毎日新聞2016年12月6日 地方版
市民グループ「北大開示文書研究会」と「コタンの会」の声明文づくりに参加した。
タイトルは「アイヌの遺骨はコタンの土へ/杵臼(きねうす)からのメッセージ」。明治から昭和期にかけて、北海道大などの解剖学者たちが各地のアイヌの墓を掘り返すなどして集めた大量の人骨を、一刻も早く地元に返しましょう、という呼びかけ文である。
杵臼は日高地方浦河町の地名だ。杵臼のアイヌ墓地は1930年代、数度にわたって北大によって発掘の「被害」にあった。
コタンの会はこの夏、実に八十数年ぶりに11体プラス1箱の遺骨を取り返すことに成功。歴史学者の榎森進(えもりすすむ)さんが「近代以降、アイヌ民族が体制側から初めて権利要求を勝ち取った快挙」と評する画期的ニュースだった。
だが、アイヌ遺骨は日本国内外のいくつもの大学・博物館などにまだ1600体以上が取り残されている。
当時の研究者が躊躇(ちゅうちょ)なくアイヌの墓を暴くことができた背景に、政府が公式に「旧土人」呼ばわりしていた先住民族に対する差別観があった、と指摘する人は多い。だとすれば、このまま大量の遺骨を奪い取った状態のままでは「民族共生」(内閣府・アイヌ政策推進会議のキャッチフレーズ)などありえない。
では私たちは今、何をすべきか。政府や大学、自治体、アイヌ・非アイヌ、それぞれに向けた提案を込めたメッセージは、インターネットで公開中。ぜひ検索して、読んでください。
http://mainichi.jp/articles/20161206/ddl/k01/070/093000c
市民グループ「北大開示文書研究会」と「コタンの会」の声明文づくりに参加した。
タイトルは「アイヌの遺骨はコタンの土へ/杵臼(きねうす)からのメッセージ」。明治から昭和期にかけて、北海道大などの解剖学者たちが各地のアイヌの墓を掘り返すなどして集めた大量の人骨を、一刻も早く地元に返しましょう、という呼びかけ文である。
杵臼は日高地方浦河町の地名だ。杵臼のアイヌ墓地は1930年代、数度にわたって北大によって発掘の「被害」にあった。
コタンの会はこの夏、実に八十数年ぶりに11体プラス1箱の遺骨を取り返すことに成功。歴史学者の榎森進(えもりすすむ)さんが「近代以降、アイヌ民族が体制側から初めて権利要求を勝ち取った快挙」と評する画期的ニュースだった。
だが、アイヌ遺骨は日本国内外のいくつもの大学・博物館などにまだ1600体以上が取り残されている。
当時の研究者が躊躇(ちゅうちょ)なくアイヌの墓を暴くことができた背景に、政府が公式に「旧土人」呼ばわりしていた先住民族に対する差別観があった、と指摘する人は多い。だとすれば、このまま大量の遺骨を奪い取った状態のままでは「民族共生」(内閣府・アイヌ政策推進会議のキャッチフレーズ)などありえない。
では私たちは今、何をすべきか。政府や大学、自治体、アイヌ・非アイヌ、それぞれに向けた提案を込めたメッセージは、インターネットで公開中。ぜひ検索して、読んでください。
http://mainichi.jp/articles/20161206/ddl/k01/070/093000c