「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・6)

2023年04月06日 | ウマさん便り

「初めてのスコットランド…そして20年後の驚き」 

ロンドン発の夜行列車は、朝8時にグラスゴー・セントラルステーションに到着した。

すぐ、キャロラインの実家に電話した。でも誰も出ない。何度も電話したけど誰も出ないんです。少し不安になってきた。

初めてやって来たスコットランド、今夜泊まるところがなかったらどうしよう? 

駅の案内所でもらった地図を頼りに、グラスゴー大学近くの彼女の実家まで歩いて行った。グラスゴー大学の協会の脇を通り、キャロラインの実家を見つけた時はとても嬉しかった。

でもその時、2年後にぼくがこの教会で結婚式を挙げることになるなんて、もう夢にも思わなかったですけど… 

思い出します… 

初めてスコットランドの地を踏んだのは1980年夏のことでした。その2年前に東京で知り合ったグラスゴー生まれのキャロラインが故郷に帰る時、ぼくに「グラスゴーに遊びに来たら?」

で、その誘いに乗ったというわけなんです。

その時、その後、スコットランドがぼくの第二の故郷になるなんてつゆとも知らず…

当時のぼくにとって、スコットランドって、地球の裏側の、そう、ネッシーの国、ファンタジーの国でしたね。 

さて、キャロラインの実家…その玄関をノックしても返事がありません。困った。どうしよう?

仕方がないので、近辺を物見遊山で見物することにしよう。

グラスゴー大学がある広大なケルヴィングローブ公園、ウェストエンドの繁華街にある様々な店や図書館を覗き。さらに植物園のあるボタニックガーデンなど、もう、そこらじゅうを歩き回りました。初めて見る街の風景に瞠目します。時々、キャロライン宅に電話を入れますが、相変わらず誰も出ません。 

そのうち、旅の疲れ、いや時差ぼけでしょうね、ボタニックガーデンのベンチで、リュックを枕に眠り込んでしまった。かなりの時間寝ていたようで、気がつくと、なんと午後6時なんです。

「エライこっちゃ!」祈るような気持ちで、キャロライン宅に電話をします。

出た! とうとう誰かが電話に出たんです。嬉しい! 嬉しい!

「ウマ? ぼく、キャロラインの弟のフランキーです。日本から君が来ると姉から聞いてたんで、仕事を早めに終えて帰宅したところです。すぐに来て!」

このグラスゴーに、ぼくのニックネーム「ウマ」を知ってる人がいるのには驚いた。 

ドアを開けたフランキー、ニコニコとぼくの肩を抱くように家の中に入れてくれた。リビングには弟のマーティンもいた。そしてテーブルには、ビールにウィスキー、それにポテトチップスやピーナッツなどなど…、いやあ嬉しかったですね。

「キャロラインは、母や妹のエレインとリゾートに出かけていて、明日帰って来る」 

ビールで乾杯した。「ウェルカム・トゥ・スコットランド!」そのビールの美味しかったこと。もう天にも昇る心地だったですね。

日本人と会うのは初めてという彼らと、大いに飲み、話が弾み、初対面にもかかわらずすっかり打ち解けた時、フランキーが叫ぶように言った。

「今日は金曜日、パブへ行こう!」 

週末のパブは、もう立錐の余地がないほどの混みよう。

その喧騒の中、フランキーやマーティンが、ぼくを次々と友人たちに紹介する。そして「日本人と会うのは初めて」という彼らが、ぼくにビールやウィスキーをおごってくれるんです。

今夜は泊まるところがあるんだろうか?という不安なんかとっくに吹っ飛んでしまい、実に楽しい宵となりましたね。よかった。本当にホッとした。 

翌日午後、キャロラインとお母さん、それに妹のエレインが帰って来た。お母さんもエレインも、ニコニコと初対面のぼくにハグ、そして「遠い国からよく来てくれたわね」と喜んでくれた。

父親はキャロラインが17歳の時に亡くなったことは聞いていた。 

さて、その土曜日… 

キャロラインの家族が、ぼくのための歓迎パーティーを開いてくれたんです。ところが、おおぜいの人が続々とやって来たのにはびっくりした。従姉妹たち、叔母さんや叔父さんたち、フランキーやマーティンのガールフレンドたち、さらに友人たちなどなど、おおぜいの人で、もう家の中はぎっしり。その全員が「日本人と会うのは初めて」だとおっしゃる。

スコットランドから見ると、日本は、極東、つまり地球の果てにあるんですね。その地球の果てからやって来たぼくに、皆さん、とても好意的な笑顔を向けてくれました。 

そんな中、ふと、部屋の隅に、一人だけぼくに無表情の方がいるのに気がつきました。キャロラインの叔母さんのモニカです。彼女、部屋の隅っこで一人タバコを吸っていました。

