○スタンダール;野崎歓訳『赤と黒』上・下(光文社古典新訳文庫) 光文社 2007.9-12
年末休みなので、久しぶりに古典小説を読んでみた。確か中学生の頃に読んだはずだが、ほとんどあらすじを忘れていた。読み始めてすぐ、こんな小説を中学生で読もうなんて、無謀だったなあ、自分、としみじみ思った。
田舎町ヴェリエールの農民の息子ジュリヤン・ソレルは、聡明さを買われて、レナール町長の子どもたちの家庭教師に雇われ、優しく純情なレナール夫人と恋に落ちる。二人の仲が疑われるようになり、ブザンソンの神学校へと追われるが、孤高の志を持つジュリヤンは、同級生たちと馴染むことができない。やがてラ・モール侯爵の秘書に推薦されて、パリへ出る。ここでも、野心と劣等感の板ばさみになって、苦悩するジュリヤン。ラ・モール家の令嬢マチルドは、少し変わった気性の持ち主で、ジュリヤンの「風変わりさ」に惹かれていく。二人は反発しながら、激しく愛し合い、マチルドはジュリヤンの子を妊娠する。
ラ・モール侯爵からジュリヤンの身元の照会を受けたレナール夫人は、聴罪司祭に命じられたまま、ジュリヤンの罪を告発する手紙を書いてしまう。侯爵は激怒し、ジュリヤンとマチルドの結婚を取り消す。ジュリヤンはヴェリエールに赴き、レナール夫人にピストルを向ける。夫人は一命を取り留めたが、ジュリヤンは捕らえられ、裁判の末、断頭台にかけられる。
中学生って、満足な恋愛体験もないのに、というのは、ひとまず措く。当時、恋愛ドラマもマンガも、それなりに理解して楽しめていたはずだ。しかし、やっぱりこの作品は、舞台となる社会の構造が、現代日本と違いすぎる。古典を読むのは難しいなあ、と思う。エンターテインメントとして非常によく出来ていて、新しい事件が次々と起こり、登場人物は気まぐれ(?)みたいに感情をこじらせるので先が読めないし、前半のここに出てきた人物が、後半のここに出てくるか、みたいな面白さもある。
しかし、ある程度、時代背景を了解していないと分からないところも多い。たとえば、三人の息子の母でありながら処女のように純真可憐なレナール夫人の造形には、当時の女性が、どのような教育を受け、結婚し、母となるライフコースが一般的だったかの理解がほしい。
ラテン語の秀才であるジュリヤンは、田舎町で手に入るわずかな本を暗記しているだけで、それ以上の教養や、まして「世間知」に類することは、大都会に出て、社交界に入らなければ身につけられない時代だった。また、貧しい青年が出世するには、神学校を出て僧職になるのが唯一の手段だったと思われる。「野心家」ジュリヤンが、一向に政界や財界に出て行く様子もなく、貴族の子弟たちの前で、立居振舞いを軽蔑されまい、と神経質に思い悩むところなども、上記のような了解があって、はじめて納得できるものだろう。
特に時代が「1830年」、7月革命の直前に設定されていることは重要だと思う。ジュリヤンはひそかにナポレオンを崇拝し、ナポレオンの時代だったら貧しい生まれでも、軍人になることで出世できたのに、と思っている。王政復古下の聖職者の堕落、貴族階級の退廃は冷ややかに描き出されている。ただ革命前夜にしては、新しい時代への期待はあまり感じられず、むしろ偉大な世紀が過ぎ去ったあとの、退屈な「19世紀」に対する恨みつらみが述べられているように思った。
偉大な世紀として、マチルドが夢見るのは「シャルル九世やアンリ三世の時代」、西洋史に疎い私には、ぜんぜんイメージが湧かなかったのだが、16世紀なのかー。マチルドは、新しい女性のようでいて、古代の巫女みたいな性格づけもされた、面白いキャラクターである。
