○泉屋博古館分館 住友春翠生誕150年記念特別展『バロン住友の美的生活-美の夢は終わらない。』第2部「数寄者住友春翠-和の美を愉しむ」(前期:2016年6月4日~7月3日)
住友春翠(15代当主友純、1865-1926)の生誕150年を記念する特別展。第1部『バロン住友春翠-邸宅美術館の夢』は見逃してしまったが、第2部は春翠の蒐集した美術品が展示されるので、いそいそと行ってきた。私は京都の泉屋博古館のコレクションが、とても好きなのである。
会場には、第1部『邸宅美術館の夢』の名残なのだろうか、春翠の邸宅に関する資料もたくさん展示されていて興味深かった。大阪・茶臼山に構えた本邸は、今の大阪市立美術館正面の急階段の下のあたりにあった。今も慶沢園という日本庭園が残っている。あそこか!と思ったが、実は階段下には下りたことがない。須磨の海岸に面した別邸は、瀟洒なビクトリアン・コロニアル様式で、精密なパノラマ模型が展示されていた。驚いたのは、寝室に黒田清輝の『昔がたり』、その隣りの化粧室(パウダールーム)に『朝妝(ちょうしょう)』が飾られていたこと。どちらも1945年6月5日の神戸大空襲で焼失してしまうのか~。
さらに驚いたのは、英国王子コンノート公(ビクトリア女王の三男)が大正7年(1918)に須磨別邸を訪れたときの映像が、イギリスの帝国戦争博物館(IWM)で見つかっており、会場で上映されている。画面を横切る住友春翠の姿もある! 当初、展覧会のタイトルが「バロン住友」ってカッコつけすぎだと思ったが、このフィルムの「The Prince with Baron Sumitomo ...」なんとかから思いついたのなら許してもいい。フィルムには、腰蓑をつけて地引網を引く人々も映っていて、日本人ってこんな格好をしていたんだ、と興味深かった。
美術品では、木島桜谷(このしまおうこく)の『柳桜図屏風』と『燕子花図屏風』が目を引いた。特に前者が好きだ。輝く金地の六曲一双。右隻はふんわりと芽吹いた柳。左隻は遠近二本の桜が描かれ、両者がなんとなく重なっている。自然と「やなぎさくらをこきまぜて」と古歌をつぶやきたくなる。調べたら、漱石が「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評したことがある画家だそうだ。そうかな? 芸術的な主張は希薄だが、生活の中において気持ちのよい絵だと思う。
椿椿山の『玉堂富貴・遊蝶・藻魚図』三幅対も春翠のコレクションであったか。私が椿椿山という名前を初めて覚えた作品でもある。宮川香山は、有名な「高浮彫」の作品ではなくて、小さな犬張子の香合や中国磁器写しがコレクションされていた。板谷波山の『葆光彩磁珍果文花瓶』は、よく見ると豊かな葡萄・枇杷・桃の間に鳳凰・羊・魚がそれぞれペアが描かれていて、吉祥文尽くしなのに上品でうるさくない。茶道具は全体に渋好みだった。小井戸茶碗「銘 筑波山」は、春翠がつけた銘だが、なぜこの名前にしたのかよく分からなかった。
なお、伊藤若冲『海棠目白図』は後期(7/5-)展示。私が見ているとき、おじさんに案内されたおばさん数人が「若冲はないの?後期なの?また来なくちゃ」と声高にしゃべっていた。今や巷には、こういう若冲ファンがいるのかと妙に感心。私も後期も行くつもりである。
住友春翠(15代当主友純、1865-1926)の生誕150年を記念する特別展。第1部『バロン住友春翠-邸宅美術館の夢』は見逃してしまったが、第2部は春翠の蒐集した美術品が展示されるので、いそいそと行ってきた。私は京都の泉屋博古館のコレクションが、とても好きなのである。
会場には、第1部『邸宅美術館の夢』の名残なのだろうか、春翠の邸宅に関する資料もたくさん展示されていて興味深かった。大阪・茶臼山に構えた本邸は、今の大阪市立美術館正面の急階段の下のあたりにあった。今も慶沢園という日本庭園が残っている。あそこか!と思ったが、実は階段下には下りたことがない。須磨の海岸に面した別邸は、瀟洒なビクトリアン・コロニアル様式で、精密なパノラマ模型が展示されていた。驚いたのは、寝室に黒田清輝の『昔がたり』、その隣りの化粧室(パウダールーム)に『朝妝(ちょうしょう)』が飾られていたこと。どちらも1945年6月5日の神戸大空襲で焼失してしまうのか~。
さらに驚いたのは、英国王子コンノート公(ビクトリア女王の三男)が大正7年(1918)に須磨別邸を訪れたときの映像が、イギリスの帝国戦争博物館(IWM)で見つかっており、会場で上映されている。画面を横切る住友春翠の姿もある! 当初、展覧会のタイトルが「バロン住友」ってカッコつけすぎだと思ったが、このフィルムの「The Prince with Baron Sumitomo ...」なんとかから思いついたのなら許してもいい。フィルムには、腰蓑をつけて地引網を引く人々も映っていて、日本人ってこんな格好をしていたんだ、と興味深かった。
美術品では、木島桜谷(このしまおうこく)の『柳桜図屏風』と『燕子花図屏風』が目を引いた。特に前者が好きだ。輝く金地の六曲一双。右隻はふんわりと芽吹いた柳。左隻は遠近二本の桜が描かれ、両者がなんとなく重なっている。自然と「やなぎさくらをこきまぜて」と古歌をつぶやきたくなる。調べたら、漱石が「屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と酷評したことがある画家だそうだ。そうかな? 芸術的な主張は希薄だが、生活の中において気持ちのよい絵だと思う。
椿椿山の『玉堂富貴・遊蝶・藻魚図』三幅対も春翠のコレクションであったか。私が椿椿山という名前を初めて覚えた作品でもある。宮川香山は、有名な「高浮彫」の作品ではなくて、小さな犬張子の香合や中国磁器写しがコレクションされていた。板谷波山の『葆光彩磁珍果文花瓶』は、よく見ると豊かな葡萄・枇杷・桃の間に鳳凰・羊・魚がそれぞれペアが描かれていて、吉祥文尽くしなのに上品でうるさくない。茶道具は全体に渋好みだった。小井戸茶碗「銘 筑波山」は、春翠がつけた銘だが、なぜこの名前にしたのかよく分からなかった。
なお、伊藤若冲『海棠目白図』は後期(7/5-)展示。私が見ているとき、おじさんに案内されたおばさん数人が「若冲はないの?後期なの?また来なくちゃ」と声高にしゃべっていた。今や巷には、こういう若冲ファンがいるのかと妙に感心。私も後期も行くつもりである。