「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

いつも突きつけられる「二者択一」

2019年11月17日 | オーディオ談義

「真空管・オーディオ活用の奥義を読む」(2019.11.15)からの続きです。

去る2日(土)に試聴会を開催したときの仲間の一言が2週間経ってもいまだに脳裡を去らない。

「悲愴の第4楽章をコンサートで聴いて感動のあまり涙が止まらなかった」。

もう分かりきったことだが、何のために私たちが一生懸命「音楽&オーディオ」に取り組んでいるのかといえば、それは音楽を聴いて心から感動を覚えたいがためである。

生演奏とは違って所詮は電気回路を使った家庭用のシステムだが、そのハンディにもめげず、できるだけ目的を達しようと誰もが「血(お金)と汗と涙」の滲むような努力と工夫を凝らしている。少なくとも自分はそうだ。

そこで、冷静に分析してみると、仲間がなぜ感動したかといえばコンサートホールの圧倒的な臨場感と豊かな量感ではなかったろうか。

ふと、家庭での音楽とオーディオの愉しみ方は二通りあるのではないかと思った。

一つ目は微視的な楽しみ方

音の艶とか、奥行き感があって音の抜けがいいとかの、どちらかといえば重箱の隅を突っつくような楽しみ方で、これは中小型スピーカーのフィールドになる。

二つ目は巨視的な楽しみ方

雄大な弦のユニゾンとか、盛大に押し寄せてくる”うねってくる”ような音の波などスケール感を楽しむわけでこれこそ大型スピーカーの出番だ。

つまり一つのスピーカーに「微視的」な側面と「巨視的」な側面の両方を期待するわけにはいかないし、ここははっきりと割り切る必要がありそうだ。

心から音楽に感動できるのがどちらのスピーカーかは人それぞれだが、自分の場合は「悲愴」を聴きながらどうも「巨視的」じゃないと心から音楽に感動できない気がしてきている。

正確に言えばそう錯覚させてくれるような「音づくり」をしてみたくなった。

とするなら、我が家の場合微かな可能性を残すのは「ウェストミンスター」(改)しかない。

周知のとおり、スピーカーとアンプは持ちつ持たれつの関係にあるので、両方の対策が必要になる。

まずスピーカー側としては現行のウーファーの口径「30センチ」を口径「38センチ」に代える手がある。

とはいえ、あまりにも犠牲になる部分が大きすぎるので両者を天秤にかけると、もうちょっと口径「30センチ」で粘ってみたい気がする。

そこで、アンプ対策に絞ってみて、我が家のアンプ群の中で一番「低音域」が充実したアンプを実験してみたところ、ベストだったのが何と小振りの「6098シングル」アンプだった。

   

今年(2019年)の6月に手に入れたアンプである。

日頃「ウェストミンスター」は中高音域の艶とか抜けとかを優先して「PP5/400シングル」を使っているのだが、中低音域のトルク感となると、多極管の「6098」の方が明らかに一枚上だ。

   

三極管としてはヨーロッパの王者とされる「PP5/400シングル」でさえも、そしておそらく「WE300B」でさえもトルク感ではしっかりしたツクリの多極管には及ばないようだ。(少なくとも我が家では・・)

「真空管・オーディオ活用の奥義」に書いてある通りだった。

あの得も言われぬ中低音域のゴリッとした駆動感は多極管のレーゾン・デートルなのかもしれない。

結局、ここでもまた「二者択一」を迫られてくる。

「PP5/400真空管の中高音域のスカッとした抜けの良さを取るか、6098真空管のゴリッとした中低音域のトルク感を取るか」

オーディオをやっていると、しょっちゅう「二者択一」の刃の切っ先を突き付けられるので、いつも緊張し身構えていなければならない。

まあ、苦にはならないがきっとボケ防止に役立ってくれることでしょうよ(笑)。

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