大雨や大雪、そしてよほどの台風が来ない限り、毎日きまって午前中に団地の中を30分ほどかけてウォーキングしている。
巡回コースもきっちり決まっているので、通りすがりのそれぞれのお宅の駐車場にはどんなクルマが置いてあるか自然に目に映ってしまい、否が応でもナンバーとともに頭に入り込んでいる。
そういう中、ベンツと軽乗用車(以下「軽」)の2台が仲良く並んで駐車しているお宅があって、その対比が何となくおかしくて道路脇を通るたびにひときわ関心を持って眺めている。
両車の駐車している割合となるとこうである。
10日間で均したとすると、5日間は両車ともにあり、4日間は「軽」だけが無く、1日はごくたまにという感じでベンツだけがない。
つまり、「軽」の出番がとても多くて、ベンツの出番となるとごくわずかである。おそらく「軽」のほうが手軽に乗り回しやすいし、駐車も楽だしで需要が多いのだろうと推察している。
まあ、都会ならいざ知らず田舎で買い物程度の近距離にベンツを乗り回すおバカさんもいないだろうから、そんなことなら高価なベンツなんか何も必要ないのにと、おいらのようなビンボー人はつい思ってしまう。
まあ、ベンツとなると乗るよりも持つ楽しみという要素があるのかもしれないが(笑)。
実は、我が家のオーディオシステムにも似たような現象があることに気が付いた。
「軽」に相当するのが3系統の中型スピーカーであり、ベンツに相当するのが比較的大型の「D130(イン・ウェストミンスター)+AXIOM80」である。
先日お見えになったYさんが「この大型システムさえあればもうほかは必要ないでしょう」と、太鼓判を押されるほどの「いい音」が出る。
不遜だが自分もそう思う。歯切れが良くて制動力を伴った本格的な低音が苦も無く出るし、中高音域の抜けの良さはAXIOM80だけあってとても素晴らしい。まったくベンツ並みの高性能を誇っている(笑)。
ところが、日常聴くとなるとこの大型システムのスイッチをオンするのが何となく億劫になってしまい、自然に中型スピーカーに手が伸びてしまうのが我ながら何とも不思議。
改めて、このおかしな心理状況について自己分析してみた。
1 オーディオマニアとして完成された音にはあまり興味が湧かない。逆にいえば未完成な音ほど意欲が湧いてきて生き生きとしてくる。
2 2ウェイマルチで鳴らしているので、チャンデバとアンプ2台のスイッチを入れるのが少々面倒くさい。
3 とてもいい音だと思っているのに音楽ソースによっては変な音が出たりすると幻滅する可能性があるのでそれが怖い。機器の故障にたいする不安も常に頭の片隅にある。
4 どんなに「いい音」が出たとしても大型システムにはそれなりの大味な部分があるのは否めない。「壺中の天」(後漢書)という言葉があるが、中型システムで「小天地」を楽しむのが自分の性に合っている。
5 主な音楽鑑賞の対象はクラシックであり、これはハーモニーを楽しむジャンルなのでジャズと違って大型システムは必ずしも必要としない。
以上の5点を思いつくままに書き出してみたが、こうして冷静に眺めてみると一番もっともな理由はやはり4だろう。
これまで、よそのお宅でも大型システムを何度か聴かせてもらったことがあるが、その時点では感心するものの時間が経ってみるといつのまにか印象が薄くなって忘却の彼方に去っていく音ばかりだった。
スケールの小さい「ちまちま」した自分の性格がどうしてもオーディオに反映されるのかもしれない(笑)。
ただし、昨年(2017)12月のブログ「音楽とオーディオを通じて人生の質を高めよう」の中で、村上春樹さん(作家)がこう言ってたことを紹介した。
「微妙な小さな差を識別できることで”人生の質”が違ってくるし、価値判断の絶え間ない堆積が人生を作っていく」
これからすると、「小天地」だからこそ微妙な差を楽しむことができるともいえそうだ。
と、ここまで書いてきて、我ながら適切な表現を思いついた。
毎日食べるとなると淡白な和食が一番いい、こってりしたビフテキはときどき味わうだけで十分だ(笑)。