現代ビジネス 6/15(火) 8:31
今国会で「LGBT新法」が議員立法で提出される予定だった。しかし、法案の目的や基本理念に示された「差別は許されない」という文言などに自民党の一部議員が反発。法案提出が見送られた。
明日、今国会が会期末を迎える。自民党が提案した法案は明らかに不十分な内容だが、それでも「あった方が良い」と野党は若干の修正によって苦汁を飲んで合意し、さらには自民党内でも賛成議員が多かったにもかかわらず、自民党が自ら法案を潰すという結果になった。
さらにその議論の最中には、自民党議員による差別的な発言があったが、謝罪や撤回等の対応はなされていない。
東京五輪の開催が強行されようとしているが、東京大会で掲げられた「多様性と調和」というコンセプトの空虚さが際立つ。
なぜ法案は今国会提出に至らなかったのか。「LGBT新法」をめぐる動きについて、超党派LGBT議連が発足した6年前にさかのぼって、この間の議論の経緯を振り返りたい。
「LGBTブーム」と「東京五輪」
2015年3月に超党派の国会議員による「LGBTに関する課題を考える議員連盟(通称:超党派LGBT議連)」が発足。自民党・馳浩議員が会長となり、性的マイノリティをめぐる法整備について議論が始まった。同年には、性的マイノリティ関連の市民団体の全国組織「LGBT法連合会」も設立。50以上(設立当時)の賛同団体とともに、超党派LGBT議連に対し「LGBT差別禁止法」の制定を求めて活動を開始した。
背景には、いわゆる「LGBTブーム」と言われることもある、2010年代の経済誌での「LGBT」特集や渋谷区・世田谷区でのパートナーシップ制度導入などによる「LGBT」をめぐる報道の増加や、社会的な注目度の高まりがあるだろう。
そしてもう一つ、大きなきっかけとなったのが「東京2020オリンピック・パラリンピック」だ。
2014年、ソチ五輪の開会式への参加を欧米各国の首脳がボイコットした(当時の安倍首相は参加)。理由は、ロシアがソチ五輪を前に「同性愛宣伝禁止法」を制定したからだ。この事件を受けて、IOCは同年「五輪憲章」を改訂し、根本原則に「性的指向」に基づく差別の禁止を明記した。
2020年の開催国である日本も五輪憲章を守らなければならない。IOCと東京都、JOCの三者による開催都市契約で、日本国政府もこの五輪憲章を遵守することが誓約となっている。東京都は2018年に人権尊重条例を制定し、性的指向や性自認に関する差別的取扱いの禁止を明記した。
国レベルの法案についても、野党は2016年と2018年の二度にわたり「LGBT差別解消法案」を国会に提出したが、自民党は審議に応じなかった。
一方、自民党は2016年に「性的指向・性自認に関する特命委員会(通称:LGBT特命委員会)」を独自に設立。「LGBT理解増進法案」の概要を取りまとめたと発表した。
自民党特命委に対しては、性的マイノリティ関連団体として「LGBT理解増進会」が作られ、代表理事の繁内幸治氏がアドバイザーとして就任。同会の顧問には、自民党特命委の議員が並び、理事には、博報堂DYグループの株式会社LGBT総合研究所・森永貴彦代表取締役社長、株式会社LITALICOの長谷川敦弥代表取締役社長などが名を連ねていた(現在は長谷川氏の名前はWEBサイトから削除されている)。
自民党LGBT特命委員会委員長(当時)の古屋圭司議員は、自身のブログでも「一部野党が主張する差別禁止法とは一線を画した理解増進法」、さらには「攻撃こそ最大の防御なり」と記載しており、野党の求める差別解消法案に否定的であることを強調している。
理由の一つに「同性婚」への強固な反対があるだろう。自民党のLGBTに関する考え方のパンフレットには「同性婚容認は相容れません」「パートナーシップ制度についても慎重な検討が必要」と記載されている。
性的指向に関する差別的取扱いを禁止すると、異性カップルと同性カップルで取扱いが異なることが「差別」となり、同性婚の容認へと繋がることを強く危惧していると言える。
差別的取扱いの禁止は大前提
こうした与野党の対立構図から、野党の「差別解消」か、自民の「理解増進」かという二項対立で語られることが多くなった。しかし、本来必要なのは、差別的取扱いを禁止した上で、適切な理解を広げていくことだろう。
トランスジェンダーであることを理由に面接を打ち切られた、内定を切られた等の差別的取扱いが実際に、いま起きている。「差別的取扱いの禁止」が法律に明記されなければ、こうした具体的な被害から当事者を守ることはできない。
男女雇用機会均等法や障害者差別解消法、アイヌ新法などでも差別的取扱いの禁止は明記されている。性的指向や性自認に関しても「差別的取扱いをしてはならない」という原則を示すことが重要だ。
しかし、自民党特命委やLGBT理解増進会は、「野党の差別解消法は罰則があり、不注意な発言が一部切り取られ『差別だ』と断罪され、社会が分断されてしまう」といった理由で反対している。一方の理解増進法は、性的指向や性自認の多様性に関する人々の「精神の涵養」を広げ、「寛容な社会」が実現するのだという。
そもそも禁止規定を求めているのは、差別“発言”ではなく、差別的“取扱い”に対してだ。さらに、野党案も差別的取扱いが起きた場合などの刑事罰は設けていない(差別的取扱いを行った事業者等に対する指導や勧告、企業名公表など段階的な対処はある)。
理解増進法の懸念
理解増進法ができると「寛容な社会」が実現されるというが、そもそも「寛容」という言葉の意味は「過失をとがめず、人を許すこと」を指す。
性的マイノリティは何か過失を犯した人間でも、許されなければいけない存在でもない。求めているのは、「かわいそうな人たちを理解してあげましょう」ではなく、同じ人間として不当に差別されることなく、平等に扱って欲しいということだけだ。
確かに「理解の増進」は一見、聞こえは良いだろう。しかし、実際には今起きてしまっている差別的取扱いの被害を放置し、同性婚の法制化を先延ばしにする懸念もある。なぜなら、自民党は同性婚に反対しており、理解増進法が「まずは社会の理解が必要だ」という言い訳として使われ続ける可能性があるからだ。
現在、約30の自治体で差別的取扱いの禁止を明記した条例が施行され、100を超える自治体でパートナーシップ制度が導入されているが、当初の内容の理解増進法案ができると、自民党の考える“理解”に忖度し、今後の地方自治体の施策が萎縮、後退するどころか、差別を助長するための“理解”が広げられてしまう懸念があった。
海外では80以上の国で性的指向や性自認に関する差別の禁止を法律に明記しており、G7でこうした法律がないのは日本だけだ。
古屋議員に代わり、現在、自民党特命委の委員長を務める稲田朋美議員は「世界に一つだけの理解増進法」と誇らしく語っているが、海外で同様の法律がないのは、差別的取扱いから被害者を保護することもできない実効性のない法律を、わざわざ作らないからではないだろうか。
野党のLGBT差別解消法案は二度、国会に提出されたが、自民党が反対のため審議されなかった。一方で、当時の安倍政権は性的マイノリティをめぐる法案自体に消極的で、LGBT理解増進法案も国会に提出されることはなかった。
この間、超党派の国会議員が集う院内集会「レインボー国会」が4回行われ、党派を超えてさまざまな議員が何らかの法制度の必要性を訴えたが、実現しないまま約5年の月日が過ぎていった。
再び法整備の機運が
東京五輪開催前の成立が目標として掲げられていたが、2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、法整備の動きは止まったかに見えた。しかし、東京五輪が翌年に延期され、同年9月に保守的な安倍政権から、菅政権へと変わったことなどにより、再び議論が動き出した。
