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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

西洋絵画の礎/原田直次郎展(埼玉県立近代美術館)

2016-03-28 23:24:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
埼玉県立近代美術館 企画展『原田直次郎展-西洋画は益々奨励すべし』(2016年2月11日~3月27日)

 週末は近代絵画の展覧会を三つ見て来た。まず、日曜日に駆け込みで行ったこの展覧会から。幕末生まれで日本近代洋画の礎を築いた原田直次郎(1863-1899)の回顧展である。原田の名前は、一般にどのくらい知られているのだろう。私は、2006年、国立近代美術館の『揺らぐ近代-日本画と洋画のはざまに』で、たぶん初めて『騎龍観音』を見て、原田の名前を覚えた。それから、2009年に津和野の鴎外記念館に行ったら、たまたま『鴎外と画家・原田直次郎』という特別展をやっていて、明治の文豪・森鴎外-ドイツ留学時代の友人・原田直次郎-騎龍観音という作品が、ひとつにつながったのである。

 原田は、幕末の遣仏使節団や岩倉遣欧使節団に随行した父を持ち、幼い頃からフランス語を学び、ミュンヘン美術アカデミーに留学し、イタリアやパリを経由して帰国した。なお、東京大学総合図書館の鴎外文庫(鴎外旧蔵図書)に鉛筆で「Naojiro Harada」のサインのあるマックス・シャスラー著『美術批評史』が入っているという。おお、初耳!(図録に写真図版あり)

 1887(明治20)年に原田が帰国した頃、日本は急速な欧化の反動から国粋主義の風潮が強まり、美術界は西洋絵画の排斥に傾いていた。1889(明治22)年、岡倉天心の主導の下に開校した日本美術学校には西洋画科は設置されなかった。ううむ、確かに日本美術の保護は大事だけど、極端だなあ。そこで原田は私塾・鍾美館を本郷に開くなどして、西洋絵画の普及、後進の育成に励むが、病に侵され、36歳で早世する。

 本展には、原田のほか、同時代の画家たちの作品も多数集められていて、「日本近代初期の洋画」というジャンルが、なぜか好きでたまらない私には、とても楽しいものだった。高橋由一『江の島図』(東博)や安藤仲太郎『日本の寺の内部』(神奈川近美)など近県の美術館が所蔵する作品は、見たことがあると分かったが、松岡寿の『ピエトロ・ミカの服装の男』や『凱旋門』(岡山県美)は初見かもしれない。こういう機会があってよかった。原田と同じ頃にミュンヘン美術アカデミーに学んだ画家の作品を見るのも面白かった。

 原田の『靴屋の親父』は、藝大美術館でよく見る。そのほかにも彼は、魅力的な人物画・肖像画をたくさん残している。信越放送株式会社(!)所蔵の『神父』は暗闇に浮かび上がる横顔、白い髯の表現が見事。藝大所蔵の禿頭の西洋人を描いた『老人』には、同じモデルを描いた習作が他にもあることを知った。島津久光、三条実美、毛利敬親の肖像も描いているが、なんとなく寸詰まりである。これが現実の日本人のプロポーションなのだが、西洋人を描くことを学んで来た原田には難しかったのではないかと考える。

 風景画の小品や水彩画も好ましく、鴎外「文づかひ」挿絵のペン画も味わいがあってよい。しかし代表作『騎龍観音』が写真パネルだけだったのは残念。そのかわり、同じくらいインパクトのある『素戔嗚尊八岐大蛇退治画稿』が出ていたのはよかった。キャンパスを破って顔を出す犬が、だまし絵ふうに描かれている。私はこれ、京都国立博物館の『大出雲展』で見たのだった。若い晩年の作『花』は、陶器の花瓶に生けられた牡丹の花が、暗闇を背景につややかになまめかしく光っている図。怖いような美しい作品だった。

 埼玉での会期最終日に慌てて見に行ったが、このあと、神奈川(葉山)、岡山、島根にも巡回する。なお、図録は論考が豊富で、読みごたえがあって面白い。鍵岡正謹氏の「《騎龍観音》巡り」には、留学時代の原田に、彼の子を産んだドイツ女性の愛妾があったこと(鴎外「独逸日記」に記載あり)が語られている。「舞姫」は鴎外ひとりの物語ではないということか。
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