「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん便り」(2023・4・6)

2023年04月06日 | ウマさん便り

「初めてのスコットランド…そして20年後の驚き」 

ロンドン発の夜行列車は、朝8時にグラスゴー・セントラルステーションに到着した。

すぐ、キャロラインの実家に電話した。でも誰も出ない。何度も電話したけど誰も出ないんです。少し不安になってきた。

初めてやって来たスコットランド、今夜泊まるところがなかったらどうしよう? 

駅の案内所でもらった地図を頼りに、グラスゴー大学近くの彼女の実家まで歩いて行った。グラスゴー大学の協会の脇を通り、キャロラインの実家を見つけた時はとても嬉しかった。

でもその時、2年後にぼくがこの教会で結婚式を挙げることになるなんて、もう夢にも思わなかったですけど… 

思い出します… 

初めてスコットランドの地を踏んだのは1980年夏のことでした。その2年前に東京で知り合ったグラスゴー生まれのキャロラインが故郷に帰る時、ぼくに「グラスゴーに遊びに来たら?」

で、その誘いに乗ったというわけなんです。

その時、その後、スコットランドがぼくの第二の故郷になるなんてつゆとも知らず…

当時のぼくにとって、スコットランドって、地球の裏側の、そう、ネッシーの国、ファンタジーの国でしたね。 

さて、キャロラインの実家…その玄関をノックしても返事がありません。困った。どうしよう?

仕方がないので、近辺を物見遊山で見物することにしよう。

グラスゴー大学がある広大なケルヴィングローブ公園、ウェストエンドの繁華街にある様々な店や図書館を覗き。さらに植物園のあるボタニックガーデンなど、もう、そこらじゅうを歩き回りました。初めて見る街の風景に瞠目します。時々、キャロライン宅に電話を入れますが、相変わらず誰も出ません。 

そのうち、旅の疲れ、いや時差ぼけでしょうね、ボタニックガーデンのベンチで、リュックを枕に眠り込んでしまった。かなりの時間寝ていたようで、気がつくと、なんと午後6時なんです。

「エライこっちゃ!」祈るような気持ちで、キャロライン宅に電話をします。

出た! とうとう誰かが電話に出たんです。嬉しい! 嬉しい!

「ウマ? ぼく、キャロラインの弟のフランキーです。日本から君が来ると姉から聞いてたんで、仕事を早めに終えて帰宅したところです。すぐに来て!」

このグラスゴーに、ぼくのニックネーム「ウマ」を知ってる人がいるのには驚いた。 

ドアを開けたフランキー、ニコニコとぼくの肩を抱くように家の中に入れてくれた。リビングには弟のマーティンもいた。そしてテーブルには、ビールにウィスキー、それにポテトチップスやピーナッツなどなど…、いやあ嬉しかったですね。

「キャロラインは、母や妹のエレインとリゾートに出かけていて、明日帰って来る」 

ビールで乾杯した。「ウェルカム・トゥ・スコットランド!」そのビールの美味しかったこと。もう天にも昇る心地だったですね。

日本人と会うのは初めてという彼らと、大いに飲み、話が弾み、初対面にもかかわらずすっかり打ち解けた時、フランキーが叫ぶように言った。

「今日は金曜日、パブへ行こう!」 

週末のパブは、もう立錐の余地がないほどの混みよう。

その喧騒の中、フランキーやマーティンが、ぼくを次々と友人たちに紹介する。そして「日本人と会うのは初めて」という彼らが、ぼくにビールやウィスキーをおごってくれるんです。

今夜は泊まるところがあるんだろうか?という不安なんかとっくに吹っ飛んでしまい、実に楽しい宵となりましたね。よかった。本当にホッとした。 

翌日午後、キャロラインとお母さん、それに妹のエレインが帰って来た。お母さんもエレインも、ニコニコと初対面のぼくにハグ、そして「遠い国からよく来てくれたわね」と喜んでくれた。

父親はキャロラインが17歳の時に亡くなったことは聞いていた。 

さて、その土曜日… 

キャロラインの家族が、ぼくのための歓迎パーティーを開いてくれたんです。ところが、おおぜいの人が続々とやって来たのにはびっくりした。従姉妹たち、叔母さんや叔父さんたち、フランキーやマーティンのガールフレンドたち、さらに友人たちなどなど、おおぜいの人で、もう家の中はぎっしり。その全員が「日本人と会うのは初めて」だとおっしゃる。

スコットランドから見ると、日本は、極東、つまり地球の果てにあるんですね。その地球の果てからやって来たぼくに、皆さん、とても好意的な笑顔を向けてくれました。 

そんな中、ふと、部屋の隅に、一人だけぼくに無表情の方がいるのに気がつきました。キャロラインの叔母さんのモニカです。彼女、部屋の隅っこで一人タバコを吸っていました。

で、飛行機の中で買った免税のマイルドセブンをそっくり1カートン彼女にあげました。そしたら、それまで無表情だったこのモニカ叔母さんは大喜び、途端に満面の笑みで、なんとぼくにビッグハグなんです。あとで知ったことだけど、この国はタバコが非常に高価で、当時の日本円で一箱が700円も800円もしたんですね。 

モニカ叔母さんが、初め、ぼくに対して無表情だった理由…それを知ったのは20年後のことでした。

ある日、大阪の家で、たまたま、ぼくが、懐かしいスコットランドの写真を整理していた時、わきにいたキャロラインが、あのモニカ叔母さんの写真を見つけたんです。

で、彼女、何を思ったのか、ぼくに「あの時のパーティーのこと覚えてる?」ぼくが初めてスコットランドを訪れた時の、あの歓迎パーティーのことですね。

彼女が言ったことにはびっくりしてしまった。

「実はあの時、モニカは、日本人には絶対に会わないって言ってたのよ。でも、わたしに説得されて、しぶしぶパーティーに出てきて、ウマに会ったわけ…」 

戦争中、彼女と親しかった友人がシンガポールで日本軍の捕虜になった。奇跡的に生還した彼の、その時の過酷な体験をモニカは聞いていたのね。…日本軍は捕虜に残酷だった…

ところが、あのパーティーでウマと会い、一緒に肩を組んで呑んでるうちに、日本人に対するイメージをすっかり変えたのよ。この日本人の酔っ払い、とても残酷には見えないけどねえって…

あのパーティーで、ぼくと肩を組んで呑んだモニカが、最後に大きな声で叫んだ言葉、それはいまでも覚えています。「わたし、日本へ行くわよー!」 

そしてやって来たモニカ叔母さん…

奈良・吉野の桜に目を満開、旅館の畳の部屋の布団に感激、そして、雄大な富士山に感嘆の声をあげ、修善寺温泉の露天風呂で、満天の星空の元、かつて経験したことのないお風呂に大感激するなど、日本を満喫してスコットランドに帰りました。 

そう、日本を大好きになって…


この内容に共感された方は積極的にクリック →      

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 真似をしたのはどっちだ? | トップ | 疲労医学の研究 »
最新の画像もっと見る

ウマさん便り」カテゴリの最新記事