見もの・読みもの日記

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2016年3月@関西:大阪「三津寺仏像群」特別公開

2016-03-13 23:46:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
○七宝山三津寺(大阪市中央区) 特別公開(2016年3月10日~15日)

 週末、思い立って関西で遊んできた。目的は東大寺の修二会で、あとはいくつか展覧会をまわるつもりだったが、ちょうど大阪入りしていた友人から「なんばの三津寺が特別公開中!」という情報メールを携帯に貰ったので、行ってみた。三津寺(みつでら)は真言宗御室派の寺院。今年1月、心斎橋の大丸をさがして御堂筋を歩いていたときに通りかかって、こんな町中に大きなお寺があるんだな、と驚いたことを記憶している。御堂筋側には城壁のような建物(実は庫裏)が建っていて、中を窺い知れないが、入口は御堂筋から東に折れた三ツ寺筋に面している。


 
 南面する本堂で受付をし、詳細な解説の載ったコピー冊子をいただいた(良心的なことに拝観料は100円!コピー代にもならないんじゃないかと心配する)。その解説によると、まず本堂の手前の「余間」に(1)木造聖観音菩薩坐像、(2)木造男神及二眷属象・厨子入、(3)木造明王像・厨子入。

 横長の本堂に左端から入る。左厨子・中央厨子・右厨子は、それぞれ3件の仏像を収める。左は(4)木造愛染明王坐像、(5)木造薬師如来立像・日光・月光菩薩像、(6)木造不動明王立像。中央は(7)木造地蔵菩薩立像、(8)木造十一面観音立像、(9)木造毘沙門天立像。右は(10)木造大日如来坐像、(11)木造弘法大師坐像、(12)木造弥勒菩薩坐像。
 
 それぞれの仏像の脇には、名称と簡単な解説が添えられていたが、制作年代が書かれていなかった(冊子には記載あり)ので、推測しながら眺める。(5)日光・月光と(11)弘法大師像は江戸モノだなと推測。古そうだと思ったのは、中央厨子の三体。いずれも黒い。(7)地蔵菩薩は右手に金の宝珠を掲げ、堂々とした厚い胸に華やかな瓔珞を飾る。下半身の衣文にY字状の流れが見られ、古い感じがする。(8)十一面観音は迷ったが、渦巻文をひとつ発見して平安仏と判断。(9)毘沙門天は右手に宝塔を捧げる。体躯に比べて頭部が大きすぎて、ややバランスが悪い。彫りの深い鎧をまとう。袖や裾はあまり横に広がらず、体に密着している。右の(10)智拳印の大日如来は体が薄く、やや表情が硬いが好感が持てる。(12)弥勒菩薩はなかなか美しく、膝の上に宝塔(五輪塔?)を抱えている。

 この日は14時半から学芸員による解説が予定されていた。まあ時間が合わなければ聞けなくてもいいかと思っていたら、お客が多かったので、14時頃から、急遽、臨時の解説をしてくれることになり、本堂の厨子の前に座って、大阪市教育委員会の鈴木さんという男性の方のお話を聞いた。まず、このお堂が1800年代(文化年間)に建てられたものだというお話にびっくり。大阪って、何度も火災・戦災に遭っているのに、焼けなかった建物もあるんだなあ。

 いちばん古い仏像は、やはり(7)地蔵菩薩で10世紀後半の作。一木造りで内刳りがされていない。次が(9)毘沙門天で11世紀後半から12世紀前半。寄木造り。この2体はケヤキ材で、あとの仏像はヒノキだという。次が(10)大日如来で12世紀後半。(12)弥勒菩薩が南北朝、(5)不動明王その他が室町時代と、全ての仏像に言及したのに、本尊の(8)十一面観音だけが出てこない。え?忘れてるんじゃ?と本気で思ったが、十一面観音はいちばん新しくて、江戸初期の作だという。「仏像に詳しい方は、衣文の渦巻を見て、平安時代だと思われたかもしれませんが」と完全に言い当てられてしまった。

 平安初期の仏像の特徴をよくとらえながら、中国・宋の影響を受けた(12)弥勒菩薩に通じる新しい様式が見られる、とのこと。ううむ、お話のあとで、もう一回近づいてみると、確かに渦巻文はやや投げやりで模倣感があるけど、新しさはよく分からなかった。貰った冊子には「目尻の上がる面長の相は、鎌倉時代の新様式」とあった。黒漆を塗って古色を呈したもので「代用檀像」であるとも。昨年、小浜で見た長田寺(田村薬師)の薬師如来も、江戸時代の仏像なのに黒く汚しをつけている、という話を聞いたように思う。江戸期の仏像、あなどれない。

 なお、本堂に入る前に見た(1)聖観音は頭部だけが平安で、体躯は江戸の後補。しかし顔面は傷みが激しくて、表情はよく分からなかった。小さな厨子に入った(2)木造男神及二眷属象は、コピー冊子に「像の名称は不明」とあったが、これ鎮宅霊符神(玄天上帝、真武大帝)だと思う。厨子裏に「七條大仏師」の銘記があるそうで、七条仏師が鎮宅霊符神(道教の神様)の像をつくっていたのだとしたら、興味深い。(3)の明王立像は私もよく分からなかった。

 本堂を出て左、庫裏の前には「前堂」という、これも細長いお堂があって「地蔵堂」「愛染堂」「弘法堂」から成り、そのほかにも弁才天、大黒天、不動明王など多数の尊像が祀られている。学芸員さんの話によると、これらの仏像と本堂内の(1)聖観音は、生玉神社に神宮寺があった頃、そこに祀られていた仏像を、廃仏毀釈の際に移設したものと見られているそうだ。それでは生玉心中の恋人たちを見て(見られて?)いた仏像たちかな、と想像してしまう。また、生玉神社は、昭和20年の空襲で焼失したそうだから、廃仏毀釈で放出されなかったら、これらの仏像も焼けていただろうというのは皮肉な話だ。

 学芸員さんが三津寺を「みってらさん」と呼んでいたのも面白かった。地元の方々には当たり前の呼び方なんだろうけど、お話を聞かなかったら知らなかった。大阪にも、奈良や京都並みに古い文化財がたくさんあって、確か、年四回公開しているというお話だったと思う。これからは大阪の情報も少しチェックして、見てまわりたい。

※大阪市:【大阪の歴史再発見】非公開の市指定文化財「三津寺仏像群」の特別公開について
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