たちに連行されていく。なすすべもなく見送る妻。隣家の出納夫婦も様子をうかがっている。物語の展開として上手いと思うのは、怪しまれて引っ立てられていくのが、伴大納言家の出納ではなく、舎人のほうであること。人々に妄言をふりまくのはけしからん、というお咎めを受けたのだろうと思うが、なぜか舎人の証言が真実と認められ、逆に伴大納言に逮捕状が下る。武装した検非違使庁の役人たちが集結し、大納言邸に向かう。兜の鍬形や鎧の鋲(?)が金色に輝いている。ねじり棒のような長い杖(鉾)をかついでいるのは放免だろう。人を乗せた馬が二頭、お尻を読者に向けている。この画家は、馬や人物の「後姿を描く」ことが、よほど好きだったに違いない。

 場面転換すると、ひとり悄然と逮捕の知らせをひとり聞く老家司。続いて、大納言邸の中で、嘆き悲しむ女たち。この、集団→孤→集団という緩急のつけかたも上手い。下巻は、紅葉した木々などの自然描写も、効果的な場面転換に使われている。最後は、八葉車(車輪が大きいなあ)に乗せられ、連行されていく伴大納言。その表情は見えない。車のまわりを囲んだ人々は、たぶん上中下巻を通じて随一というくらい、悪い人相に描かれている。これで、めでたしめでたしなのか、どうなのか。いや、制作者の後白河院と同時代の人々は、こののち伴義男が強力な怨霊になったことを知っているのだから、八葉車の中の伴大納言は憤怒の表情なのかもしれない。

 会場後半は琳派を中心に。光琳、宗達、抱一、其一。酒井抱一の『紅白梅図屏風』はいいなあ。銀地の六曲一双。右隻「紅梅」、左隻「白梅」を直行する角度で置いてあった。特に「白梅」の、身をよじりながら画面の奥に逃げていくような曲線は、女性そのもののように色っぽい。

 抱一の『風神雷神図屏風』二曲一双は、立ち位置によって印象が変わるのが面白くて、作品の前を何度も行ったり来たりしてみた。私は雷神寄りから眺めた状態が好き。『八ッ橋図屏風』もそんなふうに歩きながら楽しんだ。もしかすると、尾形乾山の絵変わり皿四枚を色紙のように立てて、四台の展示ケースに並べたのも、屏風のように楽しんでくださいという遊びではないかと思った。また、使用しない展示ケースに風神雷神の和紙の切り絵を貼って、間接照明として使っていたのも面白かった。

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