HARBOR BUSINESS Online / 2020年7月29日 8時31分
AmazonプライムのスターチャンネルEXで配信されている、『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、フィリップ・ロスの歴史改変小説を原作とする全6話のドラマシリーズだ。
1940年のアメリカ大統領選で、共和党は正史のウェンデル・L・ウィルキーではなく、大西洋単独無着陸飛行で知られる飛行士チャールズ・リンドバーグを候補者とする。リンドバーグは親ナチスで、大戦への介入に消極的だったが、その彼が現役大統領のルーズベルトを破って当選してしまう。リンドバーグ政権の誕生によって、アメリカに住むユダヤ人たちの運命は翻弄されていく――。
◆現代との交錯
とくに注意せずドラマを観ていてもわかることなのだが、この物語は、単なる歴史のifを描いたものではなく、現在のアメリカの政治状況を鏡のように映し出している。
原作小説は2004年、ブッシュ政権の時代に執筆された。しかしドラマ版では、これが2020年、トランプ政権下でのドラマであることがはっきり意識されている。映画『ジョーカー』は、その舞台設定が1981年であるにもかかわらず、貧困と疎外状況に置かれた人々と、彼らが暴動に至るまでの描かれ方は、現代アメリカのそれであった。同様に、このドラマで大統領選挙の速報をラジオで聴くユダヤ人たちの、最初は余裕だった表情がどんどん曇っていく様子は、2016年の大統領選挙の再現に他ならない。
リンドバーグという人物の造型も、現代のポピュリズム政治家そのままだ。国民的人気のある有名人だが政治は素人で、周囲からバカだとみなされている。選挙運動も、自身の象徴である飛行機で国中を飛び回りながら、「リンドバーグか戦争か」というワンフレーズ・ポリティクスを繰り返すのだ。
史実の候補者ウィルキーは、ルーズベルト以上の参戦論者であった。それを避けて反戦論のリンドバーグを候補者にしたことに、このドラマの巧妙さがある。戦争を回避したいという大衆心理は、ナチス・ドイツが相手でさえ否定されるべきものではない。戦争を欲する大衆心理が煽られるよりもはるかにマシだ。しかし、そのような大衆心理への寄り添いによって、リンドバーグがもつ反ユダヤ主義や親ナチス、ファッショ的心情は誰の目にも明らかであるはずなのに、なかったことにされてしまうのだ。
リンドバーグは、選挙演説においてはっきりと反ユダヤ主義的な陰謀論を唱える。だがそれは彼の当選を阻まない。彼の支持者にとっては、それは彼が無知であることによる「誤解」であり、「真意」ではなかったとされ、「会えばいい人」のような根拠のない人柄への擁護によって中和されていく。
◆無効化された差別主義
このような演出は、現題でも容易におこりうる問題として極めてリアルだ。最近の例をあげよう。7月3日、れいわ新撰組の参議院議員候補者であった大西つねきは、「命の選別をしなければならない」などと、自身の優生思想を明らかにした。これを受けて党は彼を除籍処分にしたが、それでも「大西氏の真意は異なるのだ」「学びの途中なのだ」などと、彼を擁護する声は支持者を中心にいまだに大きい。
また、同月5日に行われた都知事選では、排外主義団体である「在日特権を許さない市民の会」元会長の桜井誠が18万票を獲得した。またこの選挙で300万以上の票を獲得して当選した小池百合子は、都知事として慣例となっていた関東大震災における在日コリアン虐殺に対する追悼文の送付を拒否し続けている。
マイノリティ・弱者にとって、国や地方、その他団体のリーダーが差別主義者かどうかは、文字通り生死を左右する重要な問題だ。しかしその争点は、マジョリティによっていともたやすく二次的な論点として後回しにされ、あるいは無理筋な擁護によって無効化されてしまうのだ。
◆肯定された差別
マジョリティが差別を争点にしないということは、逆に言えば、必ずしもマジョリティは差別主義を理由にその候補者を当選させたわけではない、とも理解できる。しかし、それは安心できることなのだろうか?
