北海道新聞 06/02 05:00
2020年東京五輪聖火リレーのルートが1日、発表された。聖火リレーは、平和や希望の道を照らすとされ、国民が身近に五輪を感じるイベントでもある。それだけに、時代を語る道しるべにもなってきた。「復興五輪」を掲げる20年東京大会で、聖火は各地で何を発信し、人々はどんな思いを託すのか。過去の聖火ランナーたちは来年、巡る地域を多くの人が理解し、未来につながるリレーになることを願っている。
聖火リレーのスタート地点となる福島県。福島商工会議所会頭で、県商工会議所連合会会長の渡辺博美さん(72)は、前回1964年東京大会で聖火リレー走者を務めた。
当時は高校3年生。開会が10月10日に迫った9月28日夕、競馬場付近から県庁までの約2キロを走った。沿道に歓声を上げ日の丸を振る人々がひしめき、県庁前広場もごった返す熱気に「戦後から立ち直ろうとする日本が一つになった気がした」と振り返る。
■再び福島の力に
大会後、福島はバブル経済の浮沈や、11年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経験した。福島ヤクルト販売の社長時代に被災し、社員の生活を守るため、昇給を行うなど奔走した渡辺さんは、五輪に「復興」という言葉を重ねることに違和感があると明かす。
震災後、人知れず、目立たずとも被災者を支え、地域で汗を流し続けた人たちを見てきた。しかし震災から8年が過ぎた今、生活に差が生じ、誰もが再建を果たしたわけではない現実がある。「被災者は、外の人たちが使う『復興』の言葉に傷つくこともある」
そんな渡辺さんだが、心強いと思うことがある。幼くして被災した子供たちが、渡辺さんらが聖火ランナーを務めた年代に成長し、「古里の役に立ちたい」と話してくれることだ。「被災地のありのままを感じ、地域の課題や未来に目を向けるきっかけになれば」。自らがランナーとして感じた聖火の力が、再び福島の若者たちに宿ることを期待している。
■沖縄の命の叫び
「TOKYO 1964」と胸に記されたユニホーム。トーチには、黒いスス跡が残る。
64年東京五輪の際、日本列島で最初の聖火ランナーを務めた沖縄県浦添市の宮城勇さん(77)宅には、実際に使ったユニホームとトーチが今も大切に保管されている。
当時は米軍統治下だった沖縄。9月7日、立すいの余地がないほどの人だかりとなった那覇飛行場から琉球大4年だった宮城さんが第一歩を踏みだした。割れんばかりの拍手と歓声。沿道から万歳三唱が起こる。
米軍は日の丸を反米の表れと警戒し、沖縄では法定の祝日以外、公共の場で掲揚を禁じていた。にもかかわらず、那覇も激戦地となった摩文仁の丘も、サトウキビ畑でも、人々は手に手に日の丸を振り続けていた。沖縄戦後史を研究する県文化振興会の豊見山和美さん(56)は「米国は国際社会の目を気にして黙認した」とした上で「聖火リレーには、異民族統治の苦しみから自由になりたいという沖縄の住民の願いが込められていた」とみる。
沿道に、戦争で家族を失った人が遺影を抱いて立つ姿もあった。自身も父親をマーシャル諸島の戦闘で亡くした宮城さんは言う。「聖火リレーは本土復帰への大きなインパクトになった。まさに、平和を希求する沖縄の命の叫びの炎だった」。日本に返還されたのは、それから8年後だった。
■基地問題は今も
56年ぶりに聖火が戻ってくる20年大会は、沖縄発祥の空手が追加種目になった。17歳で64年大会の聖火ランナーを務め、現在は空手の世界王者・喜友名諒選手(28)らを指導する佐久本嗣男さん(71)は万感の思いで聖火を迎える。
本土に復帰した沖縄だが、今も米軍基地問題を抱える。「この間だって県民投票で70%以上が(基地の県内移設を巡る埋め立てに)反対したのに民意が通らない。平和に暮らしたいのに、聞く耳を持たない」と、“日の丸”への思いは当時と違って複雑だ。
それでもスポーツや聖火に、別次元の大きなエネルギーを感じている。空手は190を超える国と地域に1億3千万人の愛好家がいる。沖縄でも多くの米兵が親しみ、空手を通した国際交流が進む。「聖火リレーのように人々の心がつながれば、それが世界の恒久平和になるだろう」。宮城さんも、佐久本さんも、来年の聖火リレーや五輪を「楽しみにしている」と口をそろえた。(大矢太作、川浪伸介)
■復興と「共生」 北海道PR 主要都市、観光地も
道内での聖火リレーは、聖火を離れた別の地点に「瞬間移動」させる「親子の火方式」が認められたことで、わずか2日間の日程にもかかわらず全道を広範囲に巡るルート設定が可能となった。昨年9月の胆振東部地震で甚大な被害を受けた胆振管内厚真、安平、むかわの3町や、来年4月にアイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」がオープンする胆振管内白老町も通り、広大で多様な北海道の魅力を世界にアピールする。
