見もの・読みもの日記

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さよなら、有難う/文学のレッスン(丸谷才一)

2012-12-10 23:14:01 | 読んだもの(書籍)
○丸谷才一、湯川豊(聞き手)『文学のレッスン』 新潮社 2010.5

 著者の丸谷才一さんは、2012年10月13日に亡くなられた。87歳。私はこのニュースをしばらく見逃していた。1週間くらい経って、ネットのどこかで「追悼・丸谷才一」という文字を見たとき、ああ、とうとう(来るべきものが)という諦めの気持ちと同時に、にわかには受け入れがたくて、その記事の載ったサイトを読まずに閉じてしまった。

 最後に読んだ丸谷さんの本は、いまブログ内検索をかけると、2009年刊行のエッセイ集だったが、私は丸谷さんの仕事が大好きで、特に1980~90年代の著作は、小説も評論も随筆も発句も歌仙も対談も、片っ端から読んできた。豊かで、朗らかで(祝祭的!)みずみずしい知性と過ごすひとときは読書の醍醐味そのもので、こういう著述家と同時代を生きていることを本当に幸せに思ってきた。

 個人的に丸谷さんを追悼するために、何を読もうか、しばらく考えていた。まだ読んでいない近刊の小説? むかし読んだ歌仙の再読? そのとき見つけたのが本書である。初出は新潮社の季刊誌「考える人」2007~2009年。編集部が差し向けたインタビューアーの湯川豊氏を相手に、丸谷さんが8つのテーマ(ジャンル)の文学論を語っている。短編小説、長編小説、伝記・自伝、歴史、批評、エッセイ、戯曲、そして、詩。

 文学の王道、「短編小説」「長編小説」の章は、お勉強としては納得できるのだが、いまひとつ面白くなかった。やっぱり私は小説が苦手らしい…。「伝記・自伝」あたりから面白くなり、「歴史」で、俄然テンションが上がってきた。この章のサブタイトルに「物語を読むように歴史を読む」とあるが、そうそう、私の幸せは、歴史家には叱られるかもしれないが、まさにこれなのだ。特に歴史家の文体を論じて、石田幹之助の『長安の春』の絢爛たる美文を引用し、ギボン『ローマ帝国史』の巧みなレトリックを論じて「論法が悪質だよ。法廷におけるペリー・メイスンみたい」と評するところを、わくわくしながら読んだ。

 「批評」について、川村二郎の「学問という円とエッセイという円、二つの円の重なった部分が批評である」という定義を紹介しつつ、小林秀雄という人はエッセイという円は大きかったけど、学問という円は小さかったんじゃないか、と評しているのも面白かった。これを敷衍して、小林秀雄だけでなく、近代日本文学の根底には「学問への軽蔑」があったのではないか、という大問題に持っていくところが、丸谷さんらしい。さらに、視野の広い文明論的批評がないとか、論争を批評だと思っているとか、耳の痛い言葉が続く。このへんは、日本の批評メディアが、活字からネット主体に移って、さらにひどい状況に陥っているような気がする。

 「芝居」の章で、阿国歌舞伎で、観客の中から山三の亡霊が出てくるのは、イエズス会演劇の影響ではないか、という下りは、以前、エッセイにも書かれていて、読んだときに、すごく興奮したことを思い出した。丸谷さんの発想には、何か知性と直観の両方を、深く揺り動かすものがあると思う。ジョージ・スタイナーの『悲劇の死』という本を引いて、悲劇においては、苦悩と歓喜が合体して見るものを高揚させる、これは他のどんな形式(小説とか詩)にはない効果である、と説明しているのも、とても納得がいった。

 最後に、聞き手の湯川豊さんと丸谷さんが、それぞれ短いあとがきを書いており、湯川さんは、丸谷さんとの対談を「奔放自在に文学の大山脈を案内してくださるのに、ぜいぜい息を切らしながらついていくばかり」と、ユーモアあふれる比喩で語っている。いや、湯川さんは、黒子(本文中には名前なし)の聞き役に徹しつつも、丸谷さんの該博な知識に、おっと目を見張るような的確な感想や質問を返していて、このひと何者?(知らなかったので)と思わせる箇所がしばしばあったことは記しておく。

 しかし、文学の大山脈の道なき道を平気で進んでいき、私たちにあっと驚く景観を何度も見せてくれた丸谷さん、読者を楽しませることを、心から楽しんでいらしたであろう著者が、もういらっしゃらない、と考えることは悲しい。インタビューアーや編集者をねぎらい、「そして最後に、いつもと同じやうに(装丁の)和田誠さん、有難う」という著者のことばを読み終えて、涙があふれてくるのを止められなかった。丸谷さん、本当にありがとう。
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