で、飛行機の中で買った免税のマイルドセブンをそっくり1カートン彼女にあげました。そしたら、それまで無表情だったこのモニカ叔母さんは大喜び、途端に満面の笑みで、なんとぼくにビッグハグなんです。あとで知ったことだけど、この国はタバコが非常に高価で、当時の日本円で一箱が700円も800円もしたんですね。 

モニカ叔母さんが、初め、ぼくに対して無表情だった理由…それを知ったのは20年後のことでした。

ある日、大阪の家で、たまたま、ぼくが、懐かしいスコットランドの写真を整理していた時、わきにいたキャロラインが、あのモニカ叔母さんの写真を見つけたんです。

で、彼女、何を思ったのか、ぼくに「あの時のパーティーのこと覚えてる?」ぼくが初めてスコットランドを訪れた時の、あの歓迎パーティーのことですね。

彼女が言ったことにはびっくりしてしまった。

「実はあの時、モニカは、日本人には絶対に会わないって言ってたのよ。でも、わたしに説得されて、しぶしぶパーティーに出てきて、ウマに会ったわけ…」 

戦争中、彼女と親しかった友人がシンガポールで日本軍の捕虜になった。奇跡的に生還した彼の、その時の過酷な体験をモニカは聞いていたのね。…日本軍は捕虜に残酷だった…

ところが、あのパーティーでウマと会い、一緒に肩を組んで呑んでるうちに、日本人に対するイメージをすっかり変えたのよ。この日本人の酔っ払い、とても残酷には見えないけどねえって…

あのパーティーで、ぼくと肩を組んで呑んだモニカが、最後に大きな声で叫んだ言葉、それはいまでも覚えています。「わたし、日本へ行くわよー!」 

そしてやって来たモニカ叔母さん…

奈良・吉野の桜に目を満開、旅館の畳の部屋の布団に感激、そして、雄大な富士山に感嘆の声をあげ、修善寺温泉の露天風呂で、満天の星空の元、かつて経験したことのないお風呂に大感激するなど、日本を満喫してスコットランドに帰りました。 

そう、日本を大好きになって…


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真似をしたのはどっちだ?

2023年04月05日 | オーディオ談義

書いては消え、書いては消えていく「泡沫(うたかた)」のようなブログ記事・・。

ところが、ときどきしぶとく生き残る奴がいる(笑)。

1週間前に投稿した古典管「WE300A」の記事がそれで、今でも過去記事ランキングに登場するくらいだから珍しい存在といえる。



なにしろペアで「160万1千円」(オークション)という落札額には誰もが目を剥(む)いたろう。たかが真空管ごときに~(笑)。

もちろん、値段が高けりゃ性能もいいというわけでもないが、金額の裏打ちとなるそれだけの「熱意」には敬服するばかりで一つの推測材料にはなる。

古典管(出力管)の王者は「WE300A」(アメリカ)で決まりだ!

ところが、どっこい・・。

英国にも「負けず劣らず」の立派な代物があるんですよねえ(笑)。

6年前の記事をご記憶だろうか。

「幻の超銘球P.A.40(DA30系)」がそれ。

その内容だが「北国の真空管博士」が希少管とされる「V503(英国)」をなぜ手放されたのか、伺ってみると次のような理由だった。

「V503は今や幻の銘球ですから通常は出品しないのですが、実は幸運にも数年前V503より100倍入手が難しいといわれる上位球P.A.40を所有するに至りましたので出品した次第です。

これが英Ediswan社のP.A.40です。
 
 
この写真(省略)を見てV.503そのまんまじゃん!と思った人も多いと思います。私も初めて見た時はV.503のセレクトチューブなのでは?と思いました。仔細に現物を観察してそうではないことを確認し、いったいこれは何なのだ!と唸ってしまいました。
 
写真では判りませんが、ステムを見るとPA40bと書かれており、組み立て前にPA40専用のステムがあった事がわかります。V.503とはプレート損失、同一条件のPP時の出力以外の規格、定数、電極とバルブのサイズに至るまで全く同じです。

GECにはPX25Aに対してDA30がありますがそれと同じ関係のようです。DA30属の中では最大のプレート損失40Wを誇り、WE300Aにも匹敵する球です。目視ですがWE300Aとはプレートの縦、横、厚さのサイズが殆ど同じです。
 
WE300Aと動作例を比較してみよう。
 
   WE300A   P.A.40
Ef  5.0V      4.0V
If   1.2A      2.0A
Ep  400V      400V
Eg  -89V     -85V
Ip   50mA     50mA
 
EpMax 450V    450V
Pd    40W     40W
 
殆ど誤差の範囲といって良いくらいの動作例である!

