「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

南スコットランドからの「ウマさん便り」~2023・3・5~

2023年03月05日 | ウマさん便り

「二人のジョアンナ、その人生の選択のとき」

ロンドンのホテルでコンファレンスがあった日は、大雪、しかも風の強いかなりの悪天候で、欠席者がかなり多かった。 

欠席者が多く、空いた席が出席者同士の距離を遠くするという主催者の発案で、急遽、大きな楕円形(だえんけい)のテーブルをかなり縮小した。

縮小したテーブルのぼくのすぐ隣りに、ハリウッド女優みたいな美人が座ったんでドキドキしてしもた。

驚いた! びっくりした! ぼくに「日本の方ですか?」と聞いた彼女、めちゃ流ちょうな日本語で挨拶したんや。

「わたしジョアンナと云います。東京に住んでいました…どうぞよろしく。」

スティーブ・マックィーンの奥さんだったアリ・マッグローから野性味を取り除いたような、洗練された清楚(せいそ)な顔だちをしておられる。こりゃ、誰でも振(ふ)り向(む)く別嬪(べっぴん)さんや。 

あのね、誤解のないように云っとくよ。ウマはね、そんな別嬪さんとお付き合いしたいとか浮気をしたいとか、そんな気持ちは、まったく、毛頭(もうとう)、ぜ~んぜん、もう金輪際(こんりんざい)ないのでござるよ(たぶん…)。

美人を見て、ウ~ム、綺麗(きれい)やなあって思うのはね、つまり、美術館で名画を観(み)るのと同じ感覚やね。そう、別嬪(べっぴん)さんはね、ま、つまり美術品ってことなんや。

美術館で名画に手で触(ふ)れたら叱られるよね。ウマはね、もちろん、名画や別嬪さんにタッチするなんて、そんな非常識なことしますかいな。だってさあ、観賞させていただくだけで、もう、充分シアワセでございまっさかい(たぶん…)。 

さて、ロンドンでのコンファレンス、その平和集会で、スコットランドの平和の聖地アラントンの存在を知ったジョアンナは「是非訪ねたい」と、後日ロンドンからアラントンを訪れてくれた。嬉しかったなあ! 美術館の名画の中の美女が、額縁(がくぶち)から飛び出してわざわざ電車に乗って来てくれはったんや。 

ジョアンナ! なんか食べたいもんある?

「ウマさん、梅干(うめぼ)しあるかしら?」エッ? 梅干し?…まかしなはれ! 姉が送ってくれた最高の南高梅(なんこううめ)がありまっせ!

この別嬪(べっぴん)さん、ごはんに梅干しが大好き!それに納豆も大好きだとおっしゃる。で、彼女が滞在中、様々な日本食を作ってあげた。うどん、そばにラーメン、みそ汁、それにチャーハンなどなど…。誰もが振り向くこの別嬪さん、なんと日本食が最高だとおっしゃるんや。

ロンドンでは日本食なんか作ってるの?って訊いたら、いや、ないですと、やや寂しそうにおっしゃる。日本食が最高やって云うのに、アレッ? ちょっとおかしいなと、その時思った。

で、ロンドンに帰る彼女に、おにぎりと共に、アラントンにストックしている様々な日本の食材をあげた。ところが彼女、とつぜん泣き出したんや。エーッ? なんでーッ? すごく嬉しい…と云いながら泣

いてはるんや。ちょっと大袈裟(おおげさ)とちゃうやろか? その理由はかなりあとで知ることになる… 

ロンドン南部のウィンチェスターに住む大阪出身の恭子(きょうこ)は建築家です。御主人のデビッドはウィンチェスター大学の職員で、かなりの日本通の方です。同じ大阪出身の恭子とは親しくしているし、彼女もアラントンでの集まりにはちょくちょく参加してくれる。

恭子は、同じ平和活動の仲間として、ジョアンナとも親しくしていて、ロンドンで、ちょくちょく彼女と会っていると云う。 

ある時、その恭子から、ジョアンナのストーリーを聞いた時は、まあ、驚いた。あの、誰もが振り向く別嬪さんジョアンナの、ちょっと普通じゃない過去を知っちゃったんや。で、思った…