ルート案は、道、道市長会、道体育協会などでつくる実行委員会が3案の中から検討。今年1月に大会組織委員会へ提出し、大半が受け入れられた。
実行委がまず、こだわったのは「ウポポイ」「被災3町」「最大都市の札幌」を通ることだった。3町は「復興に向かう姿を発信したい」と訴えていた。
もう一つは、割り当てられた2日間で広い北海道をいかに回り、多くの人に見てもらうかだった。1964年東京五輪では千歳市から札幌市、小樽市などを経て函館市までを7日間かけてリレーした。実行委関係者は2020年東京五輪について「夜は走れないなど規制も多く、当初は道南中心の狭い範囲を想定していた」と明かす。
だが離島など遠隔地で想定されていた「親子の火方式」が広い北海道にも認められると分かってエリアを拡大。札幌、旭川、函館の人口上位6都市を通り、北方領土を除くと最北端となる稚内市と、最東端の根室市を走ることが実現した。
高橋はるみ前知事は、日ロ関係の友好を象徴する取り組みとして、北方領土と根室管内を巡る提案をしていた。ただ、領土問題を絡めると聖火リレーに政治色が出るとの懸念があったといい、根室市については「北の稚内とともに、あくまで最も東にある市として選ばれた」(実行委)という。
観光地をPRする狙いでは、富良野市や胆振管内洞爺湖町、道南の大沼も選ばれた。世界唯一のばんえい競馬が行われる帯広競馬場、北斗市の北海道新幹線もアピールしたい考えだ。
関係者によると観光地としては後志管内のニセコエリアを通る案もあった。だが白老や被災3町を通りながら、できるだけ多くの地域を巡るルートを組み立てる中で、最終的には選ばれなかった。道は、聖火が通らない地域でも同時期に子どもマラソンの企画も考えるという。(先川ひとみ)
<ことば>五輪の聖火リレー 1936年ベルリン五輪で初めて実施された。古代五輪発祥のギリシャのオリンピア遺跡で太陽光から採火し、五輪開催地を巡り、開会式で主競技場の聖火台にともされる。64年東京大会は、返還前の沖縄に聖火が到着した後、鹿児島県、宮崎県、北海道の三つを起点に東京まで運ぶ全国4ルートで行われた。道内は北から東京を目指す2ルートの出発地点で、9月9日に空路で千歳市に到着後、札幌市や小樽市などを経由して函館市まで19市町村を7日かけて巡り、その後、青函連絡船で津軽海峡を渡った。現在は国際オリンピック委員会(IOC)がルートを「一筆書き」と定めているため、来年は日本列島をおおむね時計回りに巡る。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/311126
2020年東京五輪聖火リレーのルートが1日、発表された。聖火リレーは、平和や希望の道を照らすとされ、国民が身近に五輪を感じるイベントでもある。それだけに、時代を語る道しるべにもなってきた。「復興五輪」を掲げる20年東京大会で、聖火は各地で何を発信し、人々はどんな思いを託すのか。過去の聖火ランナーたちは来年、巡る地域を多くの人が理解し、未来につながるリレーになることを願っている。
聖火リレーのスタート地点となる福島県。福島商工会議所会頭で、県商工会議所連合会会長の渡辺博美さん(72)は、前回1964年東京大会で聖火リレー走者を務めた。
当時は高校3年生。開会が10月10日に迫った9月28日夕、競馬場付近から県庁までの約2キロを走った。沿道に歓声を上げ日の丸を振る人々がひしめき、県庁前広場もごった返す熱気に「戦後から立ち直ろうとする日本が一つになった気がした」と振り返る。
■再び福島の力に
大会後、福島はバブル経済の浮沈や、11年3月の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を経験した。福島ヤクルト販売の社長時代に被災し、社員の生活を守るため、昇給を行うなど奔走した渡辺さんは、五輪に「復興」という言葉を重ねることに違和感があると明かす。
震災後、人知れず、目立たずとも被災者を支え、地域で汗を流し続けた人たちを見てきた。しかし震災から8年が過ぎた今、生活に差が生じ、誰もが再建を果たしたわけではない現実がある。「被災者は、外の人たちが使う『復興』の言葉に傷つくこともある」
そんな渡辺さんだが、心強いと思うことがある。幼くして被災した子供たちが、渡辺さんらが聖火ランナーを務めた年代に成長し、「古里の役に立ちたい」と話してくれることだ。「被災地のありのままを感じ、地域の課題や未来に目を向けるきっかけになれば」。自らがランナーとして感じた聖火の力が、再び福島の若者たちに宿ることを期待している。
■沖縄の命の叫び
「TOKYO 1964」と胸に記されたユニホーム。トーチには、黒いスス跡が残る。
64年東京五輪の際、日本列島で最初の聖火ランナーを務めた沖縄県浦添市の宮城勇さん(77)宅には、実際に使ったユニホームとトーチが今も大切に保管されている。
当時は米軍統治下だった沖縄。9月7日、立すいの余地がないほどの人だかりとなった那覇飛行場から琉球大4年だった宮城さんが第一歩を踏みだした。割れんばかりの拍手と歓声。沿道から万歳三唱が起こる。
