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見もの・読みもの日記

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ソーシャルメディアはソサエティを作れるか/デジタルネイティブの時代(木村忠正)

2012-12-02 22:42:49 | 読んだもの(書籍)
○木村忠正『デジタルネイティブの時代:なぜメールをせずに「つぶやく」のか』(平凡社新書) 平凡社 2012.11

 私はブログを7年くらい続けていて、これは自分の性格によく合致した情報発信(というほどでもないけど…)スタイルだと思っている。一方、世間では、ソーシャルメディアと呼ばれる新しい情報サービスの隆盛がすさまじい。実は私もFacebook、Twitterのアカウントは取ってみたのだが、どう使えばいいのか、なかなか方針が定まらない。そこで、ソーシャルメディアについて、何か読んでみたいと思っていた。

 ただし、ソーシャルメディアが使えない(使わない)人間は要らないとか、ソーシャルメディアが万事を解決するみたいな、安っぽい煽り本は読みたくなかったので、慎重を期していた。なぜ本書を選んだのかは自分でも分からない。本選びのカンとしか言いようがないが、結果は「当たり」だったと思う。

 本書には「アラブの春はソーシャルメディア革命だったのか」という短い序章が設けられている。2011年1~2月、チュニジア、エジプトで起きた独裁政権の崩壊に際しては、Facebook、Twitter、YouTubeなどのメディアが大きな力を発揮したと言われている。しかし、メディア研究者の調査によれば、実際に人々を抗議デモに動員した最大要因は、毎週金曜にモスクで行われる集団礼拝であり、クチコミ、携帯電話、衛星テレビ、ショートメールなど多様なコミュニケーションメディアが使われていたことが分かっている。にもかかわらずFacebookやTwitterが注目されたのは、新規性と、研究者が量的データを捕らえやすかったことによる。ここに情報ネットワーク論の陥穽がある、という指摘を読んで、あ、この著者は信頼できる、と私は安堵した。

 一般に、情報ネットワークに関する議論は、新規性が高い事象に関心が向けられがちで、メディアを複合的・多元的に見る観点、あるいは新しいサービスが人々の日常生活に根づき、社会文化の一部に組み込まれていくまでの中長期的観点が弱い。そのことを自覚したうえで、いよいよ日本のデジタルネイティブへのアプローチに移る。

 デジタルネイティブとは、デジタルメディアに青少年期から本格的に接した世代のことで、およそ1980年前後生まれ以降を指す。著者と「ヴァーチャル人類学プロジェクト(VAP:Virtual Anthropology Project)」の分析によれば、第1世代(~1982年生まれ)、第2世代(1983~1987年生まれ)、第3世代(1988~90年生まれ)、第4世代(1991年生まれ~)に細分化でき、第2世代と第3世代の間に大きな変化があるという。第2世代までは、オフライン(リアル)がコミュニケーションの基盤・規範として機能しているが、それ以降は、オンラインの人間関係が、それ自体の自律性を獲得している。

 また、オンラインコミュニケーションが日本のデジタルネイティブに受容されていく過程において、強い方向づけを与えた要因として、著者は4つの特性を指摘する(それぞれ相互に深く関係している)。

(1)空気を読む圧力
(2)「親密さ」と「テンションの共有」の乖離独立→「親密さ」を持たない「テンションの共有」への志向
(3)「コミュニティ」でも「ソーシャル」でもない「コネクション」志向
(4)サイバースペースへの強い不信感、低い社会的信頼感と強い「不確実性回避」傾向

 詳しくは本書に譲るが、私は苦笑してしまった。デジタルネイティブといえども、日本社会の子なんだなあ、という当たり前のことに気づいて。著者は2004年に日本・韓国・フィンランドの大学生を対象とした比較調査を行っているが、日本では、音声通話を代表とする同期的コミュニケーションの発展は限定的で、テキストメッセージの利用頻度が高い。それは同期的メッセージの「空気の読みにくさ」が嫌われたためであろう。

 一方で、日本社会でウェブ日記が好まれるのは、それが「非侵襲的で迂遠的なコミュニケーション」であり、「空気を読めない」と思われるリスクが少ないためだという。はい、全くその通りです、と肯くしかない。

 しかし、面白いことに(困ったことに?)「空気を読む圧力」は、新しいコミュニケーションメディアを、どんどん不自由な方向に押しやっていく。音声通話に比べて非侵襲的だった筈のケータイメールも、5分以内に返信しなければならない義務感とか、テンションの共有を強いられることの困惑が肥大化していく。そこで若者世代は、「空気を読む圧力」を回避しながら、テンションを共有し、「絡む」ことのできるツイッターに利点を見出している。

 日本は、世界平均と比べて、フェイスブックの利用率が低く、ツイッターの利用率が高い。このことも、ソサエティ(主体を確立した個のつながり)よりもコネクション(多元的/流動的な個のつながり)志向が強い日本社会を照らし出しているようだ。著者はこのように現状を分析しつつ、「ソサエティ原理」の強化を、日本社会の重要な課題として提言している。メディア論のように見えて、現代社会論、日本文化論であるところが興味深かった。
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2012秋@関西見仏の旅:阿弥陀さま(大津市歴史博物館)

