goo blog サービス終了のお知らせ 

「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

オペラ「ドン・ジョバンニ」(フルトヴェングラー指揮)礼賛

2022年09月13日 | 音楽談義

いつぞやのブログで「フルトヴェングラー」について記事を投稿していたところ関東地方にお住まいの方から次のようなメールをいただいた。

「今回メールをしたのはフルトヴェングラーのことです。私はフルトヴェングラーを殆ど聴くことはありません。なぜ聴かないのか考えてみたのですが考えるまでもなく答えが出ました。

一つはフルトヴェングラーにはモーツァルトの録音が殆どないということです。レパートリーの大半がモーツァルトという私にはフルトヴェングラーの出る幕はないのです(ドン・ジョバンニはたまに聴きます)。

二つ目はベートーヴェン

ベートーヴェンは好きな作曲家ですが聴く分野はピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲なのでこれまたフルトヴェングラーの出る幕なし(ブライトクランク録音の「英雄」は愛聴盤です)

三つ目、これがもしかすると一番の理由かもしれませんが、フルトヴェングラーにはステレオ録音がないということです
私も一応有名なものは聴いてきましたが音質が悪いものが殆どなので再聴する気にはなりません。

以上三つの理由からフルトヴェングラーは私にとっては疎遠な指揮者となります。

しかし亡くなったのが1954年。あと数年生きていてくれたらステレオ録音のフルトヴェングラーが聴けたかと思うと残念ではあります。

宇野功芳氏に関しては拙ブログでも記事にしました。良くも悪くも音楽評論界に風穴をあけた方かと思います。」

お互いに無類のモーツァルト愛好家としての共通項のもと「フルトヴェングラー」の位置づけについては概ねそういうことだろうと共感を覚えた。

ベートーベンの音楽も「第6番 田園」を除いて他の交響曲はやたらに肩ひじ張っている感があり、いわば「尊大さとロマン」が同居していて鑑賞者の年齢が上がるとともに前者の色(印象)が濃くなり、そのうち鼻についてきて次第に後期の「ピアノソナタ」、「弦楽四重奏曲」に収斂していくのも非常によくわかる。

ただし、一点だけ気になったことがある。


以前のブログで「フルトヴェングラーにはモーツァルトの名演がない」と決めつけていたのだが、オペラ「ドン・ジョバンニ」の名演があったことをウッカリ忘れていた。

以下、モーツァルトのことになるとつい熱が入って、つい「上から目線」の物言いになりがちなのをはじめにお断りしておこう。

モーツァルトは35年の短い生涯において20作以上のオペラを作曲したが、後世になって「三大オペラ」と称されているのは製作順に「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」そして「魔笛」だ。

で、大好きな「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」はつばぜり合いをするほどの存在だが、この「ドン・ジョバンニ」ばかりは幾多の指揮者による演奏があるものの、録音状態は別にしていまだにフルトヴェングラーに優る演奏には出会えないでいる。

日本有数のモーツァルト通としての自負心から言わせてもらうと「ドン・ジョバンニ」は(モーツァルトの)音楽の中では極めて異質の存在である。

どこが異質かというと、普通の音楽鑑賞は「旋律」「ハーモニー」そして「リズム」などを愛でるものだが、この「ドン・ジョバンニ」に限っては「ドラマティック」な展開と「人間同士の愛憎」とが見事に一体化した音楽の表現力にこそ聴くべきものがあり、まさに人間の感情の動きにピッタリ寄り添った音楽といえよう。

モーツァルトは一見軽薄そうに見えて人間の微妙な気持ちを推し量る人生の達人だったことを改めて思い知らされるが、こういうオペラになるとフルトヴェングラーの芸風と実によくマッチして独壇場となる。

そこで、具体的な材料の提出。

             

A(左) ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はいいけど録音があまり冴えない。記憶による自己採点では10点満点のうち演奏は9点、録音は6点というところか。

B(右) ヨーゼフ・クリップス指揮の「ドン・ジョバンニ」

演奏はAには及ばないが、録音ははるかに凌駕する。採点の方はこれまた記憶によって演奏が7点、録音は8点としよう。

以上、総合点はお互いに15点だがはたしてAとBのどちらの盤を優先すべきか、いわば「演奏をとるか、録音をとるか」というわけで、これは格好の実験材料である。

まあ、きわめて個人的な趣味の問題であることは論をまたないが、それでも世の中にはいまだに旧石器時代の産物にも等しい「SP盤」を愛聴されている方もおられることを私たちは忘れてはいけない。

昨日(12日)は陽射しも随分と和らぎ、海からの涼風奏でる絶好の音楽鑑賞日和のもとに改めてこの二作を聴き耽った。

当時とは鳴らしたシステムもまったく変わっているし、それに応じてこのオペラへの印象も変わるはず。

サブウーファー(ウェストミンスター:100ヘルツ以下)の威力がここぞとばかり発揮されるはずだ(笑)。


で、「ドン・ジョバンニ」の聴きどころといえば、人によってそれぞれだが自分の場合は「稀代の悪漢が放蕩の限りを尽くして最後は地獄に落ちていく」というストーリーだから、何よりも「デモーニッシュ」(人知を超えた悪魔的)な雰囲気を全編に湛えた演奏でなければいけない。

はじめに、クリップス指揮の盤から試聴。3枚組の盤だが1枚だけ聴くつもりがつい聴き惚れてしまい3枚とも連続して試聴。録音がとても良くてホールの奥行き感が何とも心地よい。

もちろん音楽の方もそれ以上に素晴らしい。ある意味では魔笛を上回るかもしれない出来栄えで、年齢がいくにつれてその感を深くするが、やっぱりこれは空前絶後のオペラだよなあと納得。


次に、フルトヴェングラーの「ドン・ジョバンニ」を。1950年代初頭の「ザルツブルグ音楽祭」のライブ盤でモノラル録音である。

聴いているうちに心が激しく揺さぶられ思わず目頭が熱くなってしまった。これまた素晴らしい!

これこそが理想とすべき「ドン・ジョバンニ」だろう。しかも、むしろ録音の悪さがデモーニッシュな雰囲気を醸し出しているかのようでまったく気にならない。

両盤ともにドン・ジョバンニを演ずる歌手は極めつけの「チェザーレ・シエピ」(バス・バリトン:バスに近いバリトン)なのに、フルトヴェングラー盤の悪びれない堂々とした歌いっぷり(悪漢振り)はどうしたことだろう。

スタジオ録音盤とライブ盤との迫力の差も如何ともしがたいようで、このオペラに限っては歌手たちの燃え上がる情熱と生命力のもと、一発勝負のなりふり構わないライブに限る。

それにしてもフルトヴェングラーは滅茶苦茶ライブに強い。

で、結論になるがそりゃあオーディオマニアなんだから音質がいいに越したことはないが、演奏が気に入りさえすれば録音なんていっさいお構いなしの心境へ落ち着いた。

とはいえ、こういうケースは極めて稀で今のところ「この盤だけ」ですけどねえ(笑)。



この内容に共感された方は励ましのクリックを →
 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする