Esquire2024/03/20 Ryutaro Hayashi
観光から体験へ。世界基準の国立公園をめざす動きが始まっています。
極寒の阿寒が熱い。いや、アツい。なんでも、新たな旅のスタイルに向けた取り組みが進められているのだということ。そんな噂を聞きつけて、オーストリア生まれのスキーブランド「FISCHER(フィッシャー)」からの招待で道東(どうとう:北海道東部)の阿寒湖へ。森と湖畔をめぐり、BCクロカンで凍った阿寒湖の上を冒険。見えてきたのは豊かな自然と、新たな姿を模索する国立公園の姿でした。
そこは豊かな自然と野生動物が暮らす楽園
今回訪れた阿寒湖があるのは、釧路空港から車で40分ほど北上したエリア。道東は北海道の中では比較的雪の少ないエリアとのことでしたが、それでも空港から町までの道中には多くの雪が残り、冬の北国の厳しさが顔をのぞかせています。いくつかの集落を過ぎると車窓の外には広大な森が広がり、野生の鹿の親子が出迎えてくれました。「いまの動物、見た!?」などと車内で騒いでいる間に、車は阿寒町阿寒湖温泉に到着。ここが今回の旅の宿泊地で、建ち並ぶホテル群に隣接するように冬の寒さで湖面が凍った阿寒湖が広がっています
羽田空港からの所要時間は95分。たまっていた原稿を書き終える間もなく、あっという間に到着した釧路空港。愛称は「たんちょう釧路空港」。「タンチョウの里」とも呼ばれる釧路の自然に由来する愛称です。この時期、羽田空港からは1日6便。
阿寒湖について説明する前に、まずは阿寒湖を擁する「阿寒摩周国立公園」について。
日本で初めて国立公園が指定されたのは1934年、この年に8つの国立公園が誕生しました。3月に指定された瀬戸内海、雲仙、霧島の3カ所が日本初の国立公園となりますが、阿寒摩周国立公園は同年12月に指定された歴史ある国立公園となります。サッカーJリーグでは、1993年の開幕元年にリーグに加盟していたチームを愛着込めて“オリジナル10”と呼びますが、言ってみれば阿寒摩周国立公園は、国立公園の“オリジナル8”的な存在というわけです。
阿寒摩周国立公園内には現在も噴気活動が続く火山性の山々と、それを包むようにエゾマツ、トドマツなどの亜高山帯針葉樹林、そしてナラなどの広葉樹を交えた針広混交林の深い天然林が広がっています。そして北西には標高1370mの雄阿寒岳(おあかんだけ)、南東には標高1499mの雌阿寒岳(めあかんだけ)を望む山麓、標高420mに今回訪れた阿寒湖があります。周辺には世界有数の透明度を誇る摩周湖、国内最大のカルデラ湖として知られる屈斜路湖が点在しています。
もし公園の名前に少しピンとこないなら、それは2017年に名称が変更されたからかもしれません。以前は、「阿寒国立公園」の名前で親しまれていました。
原生的な自然に恵まれる阿寒摩周国立公園には、距離や難易度の異なる充実したトレイルがそろっています。登山やトレッキング、森林散策に加え、カヌーやフィッシング、キャンプ、そして冬場はスキーなどアクティビティも充実。
春になれば森の中で新緑の香りを嗅ぎ、夏になればテントを張ってエゾマツやトドマツに囲まれて眠りに就くことも。カヌーやボートで阿寒湖にこぎ出すのは相当気持ちがいいはずですし、冬になれば世界基準のレースも開催される町自慢のスキー場で優雅にシュプールを描いてみたり、スノーボードで傾斜を攻めるのもアリ。疲れた身体は、温泉が優しく癒やしてくれるはずです。
国立公園満喫プロジェクトが進行中。“日本のヨセミテ”が誕生する日も⁉
思いっきり身体を動かした後は、文化的な体験も。
今回宿泊したのは阿寒湖畔の阿寒町阿寒湖温泉でしたが、この町には道内最大級のアイヌコミュニティ「阿寒湖アイヌコタン」が広がっています。ほかにも、「アイヌシアターイコㇿ」という国内初のアイヌ文化専用劇場があり、2022年には阿寒湖の目の前に「阿寒アートギャラリー」が完成しました。このギャラリーでは、地域の自然やアイヌ文化と向き合う芸術家の作品が展示されています。町を少し歩けば、先住民族の伝統文化の一端に出合えます。
Wolfgang Kaehler//Getty Images
アイヌ文化専用屋内劇場の「阿寒湖アイヌシアターイコㇿ」。ユネスコ世界無形文化遺産に指定された「アイヌ古式舞踊」や、映像や現代舞踊の演出を加えた「ロストカムイ」などの演目が鑑賞可能。
豊かな自然と古来の文化という観光資源に恵まれる阿寒摩周国立公園ですが、今後さらに進化する可能性も。この公園では「国立公園満喫プロジェクト」という環境省が提唱する計画が、数ある国立公園の中でも先行的かつ集中的に進められています。その大きな枠組みの中、現在はプロジェクトを推進するための具体的な取り組み内容にあたる「ステップアッププログラム2025」が策定され、実施されています。
国立公園満喫プロジェクトは、日本を訪れる外国人旅行者数の目標を6000万人とする政府の取り組みの一環という位置づけ。公園の魅力をより広く知ってもらうことが大きな柱となります。
その内容をざっとかみ砕いて説明すると、『その自然には、物語がある。』をテーマに、自然だけでなく地域の伝統文化や歴史、人の暮らしに触れられる国立公園を目指すというもの。ツアーオペレーターの育成や公園内の公共空間の整備などのアップグレードに加え、国立公園の新たな活用方法なども話し合われ最終的には世界水準のナショナルパークとしてブランド化を図ろうとする、なんとも壮大な計画です。
実現のためには、ここでは書ききれないほどに複雑な問題が数多く存在するのは確かでしょう。ですが、少なくともこの取り組みは、知らぬ間に忘れていた国立公園の価値やポテンシャルを改めて考え直す良いきっかけになるように思いました。もしかしたらいつの日か、アメリカにおけるヨセミテやイエローストーンなどと肩を並べるほどに有名な国立公園が日本にも数多く誕生するかもしれません。
阿寒湖の生き字引が語る“負の時代”からの再生
未来へのポテンシャルを感じられた今回の阿寒湖巡りですが、その阿寒湖も以前は汚染に悩んでいた歴史がありました。当時をよく知る松岡尚幸さんによると、「湖畔は一時、ヘドロでひどいありさまだった」と言います。
「もともとは、とてもきれいな湖だったんですよ。ボートで湖に出たら、手で水をすくってそのまま飲んでいたくらいですからね。それが観光客の増加などで人の手が多く入るようになった。排水が湖に流れ込むようになると、湖はヘドロ臭くて近づけたものじゃない。私が高校生くらいのときだから、50年以上前のことですかね」
排水処理設備が整備されて以降は徐々に水質は改善され、現在では水の透明度が9メートルにまで達したということ。それは阿寒湖が国立公園に指定される前とほぼ同水準とされる美しさ。一時からの自然環境改善の裏には設備完備だけでなく、自然に対する人々の意識に大きな変化があったことも想像に難くありません。
そんな再生物語を聞き、阿寒湖の自然がただ天から授かったものだけでなく、地元民の努力によって再び獲得された恵みでもあることを知ると、この町の自然もまた違って見えるように感じられました。
BCクロカンで凍結した阿寒湖の上を行く
2月半ばの訪問となった今回。オーストリア発祥のスキーブランド「フィッシャー(Fischer)」の案内で、その凍った湖面を利用して「BCクロカン」で阿寒湖を歩くという特別な体験もしてきました。ちなみにフィッシャーは1924年からスキー製造事業を行い、現在も個人経営の同族会社として歩みを続けている歴史あるブランドです。