米軍は日の丸を反米の表れと警戒し、沖縄では法定の祝日以外、公共の場で掲揚を禁じていた。にもかかわらず、那覇も激戦地となった摩文仁の丘も、サトウキビ畑でも、人々は手に手に日の丸を振り続けていた。沖縄戦後史を研究する県文化振興会の豊見山和美さん(56)は「米国は国際社会の目を気にして黙認した」とした上で「聖火リレーには、異民族統治の苦しみから自由になりたいという沖縄の住民の願いが込められていた」とみる。
沿道に、戦争で家族を失った人が遺影を抱いて立つ姿もあった。自身も父親をマーシャル諸島の戦闘で亡くした宮城さんは言う。「聖火リレーは本土復帰への大きなインパクトになった。まさに、平和を希求する沖縄の命の叫びの炎だった」。日本に返還されたのは、それから8年後だった。
■基地問題は今も
56年ぶりに聖火が戻ってくる20年大会は、沖縄発祥の空手が追加種目になった。17歳で64年大会の聖火ランナーを務め、現在は空手の世界王者・喜友名諒選手(28)らを指導する佐久本嗣男さん(71)は万感の思いで聖火を迎える。
本土に復帰した沖縄だが、今も米軍基地問題を抱える。「この間だって県民投票で70%以上が(基地の県内移設を巡る埋め立てに)反対したのに民意が通らない。平和に暮らしたいのに、聞く耳を持たない」と、“日の丸”への思いは当時と違って複雑だ。
それでもスポーツや聖火に、別次元の大きなエネルギーを感じている。空手は190を超える国と地域に1億3千万人の愛好家がいる。沖縄でも多くの米兵が親しみ、空手を通した国際交流が進む。「聖火リレーのように人々の心がつながれば、それが世界の恒久平和になるだろう」。宮城さんも、佐久本さんも、来年の聖火リレーや五輪を「楽しみにしている」と口をそろえた。(大矢太作、川浪伸介)
■復興と「共生」 北海道PR 主要都市、観光地も
道内での聖火リレーは、聖火を離れた別の地点に「瞬間移動」させる「親子の火方式」が認められたことで、わずか2日間の日程にもかかわらず全道を広範囲に巡るルート設定が可能となった。昨年9月の胆振東部地震で甚大な被害を受けた胆振管内厚真、安平、むかわの3町や、来年4月にアイヌ文化施設「民族共生象徴空間(ウポポイ)」がオープンする胆振管内白老町も通り、広大で多様な北海道の魅力を世界にアピールする。
ルート案は、道、道市長会、道体育協会などでつくる実行委員会が3案の中から検討。今年1月に大会組織委員会へ提出し、大半が受け入れられた。
実行委がまず、こだわったのは「ウポポイ」「被災3町」「最大都市の札幌」を通ることだった。3町は「復興に向かう姿を発信したい」と訴えていた。
もう一つは、割り当てられた2日間で広い北海道をいかに回り、多くの人に見てもらうかだった。1964年東京五輪では千歳市から札幌市、小樽市などを経て函館市までを7日間かけてリレーした。実行委関係者は2020年東京五輪について「夜は走れないなど規制も多く、当初は道南中心の狭い範囲を想定していた」と明かす。
だが離島など遠隔地で想定されていた「親子の火方式」が広い北海道にも認められると分かってエリアを拡大。札幌、旭川、函館の人口上位6都市を通り、北方領土を除くと最北端となる稚内市と、最東端の根室市を走ることが実現した。
高橋はるみ前知事は、日ロ関係の友好を象徴する取り組みとして、北方領土と根室管内を巡る提案をしていた。ただ、領土問題を絡めると聖火リレーに政治色が出るとの懸念があったといい、根室市については「北の稚内とともに、あくまで最も東にある市として選ばれた」(実行委)という。
観光地をPRする狙いでは、富良野市や胆振管内洞爺湖町、道南の大沼も選ばれた。世界唯一のばんえい競馬が行われる帯広競馬場、北斗市の北海道新幹線もアピールしたい考えだ。
関係者によると観光地としては後志管内のニセコエリアを通る案もあった。だが白老や被災3町を通りながら、できるだけ多くの地域を巡るルートを組み立てる中で、最終的には選ばれなかった。道は、聖火が通らない地域でも同時期に子どもマラソンの企画も考えるという。(先川ひとみ)
<ことば>五輪の聖火リレー 1936年ベルリン五輪で初めて実施された。古代五輪発祥のギリシャのオリンピア遺跡で太陽光から採火し、五輪開催地を巡り、開会式で主競技場の聖火台にともされる。64年東京大会は、返還前の沖縄に聖火が到着した後、鹿児島県、宮崎県、北海道の三つを起点に東京まで運ぶ全国4ルートで行われた。道内は北から東京を目指す2ルートの出発地点で、9月9日に空路で千歳市に到着後、札幌市や小樽市などを経由して函館市まで19市町村を7日かけて巡り、その後、青函連絡船で津軽海峡を渡った。現在は国際オリンピック委員会(IOC)がルートを「一筆書き」と定めているため、来年は日本列島をおおむね時計回りに巡る。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/311126