あと、ジャンセニスト(悲観的人間観を強調した異端的キリスト教思想)やヴォルテールについては、ちょうど読んだばかりの岡田温司『デスマスク』から引き継ぐところが大きかった。最後の、断頭台の処刑についても。


田舎町ヴェリエールの農民の息子ジュリヤン・ソレルは、聡明さを買われて、レナール町長の子どもたちの家庭教師に雇われ、優しく純情なレナール夫人と恋に落ちる。二人の仲が疑われるようになり、ブザンソンの神学校へと追われるが、孤高の志を持つジュリヤンは、同級生たちと馴染むことができない。やがてラ・モール侯爵の秘書に推薦されて、パリへ出る。ここでも、野心と劣等感の板ばさみになって、苦悩するジュリヤン。ラ・モール家の令嬢マチルドは、少し変わった気性の持ち主で、ジュリヤンの「風変わりさ」に惹かれていく。二人は反発しながら、激しく愛し合い、マチルドはジュリヤンの子を妊娠する。
ラ・モール侯爵からジュリヤンの身元の照会を受けたレナール夫人は、聴罪司祭に命じられたまま、ジュリヤンの罪を告発する手紙を書いてしまう。侯爵は激怒し、ジュリヤンとマチルドの結婚を取り消す。ジュリヤンはヴェリエールに赴き、レナール夫人にピストルを向ける。夫人は一命を取り留めたが、ジュリヤンは捕らえられ、裁判の末、断頭台にかけられる。
中学生って、満足な恋愛体験もないのに、というのは、ひとまず措く。当時、恋愛ドラマもマンガも、それなりに理解して楽しめていたはずだ。しかし、やっぱりこの作品は、舞台となる社会の構造が、現代日本と違いすぎる。古典を読むのは難しいなあ、と思う。エンターテインメントとして非常によく出来ていて、新しい事件が次々と起こり、登場人物は気まぐれ(?)みたいに感情をこじらせるので先が読めないし、前半のここに出てきた人物が、後半のここに出てくるか、みたいな面白さもある。
しかし、ある程度、時代背景を了解していないと分からないところも多い。たとえば、三人の息子の母でありながら処女のように純真可憐なレナール夫人の造形には、当時の女性が、どのような教育を受け、結婚し、母となるライフコースが一般的だったかの理解がほしい。
ラテン語の秀才であるジュリヤンは、田舎町で手に入るわずかな本を暗記しているだけで、それ以上の教養や、まして「世間知」に類することは、大都会に出て、社交界に入らなければ身につけられない時代だった。また、貧しい青年が出世するには、神学校を出て僧職になるのが唯一の手段だったと思われる。「野心家」ジュリヤンが、一向に政界や財界に出て行く様子もなく、貴族の子弟たちの前で、立居振舞いを軽蔑されまい、と神経質に思い悩むところなども、上記のような了解があって、はじめて納得できるものだろう。
特に時代が「1830年」、7月革命の直前に設定されていることは重要だと思う。ジュリヤンはひそかにナポレオンを崇拝し、ナポレオンの時代だったら貧しい生まれでも、軍人になることで出世できたのに、と思っている。王政復古下の聖職者の堕落、貴族階級の退廃は冷ややかに描き出されている。ただ革命前夜にしては、新しい時代への期待はあまり感じられず、むしろ偉大な世紀が過ぎ去ったあとの、退屈な「19世紀」に対する恨みつらみが述べられているように思った。
偉大な世紀として、マチルドが夢見るのは「シャルル九世やアンリ三世の時代」、西洋史に疎い私には、ぜんぜんイメージが湧かなかったのだが、16世紀なのかー。マチルドは、新しい女性のようでいて、古代の巫女みたいな性格づけもされた、面白いキャラクターである。
あと、ジャンセニスト(悲観的人間観を強調した異端的キリスト教思想)やヴォルテールについては、ちょうど読んだばかりの岡田温司『デスマスク』から引き継ぐところが大きかった。最後の、断頭台の処刑についても。