見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2016年3月@関西:山水(大和文華館)、長谷寺の名宝と十一面観音の信仰(あべのハルカス)他

2016-03-19 15:27:59 | 行ったもの(美術館・見仏)
先週の関西旅行で見て来たもの、いろいろ。

京都国立博物館 常設展(名品ギャラリー)

 絵巻の部屋では「福富草紙とおとぎ草紙絵巻」(2016年2月23日~3月21日)を展示中。重文『福富草紙』2巻ががっつり開いていて、画中詞に丁寧な現代語訳が添えられていたので、とても面白かった。神に祈願して、妙音の放屁の才を授かった高向の秀武が意外と悪人で、隣家の福富に伝授を請われると「朝顔の種を飲め」と嘘を教え、その結果、貴人の前で大失敗をした福富は「朝顔の種が下剤でさることも知らないのか」と妻に罵られる。倫理よりも知恵と才覚が大事というのが面白い。「妙音の放屁」というのは「あやつつ、にしきつつ、こがねさくさく」と聞こえるのだそうだ。画中詞の筆者は後崇光院(ごすこういん 伏見宮貞成親王、1372-1456)と特定されると解説にあり、宮様がこんな卑俗な画中詞を書いていたというのも微笑ましい。絵巻の所蔵者が妙心院塔頭の春浦院であることを初めて認識した。

 中世絵画は「山水」特集で、雪舟筆『天橋立図』がさりげなく出ていた。近世絵画が「花と鳥のパラダイス」特集なのは、MIHOミュージアムで若冲の『鳥獣花木図屏風』』を見て流れてくる私のようなお客を意識しているのかな。何といっても見ものは狩野山雪筆『雪汀水禽図屏風』!! 超現実的で、大好きな作品。左隻なんて、海(湖?)の上空に屋根と垣根が浮かんでいるように見える。長澤蘆雪筆『百鳥図屏風』も好き。蘆雪の描く鳥って、どうにも目つきが意地悪い。

 1階では「雛まつりと人形」特集。これに合わせたのか、染織の部屋で宮廷の装束を展示していたのが珍しかった。しかし直衣と束帯とか、いまいち区別が分からない。書跡は「日記・記録」の特集。歴史好きには興味深い箇所を選んで展示していたが、やっぱり地味だった。彫刻は、金剛寺の大日如来と不動明王の並びに、京都・安祥寺の大日如来坐像が来ていた。宝冠などの装飾はなく、簡素なつくり。くっきりした唇のかたちが印象的だった。

大和文華館 『山水-理想郷への旅-』(2016年2月26日~4月10日)

 会場に入ると、見渡す限り、清新な水墨山水図に囲まれていることが分かって、わくわくする。小さな坪庭の竹林も、このテーマの展覧会がいちばん似合う気がする。本展は、日本、中国・朝鮮、版画の三章に分けて山水図の魅力を紹介する展覧会。いつものように、冒頭の三つのケースには、それぞれ単独で名品が展示されている。浦上玉堂筆『澗泉松声図』は、小さな作品だが、山水の全てが描き込まれているようで、いつまで見ていても飽きない。作者不詳の『京畿遊歴画冊』は何度か見たことがある。今回は「龍門瀧」(奈良県・吉野の?)の場面が開いてあった。『大雅筆山水図屏風縮図』は、池大雅筆『山水図屏風』(原本は現在、個人蔵)を折本仕立ての木版複製にして、知人に配ったものだという。淡い色彩が美しくて、清朝の淡彩墨画を思わせる。言われなければ版画と気づかないが、日本の木版技術はほんとにハイレベルだったんだな。

 ここでメモ。狩野派の山水画は「真:馬遠、夏珪様」「行:牧谿様」「草:玉澗様」に分類されるというので、その区分を意識しながら眺める。室町の作品では、南都の僧侶の余技らしい『瀟湘八景図画帖』(鑑貞筆)が好き。江戸ものでは応挙の『四季山水図屏風(秋冬)』が、新しい風景のとらえ方を感じさせて好き。朝鮮(朝鮮前期)の『雲山図』6図(40cm×60cmくらいの小品)は、どこか童心が感じられる風景だった。

 中国絵画では、方士庶筆『山水図冊』全12図のうち10図を公開(あと2図くらい開けるスペースがあったのに…)。どれも幻想的で、不安な心理を掻き立てる魅力がある。これは「山水」なんだろうか?という疑問が脳裡をかすめるが、「数図は黄山の名勝と類似性をもつ」という指摘が添えられていた。楊晋筆『山水図冊』は12図全て公開。これは淡彩が可愛くて、心和む作品。最後に『台湾征討図巻』も久しぶりに出ていた。

あべのハルカス美術館 『長谷寺の名宝と十一面観音の信仰』(2016年2月6日~3月27日)

 大和の長谷寺は何度も参拝してるから、この展覧会はパスしてもいいか、と思っていたのだが、見て来た友人の評判がよいので、行ってみることにした。長谷寺の回廊を模したアプローチから始まる。天井には、ぽってり腰の膨らんだ大提灯(東大寺二月堂にも同じタイプのものが下がっている)の骨組みだけが下がっていた。正面には、本尊と背中合わせに祀られている裏観音像(江戸時代)。平安時代や鎌倉時代の古仏もたくさん来ていて、左手に水瓶・右手に錫杖という長谷寺式十一面観音菩薩立像が、古くから定型化していたことがよく分かった。特別ゲストで岡寺の金銅仏(如意輪観音半跏像)も。

 あの巨大なご本尊は、さすがにおいでになっていなかったが、ご本尊のパネル写真を中央にして、ふだんその左右に従っている雨宝童子立像(室町時代)と難陀龍王立像(鎌倉時代)は出開帳になっていた。眉根をよせ、顔をしかめた難陀龍王の右肩から頭部にかけては、龍が駆け上がっており、胸の前に捧げ持った盆の上にも多頭の龍のようなものが表されている。仏画・祖師像・白描の儀軌図なども、各時代の面白い作品が多数出ていた。絵巻『長谷寺縁起』も好きなのでうれしかった。大工仕事の場面では、観音だけでなく地蔵菩薩も腕をたくさん出して、仕事を手伝っていた。
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