さらに、LGBT法連合会や国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが中心となり、性的指向や性自認に関する差別禁止を明記した「LGBT平等法」の制定を求めるキャンペーン「Equality Act Japan」が立ち上がり、2021年3月末には、法律を求める署名約10万筆が各政党に提出された。同時期に参議院予算委員会では、立憲民主党の福山哲郎幹事長が、菅総理に対し、法律どころか「LGBT」の課題を担当する省庁がないことについて迫るなど、与野党幹部の中でもこの課題に対する関心が高まっていった。
こうした変化の中で、今年3月にはLGBT理解増進法案が成立した場合の管轄は「内閣府」となり、坂本哲志内閣府特命担当大臣が所管となることが決まった。これを受けて、自民党特命委は、4月に「LGBT理解増進法」の要綱を取りまとめ、議員立法で今国会での成立を目指す方針を確認した。
ようやく法整備の動きが現実味を帯びてきたが、自民党特命委の示す法案のままでは、今起きている差別的取扱いの被害から当事者を保護できず、性的マイノリティの人権は保障されない。「理解」を広げるフリだけ、もしくは性的マイノリティをめぐるさまざまな動きの“後退”を招きかねない制度となる可能性があり、むしろ「法律がない方がまし」ということになりかねない状況だった。
捻じ曲げられた「理解」
自民党特命委などは「何が差別か示されていない中で差別を禁止すると、かえって理解が進まなくなる」と主張するが、理解増進法の指す“理解”が何を指すのかこそ、全く示されていない。
実際、今年3月末に開催された自民党・稲田朋美議員が共同代表をつとめる「女性議員飛躍の会」で、LGBT理解増進会代表理事・自民党特命委のアドバイザーである繁内幸治氏が行った講演では、明らかに懸念のある“理解”が広げられていた。
繁内氏の講演のタイトルは「暴走するLGBT」。野党などの求める差別禁止法は「上からの押し付け」であり「差別の定義があいまいなため発言が一部切り取られ糾弾され、国民の分断を煽る」などと発言したという。差別発言ではなく、差別的取扱いの禁止が求められているという事実は捻じ曲げられ、さらに「上からの押し付け」という点も、理解増進こそむしろ人々の内心の自由へと介入することが覆い隠されている。
さらに、繁内氏は「性自認」という言葉は野党の案であり、これを採用すると「いま私も女性になりたいと思えば女性になれる」ようになるなどと発言。「一番問題になるのは『今だけ女性』と言う人だ」と、トランスジェンダーの実態を無視した悪意のある主張を行っている。
自民党特命委の正式名称は「性的指向・性自認に関する特命委員会」だ。「性自認」という言葉はさまざまな行政文書や自治体の条例等でも使われている。この用語を変えるということは、なぜ性自認という言葉が使われ出したのかという経緯を無視すると同時に、この言葉が使われてきた各分野の教科書や試験、法規などのすべてを覆しかねない。
加えて、繁内氏は「性同一性」という言葉を採用すべきだと主張するが、「性同一性」も「性自認」も、いずれもGender Identityの訳であり、意味は同じだ。確かにどちらの訳の方が適切かという議論は重要だが、「性自認」という言葉を使うと、殊更に「今だけ女性」と言えるようになるなどと歪曲することは悪質な扇動に他ならない。
それだけでなく、繁内氏は海外のトランスジェンダー女性の写真を資料として提示し、「グロテスク」などという言葉も使い、「女性の活躍、女性の安全が脅かされる」と述べていたという。
会にはトランスジェンダー女性の当事者も参加していたが、繁内氏に対し性別適合手術やホルモン療法に対する保険適用について質問したところ、同氏は「(性同一性障害は)もう“健常者”なのだから、保険適用は必要ない。むしろ生まれたままの姿で生きていける社会が望ましい」などと、本人の性のあり方を否定するような発言までしていたという。
このような歴史的経緯も学術的知見も何も見られない、SNSで流れる俗説をそのまま垂れ流すような認識で、どんな「理解」を広げようというのだろうか。非常に危険性を感じる内容だった。
与野党間で協議が開始
議員立法は全会一致が原則となるため、自民党案も野党案もこのままではどちらも成立しない。今年4月、超党派LGBT議連では、自民党特命委のLGBT理解増進法案について、与野党間で協議を行うことを決め、実務者として自民党・稲田朋美議員、立憲民主党・西村智奈美議員が交渉を担当することになった。
この段階でLGBT理解増進法案の中身は一般には公開されていない。朝日新聞の報道で要綱のポイントが示されているが、議論は水面下で行われていた。
LGBT理解増進法案では、政府に対し理解増進のための基本計画の策定や、施策の実施状況の公表を義務付けている。さらに、性の多様性に関する調査研究を行い、各省庁の連絡会議を設けることも明記されている。一方、自治体や企業、学校などに、理解増進の施策を行うよう求めているが、努力義務にとどまる。
これまで性的マイノリティに関する政策は、例えば文科省が性的マイノリティの児童生徒に関する対応の通知を出したり、厚労省が保険証の氏名に「通称名」の表記を可能とすることを運営者に通知したりするといったことが行われていたが、根拠となる法律もなく、省庁間の調整や整合をとる動きはなかった。窓口もバラバラで当事者側から一つひとつ要望していかなければ実現しない状態だった。
理解増進法ができると、政府に担当部署ができ、それぞれの省庁の政策の総合的な調整がはかられながら施策が進められていく。確かに以前と比べて、さまざまな施策は前進していくだろう。さらに、これまで意識のある自治体や企業、学校のみが、自発的に性的マイノリティに関する施策を実施するという状況だったが、法律ができると、努力義務ではあるが、すべての自治体、企業、学校等に何らか施策を求めることになる。
ただ、これらの施策はあくまで「理解の増進」に関するものであり、その「理解」の内容は前述した通り非常に懸念が大きいものだった。
難航する交渉
4月からはじまった与野党協議はゴールデンウィーク明けに終わる見込みだったが、交渉は難航していた。
繰り返すが、差別をなくすために本来必要なのは、「性的指向や性自認に関する差別的取扱いをしてはならない」という禁止規定を条文に明記することだ。さらに、自民党案であっても議員立法での成立を目指すため、このままでは野党は交渉に応じず法案は提出に至らない。
筆者もこの間、性的マイノリティの当事者や支援者ら有志で「差別的取扱いの禁止の明記」を求める緊急声明を出し、4438名の賛同とともに記者会見を行い、要望書を超党派議連に送付した。
そして連休明けの5月10日に開かれた超党派LGBT議連の総会で、自民党特命委の稲田議員により「LGBT理解増進法案」の修正案が示された。そこでは、法案の目的に、理解増進の施策を進める前提として「性的指向および性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という文言などが明記されていた。
しかし、これでも差別的取扱いから被害者を保護できる実効性のある内容とは言えない。野党は再度修正を求めた。
14日に再び開かれた議連総会では、稲田議員より、法案の目的に加え基本理念にも「差別は許されない」という文言を追加した再修正案が示された。これでも残念ながら被害から救済できる文言とは言い難い。
ただ、法案を細かく見てみると、記載されている多くの理解増進の施策には「基本理念に基づく」という言葉が記載されている。当初懸念されていた「理解」の内容については、「差別は許されない」という認識が前提となることが示されることになった。