リンドバーグが当選した直後から、アメリカでは反ユダヤ主義運動が勢いを増す。ヘイトスピーチやユダヤ人墓地への嫌がらせが公然と起こっていく。リンドバーグが当選したことによって、社会のタガが外れたのだ。
もちろん公式にはいまだ差別はいけないことになっている。彼が当選したのは彼の不干渉主義が支持されたのであって、差別主義が支持されたわけではない。しかし、そうであるにも関わらず、彼の当選は差別を肯定したことになるのだ。
マジョリティの中に潜む差別主義者は、大手を振るって差別をすることができる瞬間を待っている。そのときが訪れるやいなや、彼らはモラルを投げ捨て、自分たちの時代が来たとばかりに、嬉々として猛威を振るいだす。
そして警察はマイノリティを守らない。リンドバーグへの抗議行動はリンドバーグ支持者らによって妨害され、警察は妨害を排除しないどころか、抗議行動の参加者を暴徒として逮捕する。これは、トランプ大統領がアンティファをテロ組織に指定しようとしたことを想起させるが、日本の左派系デモに対しても警察は似たようなことを行っている。
◆飼い慣らしの失敗
ストーリーの中で重要な役割を果たすのが、ユダヤ人ラビのベンゲルズドーフだ。彼はリンドバーグを利用して、自らの地位を高めようと画策する。大統領選挙の際、彼は率先してリンドバーグ支持を表明する。作中でも指摘されているように、それはユダヤ人支持者の獲得には繋がらないが、マジョリティのアメリカ人にリンドバーグに投票する免罪符を与えることになり、彼の当選に決定的な役割を果たす。
ベンゲルズドーフは、リンドバーグが政治的に素人であることを利用し、自分が彼に協力して飼い慣らすことで、むしろアメリカにおけるユダヤ人の地位を高めることができると信じている。彼は”The Office of American Absorption(「アメリカ同化局」)”の長となり、ユダヤ人をマジョリティの一部にしようとする。具体的には、ユダヤ人の子女を田舎に送る”Just Folks(庶民団と字幕がついているが、私が訳すなら「普通のアメリカ人」)”政策を推進する。ちなみに同様の政策は、史実ではアメリカ先住民族に対する同化政策として行われたことがある。
このような政治的ポジショニングの帰結がどうなるかは、示唆したとしてもネタバレにはならないだろう。歴史の教訓からいって、ファシズムを飼い慣らすことなど結局できはしないのだ。狡兎死して走狗烹らる。危機の時代において都合のよい仲介者になりたがる連中に、結局ロクなやつはいない。
◆差別に対する自己欺瞞
エヴリン・フィンケルはベンゲルズドーフの恋人であり、「アメリカ同化局」でも幹部的な地位についている。彼女はリンドバーグに対して批判的なユダヤ人がいたり、彼の当選によってユダヤ人差別が広がっていることを指摘されたりすると、強い拒絶の意志を示す。それはそれだけリンドバーグのことを信じているからだろうか。
けしてそうではない。ここは演じているウィノナ・ライダーの上手さもあるのだが、彼女が今後のアメリカの未来について楽観的な見解を語るときの様子は、不安と狂気に満ちているように思える。それは、事態が悪化すればするほど強くなる。いま自分たちは幸福な夢の中にいるのだから、現実を突き付けて目を覚まさせないでくれ、と言っているかのように。
その心情は一種の正常性バイアスとして理解できる。いったん自分たちが敷いてしまった、リンドバーグを「飼い慣らす」道。そのプロジェクトのために、多くの人々の運命を既に巻き込んでいる。破綻がみえたとしても、今更それをやめることはできなくなっている。そしてプロジェクトが完全に破綻したとき、彼女の人格も破綻する。
◆どこまでなら巻き戻せるのか
どんな社会においても、一度始まってしまったら容易に押し留めることはできなくなる社会のファシズム化。それを止めるには、もしかすると何らかの奇跡的な出来事が起こらなければ無理なのかもしれない。
だが、どんな奇跡が起こったとしても、差別を押し留め、社会を巻き戻していくには、その社会それ自体の胆力が必要なのだ。トランプは当選したが、現代のアメリカではBLMのデモが起こり、2期目の当選が危うい事態となっている。
『高い城の男』が、起こりえたかもしれない過去に対する潜在的な恐怖を表現した物語だとすれば、『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、まさに現在と並行して進んでいく物語なのだ。