そのBCクロカンですが、正式名称を「バックカントリー(BC)クロスカントリー(クロカン)」と言い、要はゲレンデではなく雪原や雪山を歩くために生まれたスキーとなります。よく似た存在に「クロスカントリースキー」がありますが、それはゲレンデ以外の雪山などの滑降を楽しむアルペンスキーを指すことが多いのだそうです。
ブランドやユーザーの歩く(滑る)スタイルによって多少の違いはあるものの、道具も他のスキーとは少し違います。今回はフィッシャーの道具を使用しましたが、まずBCクロカン用のブーツが軽くて実に歩きやすかったです。個人的にスキーと言えばプラスチック製ブーツのイメージを持っていましたが、レザーや特殊なファブリックが使用されていて、その印象はほぼ登山靴のよう。爽快感があり、雪山で履くからと言って特別に疲れやすいという印象もありません。スキー板は軽いうえに短く、扱いやすい。板にブーツを取り付けるビンディングは、つま先だけを固定するタイプでした。
ツアーインストラクター先導のもと、凍った阿寒湖の上へと歩き出します。「歩く」とは言っても、スキー板を前に押し出してから引きずるように動かすので、歩きと滑りのちょうど中間のような動きで前へ前へと進んでいきます。この時期の氷の厚さはおよそ20~30センチほど。多くの場所では凍結した氷の上を雪が覆い、実際に歩いた感覚は整備された雪の野道のようでした。
ブーツもスキー板も軽いので、とにかく取り回しが楽。ブーツの踵(かかと)がスキー板に固定されていないこともあり、普段通りに歩くような感覚でストレスなく湖の上を進んでいきます。雪道移動のハードルが低い(というか、ほぼない)ので気分に余裕が生まれ、おのずと視線は周囲の雄大な景色へ。普段は水で満たされている湖上だけに視界は抜群、360度見渡す限りに大自然が広がります。阿寒湖を挟むように屹立(きつりつ)する雄阿寒岳と雌阿寒岳を眺めながら、この地にまつわる説明をツアーインストラクターから受け、凍った湖の上を縦横無尽に散策していきます。
冬ならではの自然に包まれるゆったり過ごす贅沢な冒険
自然の声に耳を傾け、冬の大自然をゆっくりと眺めながら自然の中へと分け入っていくBCクロカンならではの体験。それはとてもぜいたくな時間に感じられ、スピードや爽快感、技の難易度を求めるスキーやスノーボードとは違う観点で楽しむ冬の雪原は他にはない魅力に満ちていました。
ましてや今回の訪問では、阿寒湖にまつわる歴史やこの町の文化、国立公園としての未来像にも触れることも。そのおかげでしょうか、ゆっくりと噛みしめるようにこの地と対話し、大自然を少し奥行きのある視点で眺められたように思います。
BCクロカンを2時間半楽しんだ感想としては、とにかく手軽で簡単。普段スキーをしない人でも簡単に楽しめるアクティビティだということ。スキー旅行の中のプログラムのひとつに入れるのもよさそうです。そして、春から秋にかけて森の中でトレイルやハイキングを楽しむのと同じように、「アウトドア」という文脈の中で楽しめるのがBCクロカンの魅力であるように感じました。
今回主催したフィッシャーの担当者によると、BCクロカンは北欧ではすでに暮らしに密着した存在であるとのこと。日本での認知度はまだそれほど高くはありませんが、仲間との会話を楽しみながら、ゆっくりと冬の自然と対話するにはうってつけのアウトドア。次のスノーシーズンには、BCクロカンで豊かな冬時間を過ごしてみるのもよいかもしれません。
https://www.esquire.com/jp/lifestyle/travel/a60169201/explore-for-akan-lake-with-fischer/