見もの・読みもの日記

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「知」の強さと弱さ/伊藤博文(瀧井一博)

2010-06-05 23:54:39 | 読んだもの(書籍)
○瀧井一博『伊藤博文:知の政治家』(中公新書) 中央公論新社 2010.4

 私は伊藤博文(1841-1909)が好きと公言しているのだが、同調してくる人に会ったことがない。どうしてこんなに不人気なんだろう? 2009年は伊藤の没後100周年だったが、著者の言うとおり、一向に盛り上がらなかった。

 本書は、生い立ちから幕末維新を駆け足で紹介したのち、明治の政治家・伊藤のいくつかの画期に焦点を当てて論じている。第一は、1882~83年の滞欧憲法調査。ドイツ・ウィーンでシュタインの国家学に啓発され、立憲国家構想に自信を深めて帰国する。第二は、1899年の憲法行脚。1889年の大日本国憲法発布から10年、国会開設を翌年に控え、伊藤は各地をまわって国民に、文明の民(立憲国家の国民)としての自覚を説き、啓蒙に努めた。言っていることが、非常に理念的でびっくりする。政治家は有権者の不平不満を聞くのが仕事と思っている、いまどきの有権者だったら、口あんぐりだろう。

 第四は、1900年に創設された立憲政友会に求めたもの。伊藤が起草した規約に「公益を目的として行動し、みだりに地方の利害に関わるべきでないこと」とある。志が高いなあ。そして簡潔で明快。第五、1907年の憲法改革では、まず皇室を国家の機関と位置づけると同時に、政治の実権から遠ざけることが図られた。次に「公式令」の制定によって、軍部の帷幄上奏権の制限を図った。しかし、後者は陸軍の反発を招き、これまでの帷幄上奏権を制度化した「軍令」の誕生を招く。この憲法改革に携わった有賀長雄は、のちに清国からの憲法調査団が来日したとき(へ~そんなことがあったんだ)軍令制度は「私が正しくないと思ふこと」だから、日本の制度を調べる上で注意してほしい、とわざわざ助言しているそうだ。清国の調査団がどう思ったか、興味深い。

 最後は、伊藤と東アジア政治史のかかわりを、中国、韓国それぞれに章を設けて論じる。ここは抜群に面白い。同時代にこういう汎アジア的な活躍をしている日本人政治家って、伊藤くらいじゃないのかな。伊藤は中国(清国)で戊戌の政変に遭遇するが、康有為に対しては冷淡だった。変法運動のいかがわしさ(宗教結社がかったところがあった)と危うさを見抜いていたためだと思う。しかし、梁啓超のことは「梁といふ若者は支那には惜しい魂だね」と語っている。近代主義者どうし、惹きあうものを感じたのだろう。それから伊藤は武漢まで行き、洋務派官僚の張之洞に会って意気投合している。え~初めて知ったな。こういう国境を超えた近代史の検証って、もっと一般的になってほしいと思う。

 さて、韓国である。1906年、韓国統監の伊藤は、日本人移民の促進を訴え出た新渡戸稲造に「君、朝鮮人は偉いよ。…この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない」と答えたという。むろん、この小さなエピソードをもって、伊藤を免罪することはできないのだけれど。本書は、伊藤の韓国統治の失敗原因として、資金・人材難、儒林知識人懐柔の失敗、宮廷(高宗)抱き込みの失敗、などを挙げている。私は、「知」の政治家として、自ら生涯学び続け、教育と啓蒙を原理として、近代国家をつくり上げてきた伊藤には、宗教と伝統とか、甚だしきはナショナリズムとかいう、ファナティックな情念で動く人間がいるということが、理解できなかったんじゃないかと思う。この、政治家としての決定的な弱点も含めて、私は、やっぱりこのひとは面白いと思う。
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