最大定格も同じですから興味は尽きませんが、P.A.40の発表年に関する資料を発見できずどちらが先に発表されたか特定できませんでした。」

ちなみに、これが「V503」(エジソン・マツダ)。



はたして銘管「WE300A」(アメリカ)と「P.A.40」(英国)のどちらが先に作られたのか?

言い換えると「どちらが真似をしたのか?」(笑)。

ことはアメリカ管と欧州管の技術力の差にまで及んでくる。

ちなみにヨーロッパはアメリカと違って第二次世界大戦の主戦場になったので度重なる爆撃などの破壊が繰り返され随分貴重な真空管が失われてしまったのは周知のとおり。

その点、アメリカ球は「WE300B刻印」(1940年代)をはじめとして、今でも往時の銘管がまっさらの新品で出てくることがあるから戦禍を直接蒙らなかった国のメリットは計り知れない。

真空管アンプにも夢が必要だとすると、さしずめ「P.A.40」あたりは「WE300A」と並んで代表的な「手に入りにくい」真空管として有力な候補にあたるのは間違いない。

それにしても、もしオークションに出品されたらどのくらいの落札価格になることか・・。それよりも、いったいどういう音がするんだろう?

一度でいいから「WE300A」と「P.A.40」の音を聴いてみたい・・。


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美人は得なのか~「顔学」入門~

2023年04月04日 | 読書コーナー

「顔」のことを話題にする資格はサラサラないが、「人は見た目が9割」という表題の本があるように単に両親からもらっただけの「顔」のために人生の「幸せ度」が大きく左右されるのはなんとも納得がいかない話だと、昔からずっと思ってきた。

そう、自己の努力とはまったく関係ない「生まれつきの顔」のせいで~。

たとえば面接試験、他人との交際などで
人に与える印象に何がしかの影響を及ぼすのはやっぱり「顔」というのは争えない事実である。

あのMLBの「大谷選手」がアメリカでも日本でも凄い人気だが選手としての能力もさることながら、屈託のない素敵な笑顔が大いに貢献しているような気がする。


そもそも「顔」とは人間にとってどういう意味とか位置づけを持っているのだろうか。

「美人は得をするか、”顔”学入門」(集英社新書)は、そういう疑問に社会的、科学的な見地からアプローチした文字通り「”顔”学」そのものの本だった。

           

著者の「山口真美」さんは中央大学教授で「日本顔学会」の理事。「日本顔学会」なんてあることを初めて聞いたが巷には眼や耳鼻咽喉の学会があるだろうから、とても大切である「顔」の学会があってもおかしくない


そして、本書を読んで顔に対するこれまでの認識が随分改まってしまった。

結論から言えば「この社会で生きていく上で顔の美醜はそれほど問題ではない、表情の豊かさこそがはるかに重要です。」と、いうわけ。

そこで、「表情の豊かさ」とは何か、というわけで本書の読みどころは後半にある。

「第4章 第一印象は顔が決め手か」と「終章 顔を巡る、もう一つのお話~自分の顔を考える~」に著者の主張は集約されている。

表題の「美人は得をするか」の回答らしきものもこの第4章で出てくる。

読解力不足のせいもあって「隔靴掻痒」の感を免れないだろうが、せめてポイントと思しきものを抜粋しておこう。

☆ 顔の進化

目、鼻、口と言った感覚器官が集中する場所が顔と定義すれば、そもそも顔は、口から進化したといわれている。

口はエネルギーを摂取する器官であるから、身体の前にあると便利。そのため口のある方向が生物の進行方向になった。

顔はたくさんの脂肪と筋肉がからまるようにして出来上がっている。筋肉には二つの役割があって、それは表情を作ることと、食べ物を噛み砕くことにある。

☆ 表情こそが、その人の顔である

表情をあらわす顔は様々な筋肉で出来ている。長年の生活の積み重ねによって顔への筋肉のつき方は変わり、さらに歳を取れば、それが明確な皺となってあらわれる。

顔の筋肉は、その人がどんなものを食べ、どんな表情で人生を過ごしてきたかをあらわす証のようなもの。

つまり人相は柔軟に変えられるものであって、もって生まれた骨格による人相だけでその運命が決まるわけではない。

「年をとったら自分の顔に責任を持ちなさい」。


☆ よい顔、悪い顔

顔の社会的な役割とは、まず、その人が誰であるかを知るための必要な看板として、次にその人が今、どんな感情を抱えているかの情報を提供するためにある。

取り分け感情的な情報の提供は社会の中ではとても重要なメッセージ。

「よい顔」とはこの大切なメッセージを表現できる顔であり、悪い顔はその逆。

入社試験や入学試験で面接があるのは、姿かたちや表情からこうした社会的な処世術が出来ているかどうかを試している。

以上のとおりだが、世の中にはいろんな駆け引きを要するケースで心の動きを相手に悟られないために意識的に無表情を装うことが多々あると思うが、そういうときでさえ顔の筋肉の使い方がなかなか難しい(笑)。

