「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

秋の好日に「モーツァルト」を想う

2023年10月26日 | 音楽談義

ずっと昔に購入したモーツァルト全集。
          

55枚に亘るCD全集で版元は名門「グラモフォン」とあって指揮者も演奏家もすべて一流ときている・・、で「座右の盤」としていつも目立つところに置いている。

気候的に過ごしやすい秋の好日ともなると、「ど~れ、モーツァルトでも聴いてみるか」となり、この1か月ばかり集中的に聴いているが、改めて自分と極めて相性のいい音楽だと思った。と、同時に新たに想うこともあったので二点ほど列挙してみよう。

な~に、けっして大上段に振りかぶるつもりはない。どうせ、きちんとした音楽教育を受けたわけでもなし、楽譜さえも読めない素人の「戯言」に過ぎないので軽く読み飛ばしてくださいな(笑)。

☆ 「魔笛」と肩を並べる最高峰のオペラ「ドン・ジョバンニ」

この全集にはオペラが6曲収められていた。「クレタの王イドメネオ」(3枚組)「後宮からの逃走」(2枚組)「フィガロの結婚」(3枚組)「ドン・ジョバンニ」(3枚組)「コシ・ファン・トゥッテ」(3枚組)「魔笛」(3枚組)で、計17枚のCD。

55枚の中で17枚のCDということはおよそ1/3の割合。モーツァルトの音楽に占めるオペラの比重は明らかにそれ以上だと思うがまあ、量と質は別ということにしよう。


「イドメネオ」と「後宮からの逃走」を改めて聴いてみると、成熟度一歩手前の感を強くしたものの、それなりに楽しませてもらった。取り分け、後者は”雰囲気”が最後のオペラ「魔笛」にそっくりだったので驚いた。モーツァルトほどの天才でも、いざとなると過去の作品を大いにフィーチャーしているのだ!

そういえば、55枚の一連のCDを聴いていると、似たような旋律がいろんな局面に登場してくることに気付かさせられる。彼の頭の中には過去から現在までいくつもの旋律が折り重なって渦を巻いて流れていたのだろう。

それはさておき、彼の三大オペラとされているのは周知のとおり「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」である。

個人的にもそう思うが、その順番としては「魔笛」が一頭地を抜いており、「フィガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」が同列でそれに続くという意識を持ってきたが、今回改めて本腰をいれて「ドン・ジョバンニ」を聴いてみると、その劇的性、登場人物の心理描写を音楽で表現する巧みさに大いに感じ入った。

まるで手紙を書くみたいに鼻歌まじりで五線譜に音符を記したとされるモーツァルトにとって、音符と言葉を感情表現の伝達手段として同列に位置づけできるのが最大の特色だが、このオペラにもその強みがいかんなく発揮されている。

そもそも「オペラとは何か」ということで、ご承知の方も多いと思うがネットから引用すると、
 

オペラは、舞台上で衣装を着けた出演者が演技を行う点で演劇と共通しているが、台詞だけではなく、大半の部分(特に役柄の感情表現)が歌手による歌唱で進められることを特徴とする。歌手は器楽合奏により伴奏されつつ歌い演じる。伴奏は、多くの場合交響楽団模の編成に及ぶ。 

初期ロマン派までのオペラでは、歌唱には二つの様式がある。一つはレチタティーボ(朗唱)で、会話を表現するものであり、普通の朗読に近い抑揚で歌われる。もう一つはソロ(独唱)で歌われるアリア(詠唱)や複数の歌手が歌う重唱(アンサンブル)あるいは大勢で歌う合唱で、通常の歌唱である。これらの様式はみな伴奏を伴う。

端的に言えば役柄の感情表現を音楽で行うのがオペラというわけだが、登場人物の生身の人間臭さを音楽で強烈に“しゃべらせる”点で「ドン・ジョバンニ」は出色の存在である。旋律の美しさでは「魔笛」に一歩譲るが、ドラマ性では明らかに上回っていて今や両者は“甲乙つけがたし”。

年齢を重ねるにつれて、ますますその「凄さ」に心打たれる「ドン・ジョバンニ」である。

☆ 孤高の作曲家「モーツァルト」


今回の一連の試聴でモーツァルトと他の作曲家ではまったく音楽の作風が違うことにはっきりと思いが至った。音楽の成り立ちがそもそも違っている。

遺されたモーツァルトの有名な書簡によると、「(作曲するときに)全体の構想が一気に頭の中に浮かんできて各パートの旋律が一斉に鳴り響きます。大したご馳走ですよ。まるで一幅の美しい絵画を観ているみたいです。後で音符を書く段になれば、脳髄という袋の中からそれを取り出してくるだけです」(小林秀雄「モーツァルト」)という驚くべき体験を述べているが、他の音楽家たちが苦吟して作曲する過程とはまったく異なっていることがこれで分かる。

過程が違えば結果もまるっきり違う。あまりにも他とは隔絶した音楽なのでクラシックは「モーツァルト」をまったく別物として「その他作曲家たち」と、大きく区分すべきではなかろうか、なんて思ってしまう。

極めて乱暴な「珍説」だろう、この「その他作曲家たち」の範囲には、まことに畏れ多いがモーツァルトに匹敵する、あるいは上回る存在として語り継がれてきたバッハも、それからベートーヴェンでさえも入るのできっと大勢の顰蹙を買うに違いない。

しかし、あの600曲以上にもわたるモーツァルトの膨大な作品を指揮者や演奏などを違えながら、じっくり鑑賞するとなると、「その他作曲家たち」の試聴に時間を割くには「人生はあまりにも短すぎる」と想うんだけどなあ~(笑)。



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