人生って、大事な選択をせんといかん時があるんやなって… 

…ジョアンナは東京で日本人と結婚した。

その相手は、とてもお金持だった。豪華な家に住み、そして、欲しいものは何でも手に入る何不自由ない日々を送ったという。これ以上ない贅沢(ぜいたく)、かつすべてに満(み)ち足(た)りた生活だったとも云う。ところが…

ある日、彼女は、テレビのドキュメンタリーで、住むところも食べ物もない中東やアフリカの難民の過酷な姿を見た。そして、私の人生、今のままでいいのだろうか?…と、ふと考え込んでしまったという。

そう…、その、何不自由ない贅沢な生活に疑問を抱いたんやね。ぼくは、それを聞いて、思わず、億万長者の家に生まれたカレン、アフリカで栄養失調の子供たちが目の前で死んでゆく姿を見て自分の一生の道を決めたカレン(ウマ便り「カレンとシャロン」参照)を思い出した。 

ジョアンナは…難民を生まない世界って平和な世界しかない…そう確信するのに時間がかからなかった。以後、様々な平和活動に関心を向け、そして、実際に参加するようになった。しかし、美人の外人妻が自慢の御主人は、常に彼女を晴れやかな場所に連れていこうとした。が、彼女のこころは、そんなうわべだけ、つまり、虚飾(きょしょく)の生活からますます遠のいていったという。

彼女のこころを理解しようとしない夫との距離がだんだん遠のき、結局、離婚と云うかたちで日本での生活を終えた。 

ロンドンに戻ったジョアンナは、エスニックミュージックを専門とする音楽プロデューサーの助手の職を得る。そして、その職場で知り合ったのが、イスラムのスフィーグループ(知的穏健派(ちてきおんけんは))のメンバーのパキスタン人だった。

お金や贅沢(ぜいたく)以上に、より精神的な拠(よ)りどころを求めていた彼女は、優しいとはいえ、とても裕福(ゆうふく)とは云えない彼との結婚を決意した。 

夫の母親も同居する狭(せま)いアパートでの生活は決して快適なものではなかったし、彼女に家計を任(まか)せてもくれなかった。買い物もいちいち細かく指定され、レシートも点検された。ま、日本での贅沢(ぜいたく)な日々とは雲泥(うんでい)の差の生活やね。

ロンドンには、日本の食材がかなり揃(そろ)っている。しかし、彼女には、大好きな日本の食材など、梅干(うめぼ)しひとつ買うことは許されなかった。だから、僕が彼女に日本の食材をあげた時、堰(せき)を切(き)ったように涙を見せたんですね。 

さてさて、その後、ずいぶん年月が経(た)ちました。ごく最近の事です… 

何度かアラントンを訪れたジョアンナだけど、ここんとこしばらくはご無沙汰していた。それで、その後。どうしてんのかなあ?と思い、メールを出してみた。

「ジョアンナ、その後、元気にしてる? たまにはアラントンにおいでよ」

すると、嬉しい答えが返ってきたやないですか。それを見たウマはめちゃ嬉しかったねえ。 

独立した御主人の事業がかなり順調で、二人目の子供が生まれたのを機会に、ロンドン南東部の海沿(うみぞ)いの、かなり広い土地付きの家に引っ越したと云う。

そして「今はとても幸せに暮らしてます」だって…

「ビーチに近い新しい家に引っ越して、今、とても幸せです。夫も義理の母も、いつの頃からか、私の平和活動にすごく理解を示してくれるようになり、私の念願だった、庭にピースポールを立てることにも賛成してくれました。

私の好きな日本の食べ物を、この頃では夫も母も一緒に食べてくれるようになり、私は、今、日本の食材を自由に買うことが出来るどころか、夫や母親から日本食のリクエストを受けるんですよ。一時期のことを思うととても信じられない。

すごく苦しい時期、すべてを投げ出したい時もあったけど、いつも、これからきっと良くなると信じて、祈りを欠かさない日々を送ってきました。

アラントンは、とても不思議なところです。アラントンに滞在するたびに、間違いなく特別な波動を、心強い波動を、いつも肌で感じていました。アラントンを訪れたことが、間違いなく、今の私の、幸せに繋(つな)がっていると信じてます。