なお、表題の
「美人は得をするか」の回答だが、本書によるとそれほど単純なものではない。そもそも美人の定義がひとくくりにできないのが難点。

もし、美人が標準的な造作の美しい顔だとすると、それは美しいだけに終わってしまい、いずれ飽きられ、忘れ去られてしまう。

したがって、その人の持つ個性的な魅力〔表情)こそが人の記憶にずっと残っていくものだが、魅力とは人それぞれで受け止め方が違ってくるので、結局、スッキリとした答えは出されていない。

最後に、謎かけをひとつ。

「防犯カメラの機能の向上で整形外科医が繁盛すると解く」 
そのこころは?

いつぞやのNHKテレビで東京で開催されたセキュリティ・システムの展示会が報道されていた。

たくさんの防犯グッズが紹介される中で取り分け印象に残ったのが「防犯カメラ」にコンピュータと連動させて人の顔と氏名を記憶させるシステムが 完成したこと。

たとえば、カメラが該当人物を部屋の入り口で認識すると「○○さん、いらっしゃいませ」と声を出して案内するシステム。

たった一つの表情でも記憶させておくと、三次元の映像で解析して”うつむき顔”でも”横顔”でも認識するというから驚く。

それが、本書によるとさらに進化していて「指名手配」の顔写真を全国の防犯カメラに連動させ、コンピュータによって自動的に犯人を割り出すというSFまがいの便利なシステムが研究途上にあるという。

したがって将来はあらゆる主要なポイントに防犯カメラを置いておくだけで「指名手配犯」が次々にキャッチされることになる。

おそらく将来は全国的に警察官の配置も様変わりすることだろう。

何せこちらが捕まえに行かなくても、相手から「飛んで火に入る夏の虫」

そうなると、指名手配犯も用心して「顔」の整形をするために整形外科医に行くというわけ。

ただし、本書によると人間の顔で一番重要なのは「目、鼻、口の配置〔間隔)」で、この整形をするとなると莫大な費用がかかってしまう~。

結局、違う顔に生まれ変わるのが一番手っ取り早いようですよ(笑)。



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「低音の鳴らし方」雑考

2023年04月03日 | オーディオ談義

タイトルにある「雑考」とは、「系統立っていない考察や考証のこと(広辞苑)」とある。

「お前のブログはいつも系統立っていないからわざわざことわらなくていい」と突っ込まれそうだが、今回はひときわ独善的な様相を帯びているような気がするので始めから予防線を張っておくとしよう(笑)。

以下、すべて私見なので念のため、そして気を悪くする人がいたらゴメンね~。

さて、長年、馬齢を重ねてきたオーディオだけど一番難しいのは「低音の鳴らし方」ではないかと常々思っている。

「低音」というのは、手元の資料によると「最低音域=30~60ヘルツ」、「低音域=60~100ヘルツ」、「中低音域=100~200ヘルツ」とあり、およそ200ヘルツ以下を総称して「低音」と言っても大きな間違いではなかろう。

そして、この200ヘルツ以下というのがたいへんな曲者で、たとえば音域を「ピラミッド型」だとすると、この底辺の過不足次第で音全体がガラッと変わってしまう怖ろしさをどなたでも経験済みのことだろう。

そして今もってどういう鳴らし方がいいのか「ストレイ・シープ」の状態が続いている・・。

具体例をあげてみよう。

実はここ1か月ほどのうちで、2軒のお宅をご訪問させてもらって独自の工夫による渾身(こんしん)の力作(システム)を拝聴する機会をいただいた。

いずれもジャズ愛好家で、片方は「JBL」、片方は「アルテック」の本格的なシステムで、低音用のユニット(ウーファー)はいずれも口径38cm!

ところが・・。

堂々たる音なんだけど、どうも音声信号に対する反応のスピードがイマイチというか、かったるく感じてどうしようもなかった。もちろん、自分の耳の方がおかしいのかもしれない。

というのも、日頃から口径「25~30cm」のユニットしか愛用していないので、ことさら違和感が増した可能性が大いにある。

で、その一方「相手方」からすると、当然のごとく我が家の音を聴いた途端に「低音の迫力が物足りない」と、きっと感じるに違いない。

彼我(ひが)のどうしようもない違いについて、いったいどう考えたらいんだろう~。

オーディオは自分で満足さえしていれば、別に他人に迷惑をかけるでもなし、それで成り立つ趣味だが視点を「好きか、嫌いか」から「正しいか、正しくないか」に移すと話が違ってくる。