直接的な差別の禁止規定ではないが、理解増進の施策の“前提”を固めることができた。基本的人権、個人の尊重という憲法の理念も明記された。本来求めている実効性のある内容とは程遠いものではあるが、今後の法整備の足がかりとしてこの法案を位置付けられるのではないかと、苦汁を飲んで野党側は合意した。
自民党「今国会提出を見送り」
筆者としても、この合意に対し非常に複雑な気持ちを抱いていた。
確かに、当初案からは0.1歩前進したと言えるだろう。これまで法律の本文で性的マイノリティの存在は何も言及がなく、「いないもの」とされてきた。性的指向や性自認という文言が法律に明記され、担当さえなかったところに部署ができ、基本計画などができることで、全国各地での性的マイノリティに関する啓発などは広がっていくことだろう。
「差別は許されない」という認識が示されたことは、政府や自治体の施策で明らかに差別に基づくような内容の施策は止めることができる可能性がある。トランスジェンダーをバッシングするような、誤った・差別を助長するような理解は、一定歯止めがかかることにはなる。
ただ、法案の内容を上回るような、差別禁止条例やパートナーシップ制度の導入が広がる地方自治体の施策については、国に「忖度」して萎縮、停滞する懸念は残されていた。
国は、本来必要な性的指向や性自認に関する差別を禁止せず、理解を広げる施策を進めるだけで、性的マイノリティに対する平等な権利保障という点は抜け落ちたまま、逃げ続ける可能性もある。一方で、この期を逃すと秋までに行われる衆院選を終えて、法案が再び国会に提出される可能性は低い。今後、数十年、何も法律がない状態が続く懸念もある。
さらに、「差別禁止」に対する自民党のかたくなな反対の姿勢をみる限り、いまの政治状況で差別的取扱いの禁止を明記した法律をつくることは、政権が交代するなどしない限り、非常に難しいだろう。
こうした現状の中で「LGBT理解増進法」は与野党で合意され、各党で持ち帰って審査するフェーズに入った。このまま法案が国会に提出され、成立するのか――その行方を筆者も静観していたところ、まさかの、この法案を提案した自民党が今国会での法案提出を「見送る」と発表したのだ。
押し寄せた反対派議員
5月20日に行われた自民党内の内閣第一部会とLGBT特命委の合同会議で、LGBT理解増進法案が審査された。そこに一部の反対派議員が押し寄せ、議論は紛糾したという。
理由は「差別は許されない」という文言を入れると、「訴訟が乱発される」などとあまりに合理的とは言えないものばかりだった。
さらに、19日の別の会議で、山谷えり子議員は「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、アメリカなんかでは女子陸上競技に参加してしまってダーッとメダルを取るとか、ばかげたことはいろいろ起きている」などと発言。トランスジェンダーの実態を無視し、明らかに先述した繁内氏の発言と重なるような、トランスジェンダー嫌悪や偏見を助長する発言を行った。
そもそも誰もが自身の性自認が尊重され、権利が守られるべきだという前提を押さえたい。その上で実態を見てみると、トランスジェンダー女性の中には、身体的な状況や法律上の性別にかかわらず、周囲からどのように見られるかなどによって、既に女性トイレを利用している人もいれば、多目的トイレを使っている人、女性トイレを使いたくても周囲の目線などを恐れて利用できず、困難を抱えている人もいてさまざまだ。学校や職場等では、トイレ利用をどうするか、本人との調整がすでにさまざまな現場で行われている。
スポーツ参加に関しても、既に日本スポーツ協会がガイドラインを策定し、トランス女性の競技参加に関する競技連盟等の規定を紹介している。 そもそもトランスジェンダーの当事者は、スポーツから排除されている状況。五輪憲章もスポーツに参加することは人権だと示されており、この視点がまず抜けていることを指摘せざるを得ない。
トイレ利用についての現場レベルの調整や、競技参加規定に議論はあるが、トランスジェンダーの実態やそれぞれの議論を無視したトランス排除ありきの発言は、トランスジェンダー嫌悪を煽動するものだ。
さらに、東京五輪でもトランスジェンダー女性の選手が出場することが決まっている。課題に真摯に向き合わず、「ばかげている」といった言葉で、与党議員が選手を侮辱する発言をしたことは、まさに五輪憲章に照らしても国際レベルの問題と言えるのではないか。
山谷議員に加えて、簗和生議員は、20日の会合で「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」といった発言を、西田昌司議員は「LGBTは道徳的に許されない」という趣旨の発言を行ったという。後の朝日新聞の取材で、西田議員の発言は「(性的少数者の当事者も非当事者も)お互い我慢して社会を守る受忍義務」があり、こうした「道徳的な価値観」を無視し、「差別があったら訴訟となれば社会が壊れる」という内容の発言だったことが報じられている。
「種の保存に背く」といった発言は明らかに差別発言だ。3年前に杉田水脈議員が「LGBTは生産性がない」などという文章を月刊誌に寄稿し、国会議員という立場での優生思想に基づく発言が多くの批判を集めた。簗議員は3年前から何も学んでいないことが露呈している。
さらに、西田議員も性的マイノリティとそうでない人が“対等”かのような前提で、マジョリティの価値観を「道徳的」とし、それを守らなければ社会が崩壊するという主張は、性的マイノリティの困難や社会の不平等を矮小化するものだ。
「差別は許されない」という文言が「訴訟の乱発につながる」という点も、差別を温存し続けたい、シスジェンダー・異性愛中心の社会を揺るがせたくないという思惑や、訴訟が増えると、今後「同性婚」の法制化に繋がっていく可能性が高まることを懸念しているのだろう。
20日夜には、筆者も中心となり、今回の発言に対する謝罪・撤回等を求める署名キャンペーンを立ち上げた。しかし、24日に再び開催された自民党内の同じ会議では、差別発言への批判ではなく非公開の会議での発言が外部に漏れたことに対しての怒りが広がり、「簗議員を守るぞ!」といった言葉が廊下の外まで聞こえていたという。
反対派に配慮する自民党執行部
当初、山谷えり子議員によるトランス蔑視発言に注目が集まりつつあったところ、簗議員による「種の保存」発言が炎上すると、その“わかりやすさ”から署名は一気に拡散された。一方で、トランス蔑視発言は覆い隠されたようになってしまった側面もある。
2018年にお茶の水女子大がトランスジェンダー女性の学生受け入れを発表したニュースが報道され注目を集めた。しかし、この頃から特にツイッター上ではトランスジェンダーに対するバッシングが激化するようになった。
山谷えり子議員は2000年代の性教育バッシングやジェンダーフリーバッシングなど、ジェンダー平等の動きに対する反動「ジェンダーバックラッシュ」を率いてきた主要人物のひとりだ(安倍前首相もその一人であり、ゆえに安倍政権下でのLGBT新法はなかなか進まなかったとも言える)。今回の発言も、トランスジェンダーの実態から乖離したバッシングを流布し、殊更に恐怖を煽るプロパガンダ的手法はジェンダーバックラッシュのときと重なる。
結局、山谷議員や簗議員らの発言について謝罪や撤回などの対応はなく、簗議員は下村議員に「お騒がせして申し訳ありません」と身内に謝罪をする始末だった。
24日に再び開かれた会議では、出席者のうち法案に賛成する議員の方が多かったが、一部の強硬な反対派によって議論は3時間半に及んだという。最終的に法案は了承されたが、自民党内からは、今国会での提出は難しいのではないかという声が漏れ聞こえるようになった。
その後開かれた自民党の政調審議会でも議論は紛糾。最後の関門と言われる総務会でも議論が行われたが、結果としては「党三役で預かる」という結論となった。これは事実上、今国会での提出は見送りということだった。