ウマさんはじめアラントンの皆さんには、とても感謝しています。次回お邪魔する時は、家族全員で行くつもりです…」 

美人を観賞出来たうえに、その額縁(がくぶち)の中に秘(ひ)められたストーリーを知り、さらに、額縁の中のその別嬪(べっぴん)さんが幸せになったことも知り…いやあ、ウマはなあ、素敵なメールをもらって、とても嬉しいわ。

ジョアンナの選択(せんたく)…間違ってなかったんやね。

(もう一人のジョアンナ)

アラントンに、ボランティアとして、ちょくちょく来てくれる、近郊の村に住むジョアンナはゲイの方です。歳のころ40歳半ば、知的な美人で、しかも穏やか、誰からも敬愛されている。ウマももちろん大好きな方や。 

日本にいた時、ゲイと云うのは男の同性愛者のことだと思っていた。ところが、こちらに来て、男女問わず、同性愛者のことをゲイと呼ぶのを知って驚いた。つまり、レズビアンの方もゲイなんですね。広辞苑には(男の)同性愛者とあるけど、これは間違い。(男の)はいらないね。 

ぼくは、同性の結婚を事実上認めているこの国で、同性同士の結婚式に呼ばれたことがある。あのスーパースター、エルトン・ジョン…ゲイの彼に女王が<サー>の称号を与える国やしね。

カミングアウトしているゲイの人は多いよ。ぼくのまわりにもいるけど、実はね、素晴らしい人格者ばっかりなのよ。彼らのまわりの人々で、彼らを拒否する人はひとりもいない。ぼく自身も、彼ら同性愛者の存在を認めている。なぜか? 

人がこの世に生を受ける…、男に生まれるか女として生を受けるか…いわゆるジェンダーやね。ところが、神さんが、ちょっとイッパイ呑(の)んではったんやろか、或(ある)いはちょっとよそ見してはったんやろか、そんな隙(すき)に、体は男、でも心は女、或いはその逆…てな方が、この世に生を受けるんや。 

心身が逆転した状態でこの世に生まれてしまったことは、ま、しゃーないよね。第一、本人にまったく責任などないじゃない。だから、そんな性を隠すことなく生きていける社会も必要だとぼくは思っている。どうしてそんな思いに至ったかと云うとね、前述したように、ぼくのまわりのゲイの皆さん、知的で見識のある方ばかりやからです。 

イングランド人のダイアナ、イタリア人のアンティネラ…

平和活動に人一倍熱心な彼女たちの結婚式には、双方の両親はもちろん、イタリアからも多くの方が列席された。素晴らしい結婚式、そして実に温かい雰囲気のパーティーだった。彼女たちの親兄弟も含め、誰もがハッピーなひと時を過ごした。

新婚のカップル、そのどちらもが女性だったのが、日本ではちょっと考えられないことだけど… 

アイルランド人のキャロルとモイラ…

大阪に長く住んだこのゲイのカップルは、僕たちの古い友人で、僕の子供達も小さい時から親しんでいる。この二人、今、故郷アイルランドのダブリンで幸せに暮らしているけど、周りの誰もが、彼女たちがゲイである事を知っている。

二人ともキャリア豊かな教師で、キャロルなど校長先生を務めている。そう、ゲイであることが社会にまったく迷惑をかけていない。 

僕の長女、くれあの高校時代の同級生ニッキー・スペンスは、いまや押しも押されもしないスコットランドを代表するテノール歌手となった。そのファーストアルバムは、クラシックでは異例と云えるベストセラーとなり僕も愛聴している。

彼は、学校祭で、いつもくれあと日本の歌をデュエットした。学校一の巨漢(きょかん)、まるで相撲取(すもうと)りみたいな彼が、くれあと踊りながら日本語で唄ったユーミンの「まちぶせ」など、先生方や御父兄さんたち、おなかを抱(かか)えて笑っていた。

巨漢の彼がゲイだということは、先生も含め学校中の誰もが知っていた。でも、誰一人、それを非難する者はいなかった。それどころか、彼、ニッキ―は、学校で一番の人気者でもあった。うち、アラントンにもよく遊びに来た。 

