前回からの続きです。
およそ1か月半ぶりに我が家に試聴にお見えになった同じ「AXIOM80」仲間のKさん(福岡)。今回の一番のお目当ては新しいホルンを導入した「JBL3ウェイ・マルチ・システム」にあるが、ありていに言うと「聴いてみないと分からないので半信半疑の状態」というのが正直なところだろう。
当方にとっても自分の耳だけではちょっと心許ないので、ご意見を伺うのに絶好の機会である。
まず、試聴盤としてやおら取り出されたのがモーツァルトのピアノ協奏曲。
「モーツァルトのピアノ協奏曲はもうとっくの昔に卒業しましたよ」と内心思ったが、まさかお客さんの面前で口にするわけにはいかない(笑)。
仕方なく一緒に耳を傾けていると、実に心が洗われるようないい演奏である。
Kさん曰く「モーツァルトの音楽は(涙の追い付かない)哀しさが疾走していくところにありますが、この演奏はそれをよく体現しています。この演奏に比べると、往年の名ピアニストのクララ・ハスキルの演奏はやや思い入れが強すぎて軽快さが失われていますね。」
「そうなんです。モーツァルトの音楽の本質は飛翔ですから、慎重になり過ぎて軽快さを失うともうダメですね。一例をあげるとあのフリッチャイほどの名指揮者がオペラ<魔笛>ではあまりにも重々しくなりすぎて取るに足らない演奏になってます。それにしてもこのピアニストのマリア・ティーポというのはうまいですね。淡々と、それでいてそこはかとなくモーツァルトの哀しみが伝わってきますよ。」
実を言うとモーツァルトの数あるピアノ協奏曲の中では「22番」が一番好きで、昔「カサドシュ」の演奏に耽溺したことがあって、第三楽章の4分前後にまるでこの世のものとは思えないような美しい旋律が出てくる。
そこで、ついでにカップリングされている22番も合わせて聴かせてもらったがカサドシュに一歩も引けをとらない演奏ぶりだった。Kさんが帰られた後で(カサドシュと)改めてじっくりと聴き比べてみたところ、やっぱり若い時分にいったん脳裡に刷り込まれた印象を覆すのは難かしい。学術的には「刷り込み現象」というものだが、畢竟ティーポはカサドシュを越え得なかった。
次の試聴盤は手持ちのCDの中からジャズの「ビッグ・バンド」(カウント・ベイシー)を聴いてもらった。
試聴後にKさんからようやくシステムの感想について一言。さすがにKさんはシステムのアラを少しでも見逃さなかった。
「このホルン付き2440は想像以上にいいですね。音のスピード感が抜群です。中高音部の音の<立ち上がり>と<立ち下り>は申し分ありません。それに小出力アンプで駆動しているせいかホーン啼きがいっさいありませんね。
しかし低音域のスピードがちょっと立ち遅れ気味です。クラシックでは目立ちませんが、ジャズになるとちょっと厳しいです。どうも低音用のWE300Bアンプのパワーがあり過ぎて制御が利いていない気がします。いっそのこと低音域用のアンプをナス管アンプに変更したらいかがでしょう。」
Kさんは何よりも音のスピード感を重視される方である。低音部が下手に膨らむと中高音域に被ってきて透明感が失われるのを凄く警戒されるので我が家で試聴中にも低音部のボリュームをちょっと落としてくれませんかとの申し出が再々ある。
音の<立ち上がり>と<立ち下り>が優れていると何がいいかといえば、余計な付帯音が無くなるので音響空間にふわりと「音の余韻」が漂い出すのが分かる。オーディオで何を大事にするかは人それぞれで、好みの問題なのでいいも悪いもないが、近年、自分の優先順位は何よりも「音のスピード感=余韻」が一番である。
それにしても「低音部をきちんと鳴らすにはパワーが要る」という固定観念をずっと持っていたので、出力が“たかだか”1ワット前後の小出力の真空管アンプで(低音部を)鳴らそうという発想は自分には微塵も湧いてこなかった。思いもかけぬご提案に眼からウロコだったが、持つべきものはマンパワー(人的資源)ですなあ(笑)。
とにかく「何ごとも実験ですからやってみましょう。ちょっとお時間拝借」ということで、手早くアンプの総入れ替えを行った。な~に、RCAコードとSPコードを繋ぎかえるだけだからものの15分もあれば済む話。
結局、最終的なシステム構成は次のようになった。
共通部分 → CDトランスポート「dCSのラ・スカラ」 → DAコンバーター「ワディア27ixVer3.0」
低音部(タンノイのHPD385の低音域だけ使用) 「プリアンプ」 → 「ナス管アンプ・2号機」