2012-12-02 12:58:19 | 行ったもの(美術館・見仏)
大津市歴史博物館 第59回企画展 法然上人没後800年記念・親鸞聖人没後750年記念『阿弥陀さま-極楽浄土への誓い-』(2012年10月13日~11月25日)

 最終日に駆け込み参観。大津における浄土信仰の流れ、様々な阿弥陀如来像の姿、さらには大津市内に所在する浄土宗寺院の寺宝の数々を紹介する企画展。正直にいうと、今回は見逃してもいいかなーと思っていた。理由のひとつは、担当者が率直に語っているとおり、「重要文化財や県・市指定といった指定文化財はあまり展示せず、ほとんど未指定作品」だったこと。指定のランクにこだわるわけではないが、絶対見逃せない!と駆けつけたくなるような目玉が見当たらなかった。

 それと、より大きな理由は、密教仏とか変化観音の分かりやすい面白さに比べると、阿弥陀さまって、だいたい似たり寄ったりの姿で、どこに注目したらいいのか分からない…と思っていたのだ。まあでも、せっかく関西に来たので寄っていくことにした。

 入口で「展示一覧」をもらってびっくりした。100件を超す(展示替あり)出品の所蔵寺院の所在地は、大津市、大津市…のオンパレード。すごいんだな、大津って。ただし、あとでパネルの地図を見て、関東人がイメージする大津(大津駅周辺)より、実際の大津市は、ずいぶん広域であることを確認した。

 導入部では、阿弥陀信仰(浄土教)の日本伝来、その根拠地となった比叡山、大津と浄土真宗の密接なかかわりを概観する。法然・親鸞の写実的な木像は、それぞれ小さな姿に気迫がこもっていて、魅力的だった。

 金色に輝く浄土を描いた観経変相図(当麻曼荼羅)の優品。季節がら、ちょっとクリスマスっぽいな、などと思う。そして、いよいよ大津市内の阿弥陀さまがズラリとお出まし。全て、螺髪、簡素な衣、右手を胸の前に上げ、左手を垂らした直立像、大きさも同じくらいなので、いつもなら飽きてげんなりするところだ。しかし、解説を読みながら、1体1体見比べていくと、きちんと個性を備えていることが分かってきた。ほかの作品との対照によって、仏師○○系統の作、というような推測が、それぞれに下されている。

 個人的には、行快の作風を受け継いでいるという西福寺の阿弥陀さまが好きだ。アクの強さがいいんだよなーと思ったのだが、あとで図録を読んだら「行快の持つ独特のあくの強さは感じさせません」とあった。でも他の阿弥陀さまに比べると、個性は強いと思う。上品寺の阿弥陀さまも好き。張りのある丸顔、ぽってりした唇が特徴的。「仏師善円の作風に近い」のだそうだ。しかし、仏師(工房)によって、これだけ個性があると、施主の側も、どの仏師に造仏を依頼するかは大問題だったろうな、と思った。

 別のコーナーに移動して、あれ?と思う。さきほどの一連の像とは逆に、左手を上げ(曲げ)、右手を垂らした、いわゆる「逆手の来迎印」の阿弥陀さまが特集されていた。解説に、この姿は小野市(兵庫県)・浄土寺の阿弥陀如来が著名で、入宋僧・重源のアイディアと考えられている、とあった。おお~、前々日に小野の浄土寺を初拝観したばかりの私は、この会場で、浄土寺の阿弥陀如来に対する言及にふれようとは思ってもいなかったので、奇縁を感じた。「逆手の来迎印」とは、正確には、左手を曲げて仰掌し、第一指・三指を捻じるもの。浄土寺の本尊の手のかたちを思い出そうとするが、記憶がはっきりしない…。中国・宋、朝鮮・高麗の阿弥陀図には多いというから、今度から気をつけてみよう。

 鎌倉・南北朝・室町時代の仏画もたくさん出ており、「初公開」が多いことに驚かされた。山越阿弥陀の巨大な頭部だけを描いた図(横川伝来)には笑ってしまった。こんな山越阿弥陀図もあるんだな。

 第1室で見落としそうになったのは、西教寺の阿弥陀如来に関するパネル展示。丈六(約2.5メートル)の本尊は、平安時代の飛天光背を備えている。この本尊と飛天および化仏(作風が少しずつ異なる)を臨場感豊かに、パーツごとの拡大写真を配置して見せてくれたもので、とっても面白かった。

 第2室は、大津市内の浄土宗寺院が所蔵するさまざまな宝物を紹介。ここも「初公開」多し。乗念寺の古様の聖観音立像、いいなあ。めずらしい木造達磨大師像(南北朝時代。目が大きく、肉付きがよくて若々しい。無髯)もあったが、寺院名非公開とのこと。六道絵や十六羅漢図(どちらも新知恩院)も素晴らしかった。

 最後に、ものすごいキラキラの阿弥陀三尊像があって、なんだろう、新造の仏像かしら、と思って近づいたら「浄国寺・鎌倉時代」とあって、びっくりした。つるつるの金箔を施し、頭髪も青く塗られているが、像そのものは鎌倉後期の院派の可能性があり、さらに繊細な金銅光背(金のレースみたい!)も当時のものだそうだ。

 やっぱり大津はすごい地域である。貴重な文化財をまとめて拝見することができて、大満足だが、次は、自分の足で大津市内の各寺院を、実際に訪ね歩いてみたいと思った。
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