見もの・読みもの日記

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衆議の中世/日本神判史(清水克行)

2010-06-23 23:58:50 | 読んだもの(書籍)
○清水克行『日本神判史:盟神探湯・湯起請・鉄火起請』(中公新書) 中央公論新社 2010.5

 読み終えてから、ふとネットで検索してみたら、マンガ家・夏目房之介さんのブログがヒットし、”若旦那”と呼ばれる本書の著者が登場していた。発売されたばかりの本書であるが、「一見、何を書いてあるかわからんタイトルなので、売れ行きが悪い」のだそうだ。うわーもったいない。夏目さんは、内容を読まずに紹介を書いているが、私はちゃんと読んだ上で言おう。面白いよ、この本。

 子どもの頃、マンガ版の日本の歴史が好きで、繰り返し読んでいた(私が愛読したのは、和歌森太郎氏監修の”史上初”のマンガ版通史、1968年集英社版である)。その中で、古代の巻に、2人の男が熱湯に手を入れて正邪を争う「盟神探湯(くがたち)」の場面があった。古代人は恐ろしいことをするなあ、と思って震えながら読んだ。それから、ずーっと読み進んで、中世に至って、唐突に古代と同様に熱湯に手を入れる人々が描かれていた。その間が、何百年隔たっているのかはよく分からなかったけど、何か奇異な感じがした。こういう身体感覚に直結したエピソードは、子どもの記憶に強く残るのである。

 実は、古代の「盟神探湯(くがたち)」と室町期の「湯起請」の間には700年の空白があり、著者は両者を全くの別物と考えている。両者の間の鎌倉時代(13~14世紀)には「参籠起請」と呼ばれる神判が存在した。これは、宣誓者が一定期間、社寺に籠り、身体や家族に変調(=失)が現れたときは、宣誓者を有罪とする、という裁判である。何を以って「失」とするかは鎌倉幕府の法によって詳しく定義されていた。

 しかし、室町期に入ると、人々は参籠起請の悠長さに耐えられなくなり、「湯起請」の即決性が支持を集める(15世紀)。この時代は、まだカリスマ的な独裁者は出現しておらず、「ヨコの連帯」が大きな意味をもった時代(一揆の時代、衆議の時代)だった。そこでは、真実を明らかにすることよりも、共同体の秩序維持のほうが重大事だった。当時の湯起請は、まず無記名投票(落書起請)によって、人為的に被疑者の選抜が行われ、その結果が、湯起請によって権威づけられた。ううむ、秩序維持システムとしては、近代の裁判制度よりずっと洗練されている感じがする。しかも、記録に残る有罪無罪の確率は、ちょうど半々だという。選ばれた被疑者が無罪となった場合も、人々は神判の結果を受け入れ、それなりに共同体の秩序は保たれたらしい。

 ただし、当時の人々にとって湯起請はあくまで紛争解決手段のひとつに過ぎなかった。「中人」を立てて示談に持ち込むとか、法廷では両者の主張を足して二で割る「中分の儀」を採用するとか、為政者の権威が不安定で、「衆議」と「専制」の相克が見られた室町期であればこそ、さまざまな方法が見られた。16世紀(戦国~江戸初期)の動乱期に入ると、急速に衰退する湯起請に代わって、より過激な「鉄火起請」の短いブームが起きる。日本各地には、鉄火起請の生々しい伝承が数多く残っている。しかし、近世権力(徳川幕府)が確固たる裁判権を確立すると、あっという間に鉄火起請は姿を消してしまう。

 われわれ現代人(日本人)は、司法権力とか警察権力が、あらかじめ確固として存在する社会しか知らないので、そうしたものがないところで、犯罪や紛争をどう解決するか、何を優先するか(真犯人の追求か、共同体の秩序維持か)という問題を、平場から考えてみるのは、とても面白い読書体験だった。もしかすると、国際政治問題を考える上の思考実験にもなるような気がする。国際紛争も、真実の追求のために多大な損害を出すくらいなら、いっそ恨みっこなしの「湯起請」で解決できないものかな。
コメント
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