中音部(ホルン付きJBL2440ドライバー) 「カンノのトランス式アッテネーター」 → 「ナス管アンプ・1号機」
高音部(ステンレス・ホーン付きJBL075) 「特注アッテネーター」 → 「古典管プッシュプル・アンプ」
これで、3台のアンプとも全て1920年代製造の同じ真空管で統一したことになる。しかもアンプの出力といえば、いずれも小出力の1ワット前後である。「これではたしてどんな音が出るんだろう」と、期待と不安が交錯する。
改装後の最初の試聴盤はKさんが持参されたレオンハルトが弾く「ゴールドベルク変奏曲」(チェンバロ)。Kさんによるとチェンバロはオーディオ・システムにとってもっとも再生が難しい楽器とのこと。
しばらく聴いているうちに「良し、パワー不足は感じられないし、肝心の低音部の遅れも目立たない」と思った。それに音色の美しさもさることながらステージがきれいに出来上がっている。
Kさんからも「素晴らしいですね。これほどきれいに鳴るチェンバロを初めて聴きました。爪で弾く感じが実によく出ています。もう完璧ですよ。この音を聴いてあれこれ言う人は音が分からない人ですから、いっさい気にする必要はありません」と太鼓判を押してくれた(笑)。
いやあ、アンプを替えるだけでこれだけ全体のバランスが良くなるのだから恐れ入りやの鬼子母神。それにしてもこの古典管の素性の良さには改めて感心した。あくまでも控え目でいながら必要な音をきちんと出してくれるし、澄み切った透明感と清澄感は何物にも代えがたいほどで、まるで真空管の神様のようだ。
「散々真空管遍歴を重ねた人が最後に戻ってくるのがこの古典管だと言われています。まあ、魚釣りはフナ釣りに始まってフナ釣りに終わるようなもんですよ。」と、この球の大の愛好者のKさん。
いつもは主役の「AXIOM80」さんだがとうとうこの日は脇役に回ってしまった。それでも「WE300B」アンプと「PX25」アンプで鳴らす「80」さんは相変わらずの魅力を放っていた。
「これまで聴かせていただいた中では今日が最高の音でしたよ。」との言葉を残し、5時間ほどの試聴を終えてKさんが満足気に帰途につかれたのは17時ごろだった。
そして、18日(日)の午後は新たに大分から馴染みのお客さんが2名試聴にお見えになった。もしかして当方のブログをご覧になって新しいホルンに興味を持たれたのかもしれない。千客万来(笑)。
結局2時間ほど試聴されたが、結論から先に述べると異口同音に「いやあ、驚きました。これまでのJBLとはまったくの様変わりです。音が実に柔らかくてきれいな余韻が輪のようになって音響空間を漂っています。音楽の一番おいしい部分がこういう音だとまったく疲れないですね。それとシステムの主役がはっきりしていて低音部が控え目で自己主張していないのも功を奏していますよ。まったく違和感がありません。」と絶賛の嵐だった。
「よくもまあ、こんなホルンを考え付く人がいるもんですよ。“スピーカーは楽器の延長だ”という発想がないと絶対に湧いてこないアイデアですね。世の中には熱心なマニアがいるもんです。しかし、たかがホルン一発でこれほど音が様変わりするのですからオーディオは怖いですね~。」と自分。
「勉強になりました。自分も考えないと・・・」「とにかく感動しました!」とそれぞれの言葉を残してお二人とも帰られたが、Kさんをはじめこれほどお客さんに喜んでもらうと、まったくオーディオ冥利に尽きますわいなあ(笑)。
ところで、前述のように大いに活躍してくれるホルンだが、これほどの稀少品を無償で譲り受けたというのがいささか気になってきた。ブログで勝手に“はしゃぎまわる”自分を見て「北国のおじさん」はどう感じておられるんだろうか。
「性能に見合う対価」をきちんと払うのが世の中の常識というものなので「北国のおじさん」宛てに次のような確認のメールを送った。(17日)
すると翌日(18日)に次のような返信メールが届いた。(要旨)
「ホルンの効果について単なる自己満足なのか、心配不安もありましてそちらの所見をお尋ねいたしたく送りましたが、ご満足していただき望外の喜びでした。このホルンはおそらくどこかの学校で生徒が何十年も使ったものだと思います。ま、第二のホルン人生の良きお勤めをしていただければ生徒さんも喜んでくれると思います。」
改めて心から感謝です。せめてもの祈りです、どうか「北国の春」が早く訪れますように~(笑)。