図書館の新刊コーナーでたまたま見つけた「あいまい・ぼんやり語辞典」
それほど「詰める」タイプではないので日常的に「曖昧さ」があってもあまり気にならない。音楽&オーディオは別ですけどね~(笑)。
いつも「ま、いっか」が口癖だし、この世知辛い世の中で何もかも「白黒」をはっきりさせない方がいい場合だってある、ときにはぼんやりした灰色もあっていいんじゃないか、それが「大人の知恵」というものだという思いをいつも捨てきれない。
というわけで、本書は自分にとって格好の本である。
興味を惹かれた言葉をピックアップして記録しておこう。
トップバッターはこれ。(以下、引用)
1 「どうも」(118頁)
「どうも」はお礼でもお詫びでも使える。出会いでも別れでも一応のあいさつになる。まことに便利な言葉である。
「ありがとうございます」「申し訳ありません」などのしっかり内容の定まった言葉ではない点でお礼やお詫びとしては軽いが、逆に、軽いことに対してもしっかり挨拶をするという意味で失礼な挨拶ではない。
また、出会いや別れでも気を遣う相手に対しての挨拶として成立している。曖昧といえば曖昧な、逆に言えばきわめて便利な言葉である。
(独り言:たしかにいつも「どうも」を常用しているのでこのくらい便利な言葉はないと思う。自分にピッタリの言葉だなあ~笑~)
ただ、「どうも」には謎がある。なぜか家族などの親しい関係ではあまり使わないのである。子供もあまり言わないのではないだろうか。三、四歳くらいの幼児が「どうも!」という挨拶をすることはまず考えられない。
「どうも」だけで終わる挨拶は大人くさくなるのである。これには次のような理由が考えられる。
「どうも」は「どう+も」だが本来この副詞には「どうもうまくいかない」「どうも変だ」のような使い方がある。
いわば気がかりなことがすっきりおさまっていない感情を表すのである。
それが「いやはや、どうも何と言っていいか・・」などというように感謝、謝罪の気持ちを表す際の「簡単にお礼やお詫びを言うだけではうまく解決できない言い表せない気持ち、そのままでは済ませられないという気がかりの強調」という使い方になったものと考えられる。
「いやはやどうも何と言ったらいいか、(むにゃむにゃ・・)というような感じで、いろいろと相手への思いを巡らすというのは大人の心遣いである。
またあとに来る実質的な感謝や謝罪の表現がなくても「どうも」だけでそういう気配りがあるということが示せる。いわばよそ行きの言葉と言って良い。この「よそ行き」感が出会いや別れの軽い挨拶にもなると考えられる。
(そのとおりです!)
「どうも」だけだと実質的な感謝や謝罪の表現がないので、きちんとした謝罪やお礼にはならない。しかし、気を遣っていることはよくわかる。出会いや別れでの「お世話になっています」感や「失礼します」感といった気遣いのこもった軽い挨拶をするにはぴったりとも言える。
気を遣っている相手への挨拶になるのだと考えると、家族間であまり言わないということ、子供があまり使わないということの理由がわかってくる。
「どうも」の奥には、どうも(?)大人っぽい深い気配りがありそうなのである。
以上のとおりだが、「英語」で「どうも」と似たような使い方をする言葉があるのだろうか。どなたかご存知の方はご教示ください。