毎年、大晦日(おおみそか)に恒例(こうれい)となっているグラスゴー・ロイヤルコンサートホールでの彼のコンサートはいつも満員です。彼が登場した途端(とたん)、歓声があがります。

彼、ニッキ―は、毎回、僕たちを一番いい席に招待してくれる。僕の姉、美也子は、着物姿でこのコンサートに行き、彼、ニッキーとビッグハグしてたね。 

いかがですか? こちらでは、尊敬を受けるゲイの方の存在が少なくないってこと、わかっていただけたかな? 少なくとも、僕のまわりでは、という注釈付きではあるけど…

日本では一部のタレントがゲイとして社会的に認められていると思

う。おすぎとピーコ、美輪明宏などなど…、でも、ごく一般の人も、ゲイとしてもっと認知されていいと思う。それを隠すことなく生きていける社会って、きっといい社会だと僕は思っている。 

前置きが長くなっちゃった。さて、ジョアンナ… 

ゲイの彼女、パートナーとの間には、当然、子供は出来ない。

いつだったかなあ、彼女が、ぼくに、晴れやかな笑顔で云ったことがある。「ウマ、わたし、養子をもらおうと思ってるの」

ああ、それはいいことやね。ジョアンナ、養子を迎えたら、是非、アラントンにも連れてきてな。 

それから半年ほど過ぎた頃だった。アラントンでの集まりに、彼女は初めて、その養子の子を連れてきた。

驚いた! びっくりした。車椅子(くるまいす)のその子を見て驚いた。10歳だというその男の子、小児マヒで口もきけないうえ、杖(つえ)を使っても一人では歩けない。

養子にもらった子が小児マヒ、しかも車椅子、自分で歩けない。口もきけない。

北アイルランドのロンドンデリーの生まれだという彼サミュエルは、小さい時に両親とも交通事故でなくし、ロンドンデリーの施設で育ってきたという。 

養子をもらって、やや誇らしげなジョアンナ、とても嬉しそうなのよ。

でも、でもな、ちょっと迷ったけど、ぼくは思い切って彼女に尋(たず)ねたんや…

「ジョアンナ、こんな子を養子にもらうって、苦労も覚悟してのことなの?」

ところが、彼女の返事には、思わず目を白黒してしまった。

「苦労なんてぜんぜんないのよ。彼サミュエルがこの世に生を受けたことには大きな意味があるのよ」

「えっ? どんな意味?」

「私たちのようにごく普通にハンディなく生まれてきた多くの人間の代わりにハンディを背負って生まれてきたのがサミュエルなのよ。私はね、その意味を共有出来るのでとても幸せ、苦労なんてないのよ。彼を養子にもらったことは素晴らしい選択(せんたく)だったと思ってるのよ」 

なんちゅう人や! なんちゅう選択や! ぼくは思わず天を仰(あお)いでしまった。この世にこんな人がいるんや!

そして、あの、ヘレン・ケラーの言葉を思い出した…

…人生で、もっとも刺激的なのは、人のために生きる時です… 

追記:

北アイルランド・ロンドンデリー生まれのサミュエルに「ロンドンデリーの歌」をCDで聞かせたことがある。戦場に赴く息子を想う親の気持ちを伝えるこの歌は、アメリカに渡り「ダニーボーイ」となり、ナット・キング・コールの唄などで広く知られるようになった。

ぼくが、サミュエルに聞かせた「ダニーボーイ」は、若くして亡くなったアメリカのシンガー、エヴァ・キャシディのアルバム「イマジン」に収録されている。

生前の彼女は無名だったけど、没後、英国のBBCが、彼女の唄を放送したところ大反響があり、エヴァ・キャシディの名は世界中に知られるようになった。

多くのシンガーがこの歌「ダニーボーイ」を唄ってるけど、エヴァ・キャシディがギターの弾き語りで唄うこの歌は胸に迫るものがある。魂の叫びのようなものを感じるのはぼくだけではないと思う。

サミュエルは口がきけない。しかし、目を閉じてエヴァ・キャシディのこの唄を聴いていた彼の目から、涙がこぼれるのを見た…

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