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見もの・読みもの日記

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物語精神の誕生/平家物語(石母田正)

2012-12-06 23:50:57 | 読んだもの(書籍)
○石母田正『平家物語』(岩波新書) 岩波書店 1957.11

 大河ドラマ『平清盛』も大詰め。ということで、何かと気になる「平家物語」についての古典的名著。あまりにも名著すぎて、読んだことがあったかどうかを忘れてしまった。実は、今回が初読かもしれない。

 というのは、目次をパラパラと見て、あれっ?と思ったことがある。歴史家の石母田さんの本だから、なんとなく歴史としての平家一門についての著書だと思っていた。ところが、そうではなくて、文学作品としての「平家物語」が主題であると知って驚き、歴史家に文学が論じられるのか?という、やや下司な構えで本書を読み始めた。

 そして、結論から言えば、非常に読み応えがあった。歴史家が書いたとか、文学者が書いたとかいうより、「平家物語」が好きで好きでたまらない、愛読者目線で描かれた評論という気がする。

 平家物語といえば、必ず言及されるのが、冒頭の「祇園精舎の鐘の声」に表された無常観。しかし、無常観や宿命観は、この時代のもっともありふれた思想であった。平家の作者の特異な点、すぐれた点は、もっと別のところにある。著者は、同時代の二人の文学者、西行と長明と対照させつつ、平家の作者は、人間が面白くて面白くてたまらない性質であったと考える。彼は「現世の人間が汚濁と醜悪にみちておれば、なおさらそれを面白いと思う人間である」。彼は「人間の営みを無意味なものとかんがえる思想とたたかっているといってもよい」。それは、ひとことで表すなら、物語精神と呼ぶべきものである。著者は「平家の作者が名文でもって書きたてている厭世思想などにだまされてはならない」と痛烈に言い切って、いかにも教科書的な、皮相な読み方を葬り去る。

 この箇所(第一章 運命について)に繰り返される「面白い」という表現を見ていると、今年の大河ドラマで主人公・清盛に「面白う生きたい」と言わせ続けた脚本の淵源は、もしかしてこれか?と疑いたくなってしまった。

 「平家物語」の第一部は清盛、第二部は義仲、第三部は義経が物語の中心に据えられているが、作中における最も重要な人物は清盛である。ここで歴史家である著者は、「史実」の清盛がどうであったかというような議論は一切せず、平家の作者が創造した清盛像の新しさに、真正面から取り組んでいる。文学評論として、すがすがしいほど王道である。

 著者は決して「平家物語」を賛嘆するばかりではない。その限界や弱点も冷静に認めている。たとえば、物語における清盛の行動の必然性が十分でないのは、「敵対者たる後白河法皇を物語として描くことができなかった」ことによるという。これについて、天皇以上に権威のある院を物語上の人物とすることを憚ったのかもしれない、という指摘は興味深かった。やっぱり近代以前にも、そういう政治的制約ってあったのかな。

 ただ、より根本的な理由として著者が挙げているのは、義仲・義経のように直接戦場で行動する人物は描けても、後白河や頼朝のように、背後にあって政治をあやつるような人間は、当時の物語文学では描くことができなかった、という点である。それを描き得るのは近代の散文文学だけであろう、と言われると、ごもっとも、と言うしかない。

 しかし、行動する人間のありさまが活写されていることは「平家物語」の大きな魅力である。著者は、さまざまな人物、さまざまな表現の具体例を、鋭い観察眼でいくつも拾い出し(義経の「すすどき」、多田行綱の「目うちしばたたいて」等)語っている。ここで取り上げられている「昔は昔、今は今」という表現が、先週のドラマで、全く別の場面に換骨奪胎して使われていたのも印象深かった。

 後半は、文学作品としての形式や誕生と伝承の問題を論ずる。もとは三巻本であったとか、年代記風の語り物『治承物語』であったとか、文学史に興味のない読者には、やや退屈な章段になるかもしれない。しかし、源平の内乱という未曾有の体験が、さまざまな階層から、新しい物語を増補したいという強い要求を呼び起こし、ついには従来の窮屈な形式を壊し、その質を変えてしまったというのは、それ自体、ロマンチックな物語であると思う。

 「からと」「ちやうと」「さらさらと」のような擬音の多用、過剰な色彩(武者の背丈も顔かたちも筋肉もなく色彩だけがある!)、王朝的なもののリバイバル、なども重要な指摘である。語り物として、耳に心地よい声調が重視されたことが、近代に至るまで、知的な散文の未発達という、日本の深刻な問題を招いたというのは、ちょっと自虐的文学史観ではないかと思ったが…。

 重盛、西光など、ドラマではすでに退場してしまった人物の描かれ方について、あらためて考えさせられる点も多く、これから映像化される清盛の最期、壇ノ浦の知盛には、ひときわ期待が高まった。
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