自民党内では法案への賛成派議員の方が多いのにもかかわらず、なぜ了承されなかったのか。
稲田朋美議員を始め、自民党賛成派議員は党内をまとめることができず、自民党執行部も強硬な一部反対派に配慮し、法案提出の見送りを決めた。その大きな理由の一つとして、安倍前首相が「これは闘争だ」と言い、法案を絶対に通さないよう執行部に圧力をかけたということが報じられている。現政権の支持率が低いなかで、菅総理も安倍前首相の勢力に対抗することができなかったのではないか。
ただ、法案推進派の稲田議員も、3~4月の時点ではトランスジェンダーをバッシングする繁内氏の講演を主催していたという点は忘れてはならないだろう。稲田氏らがこの間急速に認識を方向転換していたのだとしても、そもそもの根源は自民党特命委にあったとの見方もできる。
しかし、自民党執行部が示す法案見送りの表向きの理由は、「国会の審議日程が確保できないから」だと下村政調会長や佐藤総務会長が記者会見で述べている。
今回の法案の所管は内閣府のため、内閣委員会で審議される予定だった。しかし重要土地利用規制法案などの議論が紛糾していることから、この法案は審議する時間がないというのが理由だ。
しかし、これは詭弁だと言える。なぜなら、実際には内閣府が所管の法案であっても、他の委員会で審議、採決されている法案がいくつもあることがわかっている。この時点で国会会期末まであと2週間以上も残されており、党三役さえ了承すれば、法務委員会や厚生労働委員会などで審議・採決し、今国会で法案を成立させることは可能だった。
これだけ声が上がっても…
このままでは自民党議員による差別発言は謝罪や撤回もなく、法案提出もない。ヘイトスピーチだけ撒き散らして、当事者はただ傷つけられて終わりということになりかねない状況だった。
そこで、性的マイノリティ当事者など有志が、5月30日から自民党本部前で24時間のシットイン(座り込み)を行い、6月6日には渋谷ハチ公前でも集会が行われた。
筆者も中心となって集めた、山谷議員や簗議員などの差別発言に対する謝罪・撤回などを求めるchange.orgの署名には94,212筆もの賛同が集まった。31日に署名を自民党本部に提出し、プライドハウス東京なども抗議文を自民党本部に提出した。
さらにこの間、北海道、宮城、石川、群馬、埼玉、東京、愛知、大阪、兵庫、福岡で、今国会でのLGBT新法の制定を求める要望書が自民党の各都道府県支部連合会に提出され、弁護士や法学者など1285名の賛同を集めた要望書が自民党議員に手渡されている。4日に行われた「#今国会でLGBT新法の制定を求めます」Twitterデモはトレンド入りも果たした。
6月は「プライド月間」と呼ばれ、世界各地でプライドパレードが行われる。この間さまざまな企業がロゴをレインボーにしたり、虹色の商品などを開発するが、国会議員の差別発言や法案見送りに対する声はなかなか上がってこない。
楽天やパナソニック、Salesforceなどの企業が「LGBT平等法」の制定を求めるEquality Act Japanに賛同を表明し、新経済連盟も今回の法案の重要性を語る声明を出した。
また、IOCもプライド月間に合わせて声明を発表。差別禁止の重要性を強調し「東京五輪でも体現されるだろう」と述べられている。こうした特定の国の法制度に言及する声明は異例だという。
オーストラリアやオランダ、デンマーク、アメリカなど各国大使館・総領事館、さらには駐日イギリス大使自身もツイッターで性的マイノリティの権利保障について言及する投稿を行った。国内メディアだけでなく、NYタイムズやワシントンポスト、AP通信など、海外メディアでも日本の性的マイノリティをめぐる法整備の問題が報じられている。
性的マイノリティの当事者団体をはじめ、国内外のさまざまな業界から声が上げられたことには筆者自身も驚いた。こうした世の中の声に自民党は耳を傾けるのだろうか。7日の国会で、菅首相は性的指向や性自認に関する不当な差別や偏見は「あってはならない」と答弁。自民党の公約でも速やかな法制定を掲げており「国民との約束を果たす」といった発言もしている。
しかし、残念ながらそれでも最終的に自民党執行部は方針を変えなかった。
所詮は“マイノリティ”の課題だ。「国民との約束」を守るつもりはなく、たとえ性的マイノリティに関する差別を放置し、五輪憲章に違反している状態であっても、海外の国々から批判されることはないだろうと、さらに、性的マイノリティよりも地盤の保守層に配慮した方が選挙は有利だと判断されたのだろう。
空虚な「多様性と調和」
衆院選を経て、次の国会でこの法案が再び審議される可能性は高くない。事実上の廃案となるのではないだろうか。
本来必要な法律は「差別的取扱いの禁止」であるのに、なぜこのような不十分な法律を今国会で成立させるよう求めなければならないのか、という本音が筆者としてはあった。
一方で、先述したように、法律ができることで性的マイノリティに関する差別や偏見をなくしていく施策が広がる可能性も確かにある。
今回の法案は、理解増進の施策を進める前提として「差別は許されない」という認識を示したに過ぎない。それでもなお、自民党の一部議員が強硬に反発し、自民党執行部はそこにおもねる。さらに、議論の最中に差別的な発言がでても、一切のおとがめはない。法案をめぐる一連の議論によって、特にトランスジェンダー女性に対するバッシングがさらに激化してしまった面もある。あまりに性的マイノリティの人権や命を軽視していると言わざるを得ない。
本来は東京五輪があろうとなかろうと、五輪憲章に書かれていようといまいと、差別を禁止する法律が必要だ。
法整備の必要性の根拠として、殊更に東京五輪を掲げ続けること自体、性的マイノリティの権利のみをシングルイシューとして強調し、例えば、五輪会場建設の労働環境問題、五輪を契機とした都市開発による路上生活者の排除、森元組織委員会会長による女性蔑視発言、オリンピック選手や関係者は入国できるが、在留資格のある留学生などは依然として入国できない問題など、あまりに山積する五輪による負の側面を覆い隠してしまう部分もあり、引き裂かれる思いになる。
それにもかかわらず、新型コロナウイルスによる懸念がこれだけ示されている中での五輪の開催を強行しようとしている政府、そして東京五輪が掲げるコンセプトは「多様性と調和」だ。あまりの空虚さに愕然とする。
2019年に行われた全国意識調査では、性的マイノリティに関するいじめや差別を禁止する法律や条例の制定に賛成する割合が約9割だった。今の政治が、どれだけ社会の認識とかけ離れたところで行われているか。特に今回強硬に反対した保守派議員らの背後にいる、日本会議や神社本庁といった宗教的なバックグラウンドの勢力が政治に強い影響をもたらしているかを痛感する。
憲法で保障されているはずの基本的人権が、特にマイノリティの立場にいる人間には保障されない日本の現状を突きつけられる。
性的マイノリティはそうではない人と比べて、自殺未遂の割合がLGBで6倍、トランスジェンダーで10倍という調査結果もある。5月30日に行われた自民党本部前での緊急シットインでは、当事者の友人や仲間を失った経験を持つ人のスピーチが少なくなかった。
7月には東京都議選、秋までには衆院選が予定されている。いまの政治の現状では、残念ながら性的マイノリティの権利は、命は、いつまでも置き去りにされ続けるだろう。
それでも、いま困難に直面している人にとって、迫りくる壁が止まってくれるわけではない。緊急シットインの際、富山大学の林夏生さんはこのように語っている。
「命と希望の炎が消えそうな今だからこそ、声を大きく伝えたい。私たちは諦めるわけにはいきません」
松岡 宗嗣(一般社団法人fair代表理事)
https://news.yahoo.co.jp/articles/63367e61738998a548dde1e74b6835c199e0d482
