産経新聞 2024/9/1 09:40
<書評>評・木村衣有子(文筆家)
『インドの台所』小林真樹著(作品社・2970円)
台所にはその国のありようがくっきりと映し出される。
東京でインド食器輸入会社を20年近く営む小林真樹さんは『食べ歩くインド』『日本のインド・ネパール料理店』などインドの食にまつわる著作をものしている。本書は、日本のおよそ9倍の国土をもつインドの北から南まで36カ所の台所を訪ねた紀行。
日本での人脈を駆使して縁をつないだお宅もあるが、通りすがりに飛び込んだ台所のリポートも多数収録されているのは、語学力と人懐っこさの賜物(たまもの)に違いない。
巡るうちに、都市部と農村とでは台所様式が大きく異なるのではとの小林さんの予想は裏切られていった。かまどの築かれた土間に座って調理する原風景は、山村や、先住民族の住む地区では見られても、もはや主流ではない。ガスコンロが多く使われ、冷蔵庫が鎮座する風景は、日本とそれほど違っていない。
材料や料理の味は似ていなくとも、炊事をする場には普遍性があるのだ。とはいえ、台所をつかさどるのは主に女性という通念は日本よりもまだまだ色濃い。「部外者を入れるのは神様に怒られるから」と、そのヒンドゥー教徒の家の人にカメラを預けて撮ってもらった台所の写真もあって驚かされる。
インド人の理想とする台所の精神を表す「スロークッキング」という言葉がある。ガス火ではなく薪を燃やして煮炊きするような「ゆっくり時間をかける伝統的調理法のことを指す。今でもインドではレシピに頻出するキーワード」であり「単に味がよくなるだけでなく、健康によいとまで信じているインド人が少なくない」という。
簡便さを追わず手間をかけることを無条件に礼賛する精神は、インドを支配したイギリス人の合理主義へのカウンターでもあることは否めない。半面、街なかではアメリカ発のファストフードの味わいも多くの人に受け入れられている。人口世界一の国の全ての人を、同じ色に染め上げることはできないと分かる。
https://www.sankei.com/article/20240901-RP3QOXNNXNNRLH5ZJLFMXDWCUE/