もちろん個別事情もある。口径38cmといったって、励磁型もあるだろうし、コーン紙の厚さも重さも違うだろう。

たとえば「アルテック」の方が「JBL」よりも軽いという話もある。そして、駆動するアンプによっても変わってくるし、さらには嗜好がクラシック派かジャズ派かにもよる。

そういう諸々の状況も踏まえての話なんだけど、その辺は先日の「ハイエンドオーディオフェア」(福岡市)が一つのヒントになる。

試聴用として展示されていたスピーカーのうち口径38cmのユニットがやたらに少なくなっており、まあ、今に始まったことではないけれど、せいぜい「JBL」か「タンノイ」ぐらいで、あとは押しなべて口径20~25cmのユニットが2発」といった具合。

たとえば、現代を代表するスピーカー「B&W」(594万円)がそうだった。



幾多の研究を積み重ねたメーカーが「口径38cm」を起用しない理由がきっとあるに違いないとは思いませんか~。

もうひとつ身近な具体例を挙げてみよう。やや手前勝手な実例だが(笑)。

一昨日(4月1日)にオーディオ仲間がお見えになったので「ウェストミンスター」(改)を聴いていただいた。



ゲリー・カーのコントラバスとオルガンを聴いていただいたところ、地を這うような重低音に驚かれていた。

「これまでいろんなお宅のシステムを聴かせていただきましたが、こういう重低音が聴けたのは初めてです。オリジナルのタンノイの38cmのユニットですか?」

「いいえ~。我が家では38cmは反応が鈍いので使わない主義です。口径30cmのワーフェデールのユニットが入ってます。ただし、赤帯のマグネット付きですけどね」

「タンノイの技術者にぜひ聴かせてやりたいですね。口径30cmでもこれだけの低音が出るんですから・・」

「まあ、たまたまユニットと箱のツクリの相性が良かったのでしょう。それにしても低音の鳴らし方を主としてユニットの能力に頼るのか、それとも箱に頼るのか、運命の分かれ目でしょう。

前者がアメリカ系で、後者が英国系といえます。私は圧倒的に箱に頼る方に与(くみ)する人間ですが、未だにどれが正解かは分からないってとこですけどね~」

結局、根源的なところではリスナーが周波数レンジに拘らない「教養ある耳の持ち主」になることが一番なんでしょうが(笑)。

皆様はこの「低音論争」について、いかが考えられますか~。「一家言」(いっかげん)ある方が多いと思うんだけどなあ・・。



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「パリの空の下」のワイン

2023年04月02日 | ウマさん便り

先日のブログ「モーツァルトとアルコール」で、アルコールに関する「音楽の想い出」を募集したところ、やっぱりというか音沙汰なし~(笑)。

半分諦めていたら「ウマさん」からタイミングよくお便りがあった。以下、ありがたくご紹介させていただきましょう。

「フランスの記録映画作家マークと、フランスを代表する新聞「ル・モンド」でコラムを書いていたオリヴィエの二人が、大阪のぼくを訪ねて来たのは、もうかなり昔、1980年のことだった。

ぼくのフランス人の親友アントワーヌが彼らに言ったらしい。
「日本に行ったら、大阪のウマと会うといい」

彼らは、大阪のぼくの実家に滞在し、かなり精力的にあちこち観て回ったようだけど、もちろんぼくも彼らをいろんなところへ案内した。

当時50歳前後だったオリヴィエは、ぼくの家で食事をする時でもネクタイを着用するなど、かなりの洒落者で、毎朝、ウチの洗面台で一時間ほどかけて身支度をととのえていた。ぼくなんか、長くて1分や。

彼らは、大阪はもちろん、奈良や京都など、取材も兼ねていたとはいえ、日本を大いに楽しんでパリに帰って行った。

さて、1982年2月、グラスゴーで結婚式を挙げたぼくは、日本への帰途、思い立ってパリに立ち寄った。当時アントワーヌは東京にいたので、マークとオリヴィエの二人に会おうと思ったんです。

ところが、オリヴィエとは連絡が取れず、マークに電話しても出なかった。仕方がない。マークの住所はわかっていたので、探し探し彼の住まいを訪ねてみた。

二人しか乗れない鳥籠みたいなエレベーターに乗って、彼の部屋を訪ねドアをノックしたけど返事がない。仕方がない。彼の帰宅をどこか近くで待つことにした。

来る途中の通りに、バー見たいな店があったのを思い出したぼくは、その店で、彼の帰りを待つことにした。

ガラスのドアや窓が開けっ放しの、かなり開放的なその店は、奥に細長いカウンターだけの店で、しかも立ち飲み。労働者ふうのおっちゃんたちが三名、ワイワイと昼間っから陽気にワインを呑んでいた。

ドアのすぐ近くに立ったぼくは、バーテンダーのおじさんに、おっちゃんたちが飲んでいる赤ワインを指差した。こういう場合、言葉がなくても通じるよね。「あれと同じのちょうだい」

おじさんは、カウンターにドンと置かれた樽から、ワイングラスになみなみと目一杯注いでくれた。キャッシュ・オン・デリバリーのようだけど、いくらかわからないからお札を出した。

かなりのお釣りがあったので、一杯いくらか、とっさに計算した。当時の日本円で80円と出た。あまりにも安いので、もう一度計算したけど、やっぱりグラス一杯80円や。安い!