今国会で「LGBT新法」が議員立法で提出される予定だった。しかし、法案の目的や基本理念に示された「差別は許されない」という文言などに自民党の一部議員が反発。法案提出が見送られた。
明日、今国会が会期末を迎える。自民党が提案した法案は明らかに不十分な内容だが、それでも「あった方が良い」と野党は若干の修正によって苦汁を飲んで合意し、さらには自民党内でも賛成議員が多かったにもかかわらず、自民党が自ら法案を潰すという結果になった。
さらにその議論の最中には、自民党議員による差別的な発言があったが、謝罪や撤回等の対応はなされていない。
東京五輪の開催が強行されようとしているが、東京大会で掲げられた「多様性と調和」というコンセプトの空虚さが際立つ。
なぜ法案は今国会提出に至らなかったのか。「LGBT新法」をめぐる動きについて、超党派LGBT議連が発足した6年前にさかのぼって、この間の議論の経緯を振り返りたい。
「LGBTブーム」と「東京五輪」
2015年3月に超党派の国会議員による「LGBTに関する課題を考える議員連盟(通称:超党派LGBT議連)」が発足。自民党・馳浩議員が会長となり、性的マイノリティをめぐる法整備について議論が始まった。同年には、性的マイノリティ関連の市民団体の全国組織「LGBT法連合会」も設立。50以上(設立当時)の賛同団体とともに、超党派LGBT議連に対し「LGBT差別禁止法」の制定を求めて活動を開始した。
背景には、いわゆる「LGBTブーム」と言われることもある、2010年代の経済誌での「LGBT」特集や渋谷区・世田谷区でのパートナーシップ制度導入などによる「LGBT」をめぐる報道の増加や、社会的な注目度の高まりがあるだろう。
そしてもう一つ、大きなきっかけとなったのが「東京2020オリンピック・パラリンピック」だ。
2014年、ソチ五輪の開会式への参加を欧米各国の首脳がボイコットした(当時の安倍首相は参加)。理由は、ロシアがソチ五輪を前に「同性愛宣伝禁止法」を制定したからだ。この事件を受けて、IOCは同年「五輪憲章」を改訂し、根本原則に「性的指向」に基づく差別の禁止を明記した。
2020年の開催国である日本も五輪憲章を守らなければならない。IOCと東京都、JOCの三者による開催都市契約で、日本国政府もこの五輪憲章を遵守することが誓約となっている。東京都は2018年に人権尊重条例を制定し、性的指向や性自認に関する差別的取扱いの禁止を明記した。
国レベルの法案についても、野党は2016年と2018年の二度にわたり「LGBT差別解消法案」を国会に提出したが、自民党は審議に応じなかった。
一方、自民党は2016年に「性的指向・性自認に関する特命委員会(通称:LGBT特命委員会)」を独自に設立。「LGBT理解増進法案」の概要を取りまとめたと発表した。
自民党特命委に対しては、性的マイノリティ関連団体として「LGBT理解増進会」が作られ、代表理事の繁内幸治氏がアドバイザーとして就任。同会の顧問には、自民党特命委の議員が並び、理事には、博報堂DYグループの株式会社LGBT総合研究所・森永貴彦代表取締役社長、株式会社LITALICOの長谷川敦弥代表取締役社長などが名を連ねていた(現在は長谷川氏の名前はWEBサイトから削除されている)。
自民党LGBT特命委員会委員長(当時)の古屋圭司議員は、自身のブログでも「一部野党が主張する差別禁止法とは一線を画した理解増進法」、さらには「攻撃こそ最大の防御なり」と記載しており、野党の求める差別解消法案に否定的であることを強調している。
理由の一つに「同性婚」への強固な反対があるだろう。自民党のLGBTに関する考え方のパンフレットには「同性婚容認は相容れません」「パートナーシップ制度についても慎重な検討が必要」と記載されている。
性的指向に関する差別的取扱いを禁止すると、異性カップルと同性カップルで取扱いが異なることが「差別」となり、同性婚の容認へと繋がることを強く危惧していると言える。
差別的取扱いの禁止は大前提
こうした与野党の対立構図から、野党の「差別解消」か、自民の「理解増進」かという二項対立で語られることが多くなった。しかし、本来必要なのは、差別的取扱いを禁止した上で、適切な理解を広げていくことだろう。
トランスジェンダーであることを理由に面接を打ち切られた、内定を切られた等の差別的取扱いが実際に、いま起きている。「差別的取扱いの禁止」が法律に明記されなければ、こうした具体的な被害から当事者を守ることはできない。
男女雇用機会均等法や障害者差別解消法、アイヌ新法などでも差別的取扱いの禁止は明記されている。性的指向や性自認に関しても「差別的取扱いをしてはならない」という原則を示すことが重要だ。
しかし、自民党特命委やLGBT理解増進会は、「野党の差別解消法は罰則があり、不注意な発言が一部切り取られ『差別だ』と断罪され、社会が分断されてしまう」といった理由で反対している。一方の理解増進法は、性的指向や性自認の多様性に関する人々の「精神の涵養」を広げ、「寛容な社会」が実現するのだという。
そもそも禁止規定を求めているのは、差別“発言”ではなく、差別的“取扱い”に対してだ。さらに、野党案も差別的取扱いが起きた場合などの刑事罰は設けていない(差別的取扱いを行った事業者等に対する指導や勧告、企業名公表など段階的な対処はある)。
理解増進法の懸念
理解増進法ができると「寛容な社会」が実現されるというが、そもそも「寛容」という言葉の意味は「過失をとがめず、人を許すこと」を指す。
性的マイノリティは何か過失を犯した人間でも、許されなければいけない存在でもない。求めているのは、「かわいそうな人たちを理解してあげましょう」ではなく、同じ人間として不当に差別されることなく、平等に扱って欲しいということだけだ。
確かに「理解の増進」は一見、聞こえは良いだろう。しかし、実際には今起きてしまっている差別的取扱いの被害を放置し、同性婚の法制化を先延ばしにする懸念もある。なぜなら、自民党は同性婚に反対しており、理解増進法が「まずは社会の理解が必要だ」という言い訳として使われ続ける可能性があるからだ。
現在、約30の自治体で差別的取扱いの禁止を明記した条例が施行され、100を超える自治体でパートナーシップ制度が導入されているが、当初の内容の理解増進法案ができると、自民党の考える“理解”に忖度し、今後の地方自治体の施策が萎縮、後退するどころか、差別を助長するための“理解”が広げられてしまう懸念があった。
海外では80以上の国で性的指向や性自認に関する差別の禁止を法律に明記しており、G7でこうした法律がないのは日本だけだ。
古屋議員に代わり、現在、自民党特命委の委員長を務める稲田朋美議員は「世界に一つだけの理解増進法」と誇らしく語っているが、海外で同様の法律がないのは、差別的取扱いから被害者を保護することもできない実効性のない法律を、わざわざ作らないからではないだろうか。
野党のLGBT差別解消法案は二度、国会に提出されたが、自民党が反対のため審議されなかった。一方で、当時の安倍政権は性的マイノリティをめぐる法案自体に消極的で、LGBT理解増進法案も国会に提出されることはなかった。
この間、超党派の国会議員が集う院内集会「レインボー国会」が4回行われ、党派を超えてさまざまな議員が何らかの法制度の必要性を訴えたが、実現しないまま約5年の月日が過ぎていった。
再び法整備の機運が
東京五輪開催前の成立が目標として掲げられていたが、2020年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響により、法整備の動きは止まったかに見えた。しかし、東京五輪が翌年に延期され、同年9月に保守的な安倍政権から、菅政権へと変わったことなどにより、再び議論が動き出した。
