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北海道新聞2024年1月27日 5:00
道内の大空を優雅に舞うタンチョウは、かつて絶滅したと考えられていた。乱獲や湿地開発で生息地を追われ、明治末期には姿を消し、再び発見されたのは100年前の1924年(大正13年)。舌辛村(現釧路管内鶴居村)で十数羽が確認された。人が容易に踏み入れない釧路湿原の深部で命をつないでいた。(写真映像部 富田茂樹)
純白の雪原で群れをなし、澄んだ青空に羽を広げる-。タンチョウの写真特集はこちら
■進んだ保護 広がる生息地
保護は進んだ。1925年に国が生息地を禁猟区に設定。52年には国の特別天然記念物になる。地元農家らが始めた給餌は続き、生息数は回復した。道東に集中していた生息地は、道北や道央に広がる。
幌呂小の給餌場
https://www.youtube.com/watch?v=u-oAFBjv0Q0
■世代つなぎ 続く給餌
牧草地に囲まれた鶴居村の幌呂小は1952年から給餌を続けている。児童が弱ったタンチョウを見つけ、餌を与えたのが始まりだ。現在は児童らが餌となるデントコーンの種まきから収穫までを行う。冬期間、当番制で校庭の餌場にまく。
氷点下9度近くまで冷え込んだ朝、校庭では同小児童ら4人が白い息を吐いた。餌場の周りをゆっくり歩き、餌となるデントコーンをまいた。同小4年の大滝健太郎君(10)は「タンチョウがいっぱい来てくれる村になってほしい」と話す。餌をまくと、校庭に4羽が舞い降り、ついばんでいた。
■タンチョウ表現 各地で古式舞踊伝承
かつてタンチョウは道内各地に生息していた。アイヌ民族にはタンチョウを表現した古式舞踊が各地域で伝承されている。
胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」。1月上旬、体験交流ホールでタンチョウが舞う様子を表現したアイヌ古式舞踊「サルルンカムイリㇺセ」が披露された。歌い手が手拍子をしながら、「トゥルルル」とタンチョウの鳴き声を出す。2人の踊り手が着物を翼のように大きく広げ、袖を振った。まばゆいライトが照らす中、弧を描くようにステージをゆっくりと歩き、舞い踊った。踊り手を務めた源島(げじま)美咲さん(23)は「ツルの力強い羽ばたきを表現しています」と話す。
サルルンカムイリㇺセを披露する源島美咲さん(手前)と桐田晴華さん。幼鳥に飛び方を教える親鳥の様子を表現した=1月4日、白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」
■交通事故や鳥インフル 新たな脅威
近年、タンチョウの生息地は道央や道北に広がり始めた。生息数も回復する一方、車や電線への衝突事故など1世紀前にはなかった新たな脅威にさらされている。
釧路市動物園では事故で負傷し、義足を着けたタンチョウを公開している。オスの「松千代」は右脚が義足だ。2018年、鶴居村内の畑で鹿よけフェンスにからまり逃れようと暴れ、右脚が折れた状態で見つかった。同園で保護し、獣医師の飯間裕子さん(43)が手作りした義足を装着した。
1975年の開園以来、保護活動に取り組む。環境省によると、2013年度から22年度までの10年間に死骸を含めて収容されたタンチョウは374羽。交通事故による生体と死骸の収容は110羽と最多の29%で、年々増加しているという。飯間さんは09年から、車や列車との衝突などで負傷したタンチョウの治療を続ける。飯間さんは「義足でも元気に生きている。タンチョウの現状を考えてもらうきっかけにしてほしい」と話す。
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