ところがや、驚いた! びっくりや! この赤ワイン、めっちゃうまいのよ。
あまりのおいしさに目を白黒させてしまった。ぼくが英語で「ベリー・デリシャス!」と言ったら、隣のおっちゃんが、ポケットからカシューナッツをいくつか出して、ニコニコとぼくの前に置いてくれた。
「にいちゃん、これでもつまみ!」でしょうね。メルシー、ムッシュー、おっちゃん、メルシー!

そのワインの、あまりのおいしさに、お代わりした時、バーテンダーのおじさんに聞いてみた。

「ボルドー? ブルゴーニュ?」 おじさん、肩をすくめ両手を広げ困った顔をした。「わし、そんなん知らん」顔がそう言ってる。

自分のバーで売っているワインの産地を知らないんや。なんとええ加減なと、その時思ったけど、のちのちわかった。つまり、そんな産地のことなど気にせんでも、本物が身近に存在するってことなんやろね。

ワインってさあ、日本では蘊蓄の格好の対象だよね。だけど、このパリの立ち飲みバーでは、蘊蓄なんてあっちゃ行けー!なんです。ぼくは、やっぱり、こっちを選びたいなあ。


そうそう、かなり後年、とてもお世話になった方をご招待した時、蘊蓄抜きでさりげなく出したドン・ペリニョンで乾杯したことがある。ドン・ペリニョンをご存知じゃなかった彼だけど「ウマ!これうまいなあ!」と言ってくれたのは、とても嬉しかった。それで充分じゃない?
そう、パリの立ち飲みで学んだことを実践したんです。ま、蘊蓄を語るのは、時と場合を選ぶってことかなあ。   

その、パリの立ち飲みのバーの、通りを挟んだ斜め向かい側に、立派な門構えの邸宅があり、制服のおまわりさんが数人立っていた。おっちゃんたちにその家を指差し「What is that house? (あの家はなんですか?)」 英語で聞いて見た。おっちゃんたち、口々に「プレジデント、プレジデント!」
どうやら、フランス大統領ミッテランの公邸だったようですね。大統領公邸の向かい側に立ち飲みのバー、パリって面白いね。

もう一度、マークのアパルトマンを訪ねた。でも不在だった。仕方がない。諦めた。
で、もう一度、その立ち飲みバーへ寄ったら、おっちゃんたち、ニコニコと笑顔でぼくを迎えてくれた。「よう、にいちゃん、また、来たんかいな!」ってな感じ。

最高に美味しい一杯80円のワインをお願いしようとしたけど、バーテンダーのおじさんったら、ぼくの顔を見た途端、もう、グラスにワインを注いでいた。いやあ、嬉しくなったなあ。言葉なしで気持ちが通じるっていいよねえ。 

嬉しくってニコニコしていたら、隣のおっちゃんが、また、カシューナッツを、さっきの三倍ぐらいくれた。そしてぼくの顔を指差し「ジャポネ?」と訊く。ウイ!ジャポネ!と答えたら、全員が「オオ!ジャポネ!」と、かなり大げさに手を広げて、もうニコニコ。どうやらジャポネ大歓迎みたいな雰囲気なんです。

ぼくはさらに嬉しくなってしまった。

おっちゃんたちとカウンターの中のおじさんが、ジャポンやジャポネがどうのこうのと、日本のことを話題にしているのがわかったけど、皆さんニコニコしてるのよ。どうやら、日本と日本人に大いに興味を抱き、さらに好意を持ってるんやなと、ぼくは理解した。

とてもいい雰囲気の中で、気持ちよくワインを飲み干したぼくが、お代わりをお願いしようと空のグラスを持ち上げた時、隣にいたおっちゃんが、ぼくの手から空のワイングラスを取り上げた。

一瞬、何事か?と首を傾げたんだけど、おっちゃんたち全員が何やら相談したあと、小銭を出し合いカウンターに置いた。それを見たバーテンダーのおじさんがぼくに赤ワインを出してくれた。