さらに、LGBT法連合会や国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチが中心となり、性的指向や性自認に関する差別禁止を明記した「LGBT平等法」の制定を求めるキャンペーン「Equality Act Japan」が立ち上がり、2021年3月末には、法律を求める署名約10万筆が各政党に提出された。同時期に参議院予算委員会では、立憲民主党の福山哲郎幹事長が、菅総理に対し、法律どころか「LGBT」の課題を担当する省庁がないことについて迫るなど、与野党幹部の中でもこの課題に対する関心が高まっていった。
こうした変化の中で、今年3月にはLGBT理解増進法案が成立した場合の管轄は「内閣府」となり、坂本哲志内閣府特命担当大臣が所管となることが決まった。これを受けて、自民党特命委は、4月に「LGBT理解増進法」の要綱を取りまとめ、議員立法で今国会での成立を目指す方針を確認した。
ようやく法整備の動きが現実味を帯びてきたが、自民党特命委の示す法案のままでは、今起きている差別的取扱いの被害から当事者を保護できず、性的マイノリティの人権は保障されない。「理解」を広げるフリだけ、もしくは性的マイノリティをめぐるさまざまな動きの“後退”を招きかねない制度となる可能性があり、むしろ「法律がない方がまし」ということになりかねない状況だった。
捻じ曲げられた「理解」
自民党特命委などは「何が差別か示されていない中で差別を禁止すると、かえって理解が進まなくなる」と主張するが、理解増進法の指す“理解”が何を指すのかこそ、全く示されていない。
実際、今年3月末に開催された自民党・稲田朋美議員が共同代表をつとめる「女性議員飛躍の会」で、LGBT理解増進会代表理事・自民党特命委のアドバイザーである繁内幸治氏が行った講演では、明らかに懸念のある“理解”が広げられていた。
繁内氏の講演のタイトルは「暴走するLGBT」。野党などの求める差別禁止法は「上からの押し付け」であり「差別の定義があいまいなため発言が一部切り取られ糾弾され、国民の分断を煽る」などと発言したという。差別発言ではなく、差別的取扱いの禁止が求められているという事実は捻じ曲げられ、さらに「上からの押し付け」という点も、理解増進こそむしろ人々の内心の自由へと介入することが覆い隠されている。
さらに、繁内氏は「性自認」という言葉は野党の案であり、これを採用すると「いま私も女性になりたいと思えば女性になれる」ようになるなどと発言。「一番問題になるのは『今だけ女性』と言う人だ」と、トランスジェンダーの実態を無視した悪意のある主張を行っている。
自民党特命委の正式名称は「性的指向・性自認に関する特命委員会」だ。「性自認」という言葉はさまざまな行政文書や自治体の条例等でも使われている。この用語を変えるということは、なぜ性自認という言葉が使われ出したのかという経緯を無視すると同時に、この言葉が使われてきた各分野の教科書や試験、法規などのすべてを覆しかねない。
加えて、繁内氏は「性同一性」という言葉を採用すべきだと主張するが、「性同一性」も「性自認」も、いずれもGender Identityの訳であり、意味は同じだ。確かにどちらの訳の方が適切かという議論は重要だが、「性自認」という言葉を使うと、殊更に「今だけ女性」と言えるようになるなどと歪曲することは悪質な扇動に他ならない。
それだけでなく、繁内氏は海外のトランスジェンダー女性の写真を資料として提示し、「グロテスク」などという言葉も使い、「女性の活躍、女性の安全が脅かされる」と述べていたという。
会にはトランスジェンダー女性の当事者も参加していたが、繁内氏に対し性別適合手術やホルモン療法に対する保険適用について質問したところ、同氏は「(性同一性障害は)もう“健常者”なのだから、保険適用は必要ない。むしろ生まれたままの姿で生きていける社会が望ましい」などと、本人の性のあり方を否定するような発言までしていたという。
このような歴史的経緯も学術的知見も何も見られない、SNSで流れる俗説をそのまま垂れ流すような認識で、どんな「理解」を広げようというのだろうか。非常に危険性を感じる内容だった。
与野党間で協議が開始
議員立法は全会一致が原則となるため、自民党案も野党案もこのままではどちらも成立しない。今年4月、超党派LGBT議連では、自民党特命委のLGBT理解増進法案について、与野党間で協議を行うことを決め、実務者として自民党・稲田朋美議員、立憲民主党・西村智奈美議員が交渉を担当することになった。
この段階でLGBT理解増進法案の中身は一般には公開されていない。朝日新聞の報道で要綱のポイントが示されているが、議論は水面下で行われていた。
LGBT理解増進法案では、政府に対し理解増進のための基本計画の策定や、施策の実施状況の公表を義務付けている。さらに、性の多様性に関する調査研究を行い、各省庁の連絡会議を設けることも明記されている。一方、自治体や企業、学校などに、理解増進の施策を行うよう求めているが、努力義務にとどまる。
これまで性的マイノリティに関する政策は、例えば文科省が性的マイノリティの児童生徒に関する対応の通知を出したり、厚労省が保険証の氏名に「通称名」の表記を可能とすることを運営者に通知したりするといったことが行われていたが、根拠となる法律もなく、省庁間の調整や整合をとる動きはなかった。窓口もバラバラで当事者側から一つひとつ要望していかなければ実現しない状態だった。
理解増進法ができると、政府に担当部署ができ、それぞれの省庁の政策の総合的な調整がはかられながら施策が進められていく。確かに以前と比べて、さまざまな施策は前進していくだろう。さらに、これまで意識のある自治体や企業、学校のみが、自発的に性的マイノリティに関する施策を実施するという状況だったが、法律ができると、努力義務ではあるが、すべての自治体、企業、学校等に何らか施策を求めることになる。
ただ、これらの施策はあくまで「理解の増進」に関するものであり、その「理解」の内容は前述した通り非常に懸念が大きいものだった。
難航する交渉
4月からはじまった与野党協議はゴールデンウィーク明けに終わる見込みだったが、交渉は難航していた。
繰り返すが、差別をなくすために本来必要なのは、「性的指向や性自認に関する差別的取扱いをしてはならない」という禁止規定を条文に明記することだ。さらに、自民党案であっても議員立法での成立を目指すため、このままでは野党は交渉に応じず法案は提出に至らない。
筆者もこの間、性的マイノリティの当事者や支援者ら有志で「差別的取扱いの禁止の明記」を求める緊急声明を出し、4438名の賛同とともに記者会見を行い、要望書を超党派議連に送付した。
そして連休明けの5月10日に開かれた超党派LGBT議連の総会で、自民党特命委の稲田議員により「LGBT理解増進法案」の修正案が示された。そこでは、法案の目的に、理解増進の施策を進める前提として「性的指向および性自認を理由とする差別は許されないものであるとの認識の下」という文言などが明記されていた。
しかし、これでも差別的取扱いから被害者を保護できる実効性のある内容とは言えない。野党は再度修正を求めた。
14日に再び開かれた議連総会では、稲田議員より、法案の目的に加え基本理念にも「差別は許されない」という文言を追加した再修正案が示された。これでも残念ながら被害から救済できる文言とは言い難い。
ただ、法案を細かく見てみると、記載されている多くの理解増進の施策には「基本理念に基づく」という言葉が記載されている。当初懸念されていた「理解」の内容については、「差別は許されない」という認識が前提となることが示されることになった。
