福島潟の水辺から、遊歩道を歩いて「観察舎・雁晴舎」を目指しました。
この「福島潟」には何本もの川が流れ込んできています。もともと周辺地域の干拓が進んで残った地域が「潟」となったわけです。
周辺地域からの水が満々とたたえられています。広大で複雑な地形として残されています。
なんとこの水面のレベルは、日本海の水面より低いマイナスだというのですから、びっくりです。
流れ出す「新井郷川」をはじめ「福島潟放水路」などの整備で、水害から守られているようです。今では、貴重な自然が残されている聖域ですね。
やがて、観察舎の「雁晴舎」が見えてきました。
観察舎から、出かけてきた「菜の花畑」や「びゅー福島潟」の建物を望んでみました。
ちょっと痛くなってきた足を気にしながら、道を戻りました。広大で素晴らしい光景ですよね。
ようやく出発点まで戻りました。
新潟県のいわゆる平野部は、「信濃川と阿賀野川」と言う二大河川が運んできた土砂の堆積によりできたものなんでしょう。
ですから、蒲原平野ともいわれ、文字通り「葦原と沼地(潟)」であったと思われます。
そのために、新潟県にはいくつもの「潟」が残っています。私の撮影ポイント「福島潟、鳥屋野潟、上堰潟」などでもあるわけです。
先人のご苦労により残されている、大切な大切な自然遺産なのですよね。
この「福島潟」には何本もの川が流れ込んできています。もともと周辺地域の干拓が進んで残った地域が「潟」となったわけです。
周辺地域からの水が満々とたたえられています。広大で複雑な地形として残されています。
なんとこの水面のレベルは、日本海の水面より低いマイナスだというのですから、びっくりです。
流れ出す「新井郷川」をはじめ「福島潟放水路」などの整備で、水害から守られているようです。今では、貴重な自然が残されている聖域ですね。
やがて、観察舎の「雁晴舎」が見えてきました。
観察舎から、出かけてきた「菜の花畑」や「びゅー福島潟」の建物を望んでみました。
ちょっと痛くなってきた足を気にしながら、道を戻りました。広大で素晴らしい光景ですよね。
ようやく出発点まで戻りました。
新潟県のいわゆる平野部は、「信濃川と阿賀野川」と言う二大河川が運んできた土砂の堆積によりできたものなんでしょう。
ですから、蒲原平野ともいわれ、文字通り「葦原と沼地(潟)」であったと思われます。
そのために、新潟県にはいくつもの「潟」が残っています。私の撮影ポイント「福島潟、鳥屋野潟、上堰潟」などでもあるわけです。
先人のご苦労により残されている、大切な大切な自然遺産なのですよね。
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