おっちゃんたち、ニコニコしてぼくを見ている。まさか、おっちゃんたちがぼくにワインをおごってくれるなんてまったく思ってもいなかったぼくは、もう、感激してしまった。
メルシー! メルシーボクゥー! もう、メルシーの連発でしたね。

異国のフランス、その花の都パリ、たまたま立ち寄ったバーで、見ず知らずのおっちゃんたちにワインをご馳走してもらう。その時の感激、わかってもらえるやろか? あの時ほど言葉の通じないもどかしさを感じたことはないなあ。
しかしな、おのおの方、ほろ酔いとはいえ、その時のウマさん、心臓が強かったわ。

楽器が大好きなぼくは、長年の習慣として、旅行に出る時はいつもリュックにハーモニカを入れている。半音が出せる小型のクロマチックハーモニカです。

おっちゃんたちにワインをご馳走になったぼくは、お礼代わりにハーモニカを演奏しようと思いたったんです。ハーモニカを取り出したぼくを見たおっちゃんたち、何事や?と、はじめ怪訝な顔つきやったけど、演奏が始まった途端、店内は大騒ぎになった!

ぼくにとって、シャンソンの「パリの空の下」は、とても弾き慣れた曲やった。おっちゃんたち、もう大興奮でしたねえ。パリの空の下で、ハーモニカの「パリの空の下」。演奏が終わった瞬間、拍手、拍手、もう大拍手! そしてぼくに、ハグ、ハグ、ハグ!

心臓の強いウマはさあ、さらに心臓が強くなっちゃったのよ。
 
次の曲のイントロを即興でおごそかに始めた時「このにいちゃん、次は何を弾くんやろ」と興味しんしんのおっちゃんたち…ところが、イントロが終わり、曲が始まった途端、おっちゃんたち大騒ぎになった。

シャンソンの名曲、あの伝説的シンガー、エディット・ピアフの「愛の讃歌」

もう、おっちゃんたち大興奮、「ウララー」と大興奮なんです。
そして、なんと、カウンターの中のおじさんも出てきて、ぼくのハーモニカに合わせて、全員が大合唱になったんです。もちろん演奏しているぼくも大興奮です。

「愛の讃歌」を終えて、間をおかず、すぐにぼくは、やはりシャンソンの名曲「バラ色の人生」を演奏した。そしたら、なんと、なんと、店にいた全員が踊り出したんです。ぼくは、もう、ここぞとばかり、あらん限りの大音量でハーモニカを吹きましたね。
 
その時、かなりの騒ぎになっていたと思う。なんと、向かいにある大統領公邸のおまわりさんが、何事かと、鉄砲を構えたまま店を覗きに来ましたがな。でも、そのおまわりさん、「ウララー」、店内の様子を見て、ニコニコと自分の持ち場へ戻って行きました。

そして、演奏を終えたぼくに、全員がハグ、ハグ、またハグでした。そして、ワイン、ワイン、さらにワイン…

異国の、予期せぬ場所での予期せぬ出来事は、忘れることの出来ない想い出となりました。

ぼくがワインの美味しさに目覚めたのは、パリの、その立ち飲みバーだったと、今にして思う。一杯80円の素晴らしいワインに出逢ったパリの空の下で「パリの空の下」をハーモニカで演奏した日本人は、たぶん、ぼくだけじゃないかなあ?あの時、あの店にいたおっちゃんたちの顔は、今でも鮮明に覚えていますよ。

かなり後年、ワインには旅をさせちゃダメだと知った。
特に長い船旅をするワインには防腐剤などが入っているとも聞いた。あの一杯80円の美味しさの秘密は、きっと旅をしていないからでしょう…

コロナが落ち着いて、また旅に出れるようになったら、また、パリの空の下でワインを飲みたいなぁ。


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読書コーナー~至高の音楽~

2023年04月01日 | 読書コーナー

「永遠の0」「海賊とよばれた男」などのベストセラー作家「百田尚樹」さんの著作「至高の音楽~クラシック永遠の名曲~」の131頁に「文学は音楽に適わない」の言葉があった。

                       

これが音楽家から発せられた言葉なら「我田引水」なので信用できないが、負の立場にある文学者側の言葉となると大いに信憑性が増してくる。

日頃から暇つぶしに読書と音楽に勤しんでいるが、ややキザなことを言わせてもらうと「文学=多角的なモノの見方を養う」、「音楽=美的感性を磨く」ものだと思っている。したがって、これまでどちらかの優位性なんて意識したことはなかったのでこの言葉はなかなか新鮮に感じた。

「文学」は読解力を通じて「理詰め」で迫ってくるし、その一方「音楽」は「情緒的」に人の心に浸透してくるし、で、どちらが好きか?と問われたら
やはり音楽かなあ・・。

文学も音楽も鑑賞するうえで脳を使うのは同じだが、前者の方が理屈っぽくてハードなので歳をとるにつれ段々億劫になっていく~。

さて、本書を半日かけて読み上げたが、百田さんがこれほどのクラシック通とは思わなかった。常にクラシック音楽を鳴らしながらの執筆だそうで、ちなみに「永遠の0」のラストの執筆中は泣き濡れながら「カヴァレリア・ルスティカーナ」の間奏曲をエンドレスで聴かれていたそうだし、レコード、CD合わせて2万枚の所蔵とは、恐れ入りました!