直接的な差別の禁止規定ではないが、理解増進の施策の“前提”を固めることができた。基本的人権、個人の尊重という憲法の理念も明記された。本来求めている実効性のある内容とは程遠いものではあるが、今後の法整備の足がかりとしてこの法案を位置付けられるのではないかと、苦汁を飲んで野党側は合意した。
自民党「今国会提出を見送り」
筆者としても、この合意に対し非常に複雑な気持ちを抱いていた。
確かに、当初案からは0.1歩前進したと言えるだろう。これまで法律の本文で性的マイノリティの存在は何も言及がなく、「いないもの」とされてきた。性的指向や性自認という文言が法律に明記され、担当さえなかったところに部署ができ、基本計画などができることで、全国各地での性的マイノリティに関する啓発などは広がっていくことだろう。
「差別は許されない」という認識が示されたことは、政府や自治体の施策で明らかに差別に基づくような内容の施策は止めることができる可能性がある。トランスジェンダーをバッシングするような、誤った・差別を助長するような理解は、一定歯止めがかかることにはなる。
ただ、法案の内容を上回るような、差別禁止条例やパートナーシップ制度の導入が広がる地方自治体の施策については、国に「忖度」して萎縮、停滞する懸念は残されていた。
国は、本来必要な性的指向や性自認に関する差別を禁止せず、理解を広げる施策を進めるだけで、性的マイノリティに対する平等な権利保障という点は抜け落ちたまま、逃げ続ける可能性もある。一方で、この期を逃すと秋までに行われる衆院選を終えて、法案が再び国会に提出される可能性は低い。今後、数十年、何も法律がない状態が続く懸念もある。
さらに、「差別禁止」に対する自民党のかたくなな反対の姿勢をみる限り、いまの政治状況で差別的取扱いの禁止を明記した法律をつくることは、政権が交代するなどしない限り、非常に難しいだろう。
こうした現状の中で「LGBT理解増進法」は与野党で合意され、各党で持ち帰って審査するフェーズに入った。このまま法案が国会に提出され、成立するのか――その行方を筆者も静観していたところ、まさかの、この法案を提案した自民党が今国会での法案提出を「見送る」と発表したのだ。
押し寄せた反対派議員
5月20日に行われた自民党内の内閣第一部会とLGBT特命委の合同会議で、LGBT理解増進法案が審査された。そこに一部の反対派議員が押し寄せ、議論は紛糾したという。
理由は「差別は許されない」という文言を入れると、「訴訟が乱発される」などとあまりに合理的とは言えないものばかりだった。
さらに、19日の別の会議で、山谷えり子議員は「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、アメリカなんかでは女子陸上競技に参加してしまってダーッとメダルを取るとか、ばかげたことはいろいろ起きている」などと発言。トランスジェンダーの実態を無視し、明らかに先述した繁内氏の発言と重なるような、トランスジェンダー嫌悪や偏見を助長する発言を行った。
そもそも誰もが自身の性自認が尊重され、権利が守られるべきだという前提を押さえたい。その上で実態を見てみると、トランスジェンダー女性の中には、身体的な状況や法律上の性別にかかわらず、周囲からどのように見られるかなどによって、既に女性トイレを利用している人もいれば、多目的トイレを使っている人、女性トイレを使いたくても周囲の目線などを恐れて利用できず、困難を抱えている人もいてさまざまだ。学校や職場等では、トイレ利用をどうするか、本人との調整がすでにさまざまな現場で行われている。
スポーツ参加に関しても、既に日本スポーツ協会がガイドラインを策定し、トランス女性の競技参加に関する競技連盟等の規定を紹介している。 そもそもトランスジェンダーの当事者は、スポーツから排除されている状況。五輪憲章もスポーツに参加することは人権だと示されており、この視点がまず抜けていることを指摘せざるを得ない。
トイレ利用についての現場レベルの調整や、競技参加規定に議論はあるが、トランスジェンダーの実態やそれぞれの議論を無視したトランス排除ありきの発言は、トランスジェンダー嫌悪を煽動するものだ。
さらに、東京五輪でもトランスジェンダー女性の選手が出場することが決まっている。課題に真摯に向き合わず、「ばかげている」といった言葉で、与党議員が選手を侮辱する発言をしたことは、まさに五輪憲章に照らしても国際レベルの問題と言えるのではないか。
山谷議員に加えて、簗和生議員は、20日の会合で「生物学上、LGBTは種の保存に背くもの」といった発言を、西田昌司議員は「LGBTは道徳的に許されない」という趣旨の発言を行ったという。後の朝日新聞の取材で、西田議員の発言は「(性的少数者の当事者も非当事者も)お互い我慢して社会を守る受忍義務」があり、こうした「道徳的な価値観」を無視し、「差別があったら訴訟となれば社会が壊れる」という内容の発言だったことが報じられている。
「種の保存に背く」といった発言は明らかに差別発言だ。3年前に杉田水脈議員が「LGBTは生産性がない」などという文章を月刊誌に寄稿し、国会議員という立場での優生思想に基づく発言が多くの批判を集めた。簗議員は3年前から何も学んでいないことが露呈している。
さらに、西田議員も性的マイノリティとそうでない人が“対等”かのような前提で、マジョリティの価値観を「道徳的」とし、それを守らなければ社会が崩壊するという主張は、性的マイノリティの困難や社会の不平等を矮小化するものだ。
「差別は許されない」という文言が「訴訟の乱発につながる」という点も、差別を温存し続けたい、シスジェンダー・異性愛中心の社会を揺るがせたくないという思惑や、訴訟が増えると、今後「同性婚」の法制化に繋がっていく可能性が高まることを懸念しているのだろう。
20日夜には、筆者も中心となり、今回の発言に対する謝罪・撤回等を求める署名キャンペーンを立ち上げた。しかし、24日に再び開催された自民党内の同じ会議では、差別発言への批判ではなく非公開の会議での発言が外部に漏れたことに対しての怒りが広がり、「簗議員を守るぞ!」といった言葉が廊下の外まで聞こえていたという。
反対派に配慮する自民党執行部
当初、山谷えり子議員によるトランス蔑視発言に注目が集まりつつあったところ、簗議員による「種の保存」発言が炎上すると、その“わかりやすさ”から署名は一気に拡散された。一方で、トランス蔑視発言は覆い隠されたようになってしまった側面もある。
2018年にお茶の水女子大がトランスジェンダー女性の学生受け入れを発表したニュースが報道され注目を集めた。しかし、この頃から特にツイッター上ではトランスジェンダーに対するバッシングが激化するようになった。
山谷えり子議員は2000年代の性教育バッシングやジェンダーフリーバッシングなど、ジェンダー平等の動きに対する反動「ジェンダーバックラッシュ」を率いてきた主要人物のひとりだ(安倍前首相もその一人であり、ゆえに安倍政権下でのLGBT新法はなかなか進まなかったとも言える)。今回の発言も、トランスジェンダーの実態から乖離したバッシングを流布し、殊更に恐怖を煽るプロパガンダ的手法はジェンダーバックラッシュのときと重なる。
結局、山谷議員や簗議員らの発言について謝罪や撤回などの対応はなく、簗議員は下村議員に「お騒がせして申し訳ありません」と身内に謝罪をする始末だった。
24日に再び開かれた会議では、出席者のうち法案に賛成する議員の方が多かったが、一部の強硬な反対派によって議論は3時間半に及んだという。最終的に法案は了承されたが、自民党内からは、今国会での提出は難しいのではないかという声が漏れ聞こえるようになった。
その後開かれた自民党の政調審議会でも議論は紛糾。最後の関門と言われる総務会でも議論が行われたが、結果としては「党三役で預かる」という結論となった。これは事実上、今国会での提出は見送りということだった。
自民党内では法案への賛成派議員の方が多いのにもかかわらず、なぜ了承されなかったのか。
