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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2016年3月@関西:奈良・東大寺修二会

2016-03-14 22:08:09 | 行ったもの(美術館・見仏)
東大寺修二会(2016年3月12日)

 今年は修二会の前半に参拝しようと思っていたのだが、都合がつかなくて、結局後半になってしまった。しかも今年は土曜日がお水取りの12日と重なっているので、混雑を覚悟して出かけた。お松明は19時半と聞いていたので、30分前には境内に到着したが、二月堂周辺はすでに交通規制で近づけず、裏参道の講堂跡のあたりに集められた。二月堂はかなり遠いけれど、全景が見えるビューポイントではある。

 やがて時間になると、練行衆が上堂を知らせる声と鐘の音が響き、暗闇の中を大きな明るい炎が上がっていく。向かって左の回廊から舞台に上がった松明は、左端で少し静止し、やがて右端に移動する。すると次の松明が進み出て、お堂の左右に松明の火が揃う。右の松明がお堂の裏に消えて行くと、次の松明が左から現れて、また同じように並ぶ。この繰り返し。距離が遠くて、松のはぜる音や松脂の匂いが全くしないこともあって、まるで夢の中の光景のようだった。

 こんな静かなお松明は初めてだ。12日のお松明が特別静かなのだろうか。いや、私は修二会のお松明と言ったら、華やかで勇壮な14日ばかりを見てきたが、ほかの日はこういうものなのかもしれない。音もなくゆれる細長い炎のかたちは、秀吉の『富士御神火文黒黄羅紗陣羽織』の神火に似ていた。もっと俗っぽくいうと「人魂」そのものだった。修二会は、死者と対話する儀式なんだ、と強く感じた。

 お松明が終わって、交通規制が解除されてから、お堂に上がってみた。局に入って、少しでも声明を聴きたいと思ったのだが、どの部屋も「○○講」などの貼り紙がしてあって、関係者であることを示すリボンをつけていないと中に入れてもらえなかった。お水取りの日だけはこうなのかなあ。次回は必ず別の日に来よう。

 寒かったけど、湯屋の前で火が焚かれていて、暖を取ることができた。二月堂のご朱印を書いてもらったら(癖の強い字で「観音力」)日付の横に「お水取り」と書き添えてくださったので「ありがとうございます」とお礼を言ったら「年に一日だけですからね」と言ってくださった。

↓舞台に上がった松明。雰囲気だけ。


↓湯屋の前の焚火。


※私の修二会参拝記録:ブログから拾うとこんな感じ。もっと昔にも何度か行っている。
2015年3月14日 お松明のみ
2014年3月14日 聴聞(韃靼)
2011年3月4日 お松明・聴聞
2009年3月7日 聴聞(小観音出御)
2005年3月5日 お松明(実忠和尚の忌日)
2004年3月14日 聴聞(韃靼)
コメント
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