本書の狙いはクラシックをよく知らない読者とよく知っている読者の双方を満足させたいという狙いで、著者が愛してやまない曲目を一曲づつ8頁前後でもって紹介する形で展開されている。

クラシック通にとっては全25曲の顔ぶれがかなりポピュラーな面に片寄っているのもそのせいかな。折角なので10曲ほど順に挙げてみよう。この中で、一曲でもふと聴いてみようかという気になったら著者の狙いは成功である。ただし、興味のない方もおありでしょうからそういう方は読み飛ばしてください。

 ベートーヴェン「エロイカ」~不意に凄まじい感動が舞い降りた~

 バッハ「平均律クラヴィーア曲集」~完璧な音楽~

 モーツァルト「交響曲第25番」~天才がふと見せた素顔~

 ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」~当初酷評を受けた、20世紀を代表する名曲~

 ショパン「12の練習曲集」~超絶技巧の演奏でなければ真価は味わえない~

 ベルリオーズ「幻想交響曲」~失恋の苦しみが生んだ狂気と前衛の曲~

 モーツァルト「魔笛」~田舎芝居に附された「天上の音楽」~

 ベートーヴェン「第九交響曲」~聴力を失った後の「最後の戦い」~

 シューベルト「魔王」~最後にデーモンが顔を出す~

 ヴァーグナー「ヴァルキューレ」~新手法「ライトモティーフ」の麻薬的な魅力~

 パガニーニ~「24の奇想曲」~はたしてこれは純粋に音楽か?~

読後に印象に残った点を2点ほど挙げてみると、

1 「決定盤趣味」について

上記のそれぞれの曲目にはベスト盤も紹介されているが、著者は「決定盤趣味=この曲目の演奏の決定盤はこれだ」という決めつけをしないタイプで、CDで発売されるほどの演奏家なら、いずれも優れているはずとの“おおらか派”。芸術はスポーツではない。優劣を競うものではないし、数値化できるものでもないとのこと。

たしかに、「この演奏でなきゃダメだ」という見方もよく分かるが、自ら選択の範囲を狭めているだけなので音楽鑑賞に当たってはいろんな演奏の良い点を汲み取る幅広い包容力も必要だと思う。まったく同感です。

オーディオだって「絶対にこのブランドでなくてはいけない、絶対にこの真空管でなくては」とよく決めつける方がいるが、ま、別のものもそれぞれ何かしらいいところがあるので、柔軟性が一番。

「お前は攻守ところによってカメレオンみたいに変わるなあ!」なんて、どうか言わないでくださいな(笑)。

2 オペラ「魔笛」について

「またお前の好きな魔笛か、いい加減にしろ」と言われそうだが、こと魔笛となると黙っちゃおれない(笑)。本書の関連個所にこうある。(61頁)

「ひどい台本にもかかわらず、モーツァルトの音楽は言葉を失うほどに素晴らしい。魔笛こそ彼の最高傑作という音楽評論家は少なくない。モーツァルトは最晩年になると、音楽がどんどん澄みわたってきて、悲しみを突き抜けたような不思議な音の世界を描くようになるが、魔笛はまさしくそんな音楽である。曲はどこまでも明るく、軽やかで、透明感に満ち、敢えて恥ずかしげもなく言えば、もはや天上の音楽と呼びたくなるほどである。」

モーツァルトの音楽の本質を言葉で表現するのは難しいが、百田さんの「最晩年になると音楽がどんどん澄みわたってきて、悲しみを突き抜けたような不思議な音の世界」という表現には心から納得。

さすがに文学者の語彙は豊富で表現力が一枚も二枚も上だ。百田さんは「魔笛」が分かっている!

最後に、執筆中にクラシックを聞き流すという百田さんにならって、このブログを作りながら音楽をかけ流した。なにぶん、まだ寝静まった早朝(4時頃)なので我が家の「猛虎=寅年生まれの雌」を刺激しないようにひっそりと秘めやかな音での話。

そして発見!「AXIOM80」は小さ目の音の方が圧倒的にいい。


「ブルックナーの8番」(チェリビダッケ指揮:リスボンライブ盤)を聴き終えたところで、このブログがあらかた出来上がり。丁度1時間ってとこかな~(笑)。



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