稲田朋美議員を始め、自民党賛成派議員は党内をまとめることができず、自民党執行部も強硬な一部反対派に配慮し、法案提出の見送りを決めた。その大きな理由の一つとして、安倍前首相が「これは闘争だ」と言い、法案を絶対に通さないよう執行部に圧力をかけたということが報じられている。現政権の支持率が低いなかで、菅総理も安倍前首相の勢力に対抗することができなかったのではないか。
ただ、法案推進派の稲田議員も、3~4月の時点ではトランスジェンダーをバッシングする繁内氏の講演を主催していたという点は忘れてはならないだろう。稲田氏らがこの間急速に認識を方向転換していたのだとしても、そもそもの根源は自民党特命委にあったとの見方もできる。
しかし、自民党執行部が示す法案見送りの表向きの理由は、「国会の審議日程が確保できないから」だと下村政調会長や佐藤総務会長が記者会見で述べている。
今回の法案の所管は内閣府のため、内閣委員会で審議される予定だった。しかし重要土地利用規制法案などの議論が紛糾していることから、この法案は審議する時間がないというのが理由だ。
しかし、これは詭弁だと言える。なぜなら、実際には内閣府が所管の法案であっても、他の委員会で審議、採決されている法案がいくつもあることがわかっている。この時点で国会会期末まであと2週間以上も残されており、党三役さえ了承すれば、法務委員会や厚生労働委員会などで審議・採決し、今国会で法案を成立させることは可能だった。
これだけ声が上がっても…
このままでは自民党議員による差別発言は謝罪や撤回もなく、法案提出もない。ヘイトスピーチだけ撒き散らして、当事者はただ傷つけられて終わりということになりかねない状況だった。
そこで、性的マイノリティ当事者など有志が、5月30日から自民党本部前で24時間のシットイン(座り込み)を行い、6月6日には渋谷ハチ公前でも集会が行われた。
筆者も中心となって集めた、山谷議員や簗議員などの差別発言に対する謝罪・撤回などを求めるchange.orgの署名には94,212筆もの賛同が集まった。31日に署名を自民党本部に提出し、プライドハウス東京なども抗議文を自民党本部に提出した。
さらにこの間、北海道、宮城、石川、群馬、埼玉、東京、愛知、大阪、兵庫、福岡で、今国会でのLGBT新法の制定を求める要望書が自民党の各都道府県支部連合会に提出され、弁護士や法学者など1285名の賛同を集めた要望書が自民党議員に手渡されている。4日に行われた「#今国会でLGBT新法の制定を求めます」Twitterデモはトレンド入りも果たした。
6月は「プライド月間」と呼ばれ、世界各地でプライドパレードが行われる。この間さまざまな企業がロゴをレインボーにしたり、虹色の商品などを開発するが、国会議員の差別発言や法案見送りに対する声はなかなか上がってこない。
楽天やパナソニック、Salesforceなどの企業が「LGBT平等法」の制定を求めるEquality Act Japanに賛同を表明し、新経済連盟も今回の法案の重要性を語る声明を出した。
また、IOCもプライド月間に合わせて声明を発表。差別禁止の重要性を強調し「東京五輪でも体現されるだろう」と述べられている。こうした特定の国の法制度に言及する声明は異例だという。
オーストラリアやオランダ、デンマーク、アメリカなど各国大使館・総領事館、さらには駐日イギリス大使自身もツイッターで性的マイノリティの権利保障について言及する投稿を行った。国内メディアだけでなく、NYタイムズやワシントンポスト、AP通信など、海外メディアでも日本の性的マイノリティをめぐる法整備の問題が報じられている。
性的マイノリティの当事者団体をはじめ、国内外のさまざまな業界から声が上げられたことには筆者自身も驚いた。こうした世の中の声に自民党は耳を傾けるのだろうか。7日の国会で、菅首相は性的指向や性自認に関する不当な差別や偏見は「あってはならない」と答弁。自民党の公約でも速やかな法制定を掲げており「国民との約束を果たす」といった発言もしている。
しかし、残念ながらそれでも最終的に自民党執行部は方針を変えなかった。
所詮は“マイノリティ”の課題だ。「国民との約束」を守るつもりはなく、たとえ性的マイノリティに関する差別を放置し、五輪憲章に違反している状態であっても、海外の国々から批判されることはないだろうと、さらに、性的マイノリティよりも地盤の保守層に配慮した方が選挙は有利だと判断されたのだろう。
空虚な「多様性と調和」
衆院選を経て、次の国会でこの法案が再び審議される可能性は高くない。事実上の廃案となるのではないだろうか。
本来必要な法律は「差別的取扱いの禁止」であるのに、なぜこのような不十分な法律を今国会で成立させるよう求めなければならないのか、という本音が筆者としてはあった。
一方で、先述したように、法律ができることで性的マイノリティに関する差別や偏見をなくしていく施策が広がる可能性も確かにある。
今回の法案は、理解増進の施策を進める前提として「差別は許されない」という認識を示したに過ぎない。それでもなお、自民党の一部議員が強硬に反発し、自民党執行部はそこにおもねる。さらに、議論の最中に差別的な発言がでても、一切のおとがめはない。法案をめぐる一連の議論によって、特にトランスジェンダー女性に対するバッシングがさらに激化してしまった面もある。あまりに性的マイノリティの人権や命を軽視していると言わざるを得ない。
本来は東京五輪があろうとなかろうと、五輪憲章に書かれていようといまいと、差別を禁止する法律が必要だ。
法整備の必要性の根拠として、殊更に東京五輪を掲げ続けること自体、性的マイノリティの権利のみをシングルイシューとして強調し、例えば、五輪会場建設の労働環境問題、五輪を契機とした都市開発による路上生活者の排除、森元組織委員会会長による女性蔑視発言、オリンピック選手や関係者は入国できるが、在留資格のある留学生などは依然として入国できない問題など、あまりに山積する五輪による負の側面を覆い隠してしまう部分もあり、引き裂かれる思いになる。
それにもかかわらず、新型コロナウイルスによる懸念がこれだけ示されている中での五輪の開催を強行しようとしている政府、そして東京五輪が掲げるコンセプトは「多様性と調和」だ。あまりの空虚さに愕然とする。
2019年に行われた全国意識調査では、性的マイノリティに関するいじめや差別を禁止する法律や条例の制定に賛成する割合が約9割だった。今の政治が、どれだけ社会の認識とかけ離れたところで行われているか。特に今回強硬に反対した保守派議員らの背後にいる、日本会議や神社本庁といった宗教的なバックグラウンドの勢力が政治に強い影響をもたらしているかを痛感する。
憲法で保障されているはずの基本的人権が、特にマイノリティの立場にいる人間には保障されない日本の現状を突きつけられる。
性的マイノリティはそうではない人と比べて、自殺未遂の割合がLGBで6倍、トランスジェンダーで10倍という調査結果もある。5月30日に行われた自民党本部前での緊急シットインでは、当事者の友人や仲間を失った経験を持つ人のスピーチが少なくなかった。
7月には東京都議選、秋までには衆院選が予定されている。いまの政治の現状では、残念ながら性的マイノリティの権利は、命は、いつまでも置き去りにされ続けるだろう。
それでも、いま困難に直面している人にとって、迫りくる壁が止まってくれるわけではない。緊急シットインの際、富山大学の林夏生さんはこのように語っている。
「命と希望の炎が消えそうな今だからこそ、声を大きく伝えたい。私たちは諦めるわけにはいきません」
松岡 宗嗣(一般社団法人fair代表理事)
https://news.yahoo.co.jp/articles/63367e61738998a548dde1e74b6835c199e0d482