我々はこのドラマの中で描かれている出来事を、現実の社会に対する鏡として考えざるをえない。今のところスターチャンネルEXでしか見ることはできないが、今後配信が増える可能性もある。このような時代だからこそ、観ておきたい作品だろう。
<文/北守(藤崎剛人)>
【北守(藤崎剛人)】
ほくしゅ(ふじさきまさと) 非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
https://news.infoseek.co.jp/article/harborbusinessonline_20200729_00224823/
AmazonプライムのスターチャンネルEXで配信されている、『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、フィリップ・ロスの歴史改変小説を原作とする全6話のドラマシリーズだ。
1940年のアメリカ大統領選で、共和党は正史のウェンデル・L・ウィルキーではなく、大西洋単独無着陸飛行で知られる飛行士チャールズ・リンドバーグを候補者とする。リンドバーグは親ナチスで、大戦への介入に消極的だったが、その彼が現役大統領のルーズベルトを破って当選してしまう。リンドバーグ政権の誕生によって、アメリカに住むユダヤ人たちの運命は翻弄されていく――。
◆現代との交錯
とくに注意せずドラマを観ていてもわかることなのだが、この物語は、単なる歴史のifを描いたものではなく、現在のアメリカの政治状況を鏡のように映し出している。
原作小説は2004年、ブッシュ政権の時代に執筆された。しかしドラマ版では、これが2020年、トランプ政権下でのドラマであることがはっきり意識されている。映画『ジョーカー』は、その舞台設定が1981年であるにもかかわらず、貧困と疎外状況に置かれた人々と、彼らが暴動に至るまでの描かれ方は、現代アメリカのそれであった。同様に、このドラマで大統領選挙の速報をラジオで聴くユダヤ人たちの、最初は余裕だった表情がどんどん曇っていく様子は、2016年の大統領選挙の再現に他ならない。
リンドバーグという人物の造型も、現代のポピュリズム政治家そのままだ。国民的人気のある有名人だが政治は素人で、周囲からバカだとみなされている。選挙運動も、自身の象徴である飛行機で国中を飛び回りながら、「リンドバーグか戦争か」というワンフレーズ・ポリティクスを繰り返すのだ。
史実の候補者ウィルキーは、ルーズベルト以上の参戦論者であった。それを避けて反戦論のリンドバーグを候補者にしたことに、このドラマの巧妙さがある。戦争を回避したいという大衆心理は、ナチス・ドイツが相手でさえ否定されるべきものではない。戦争を欲する大衆心理が煽られるよりもはるかにマシだ。しかし、そのような大衆心理への寄り添いによって、リンドバーグがもつ反ユダヤ主義や親ナチス、ファッショ的心情は誰の目にも明らかであるはずなのに、なかったことにされてしまうのだ。
リンドバーグは、選挙演説においてはっきりと反ユダヤ主義的な陰謀論を唱える。だがそれは彼の当選を阻まない。彼の支持者にとっては、それは彼が無知であることによる「誤解」であり、「真意」ではなかったとされ、「会えばいい人」のような根拠のない人柄への擁護によって中和されていく。
◆無効化された差別主義
このような演出は、現題でも容易におこりうる問題として極めてリアルだ。最近の例をあげよう。7月3日、れいわ新撰組の参議院議員候補者であった大西つねきは、「命の選別をしなければならない」などと、自身の優生思想を明らかにした。これを受けて党は彼を除籍処分にしたが、それでも「大西氏の真意は異なるのだ」「学びの途中なのだ」などと、彼を擁護する声は支持者を中心にいまだに大きい。
また、同月5日に行われた都知事選では、排外主義団体である「在日特権を許さない市民の会」元会長の桜井誠が18万票を獲得した。またこの選挙で300万以上の票を獲得して当選した小池百合子は、都知事として慣例となっていた関東大震災における在日コリアン虐殺に対する追悼文の送付を拒否し続けている。
マイノリティ・弱者にとって、国や地方、その他団体のリーダーが差別主義者かどうかは、文字通り生死を左右する重要な問題だ。しかしその争点は、マジョリティによっていともたやすく二次的な論点として後回しにされ、あるいは無理筋な擁護によって無効化されてしまうのだ。
◆肯定された差別
マジョリティが差別を争点にしないということは、逆に言えば、必ずしもマジョリティは差別主義を理由にその候補者を当選させたわけではない、とも理解できる。しかし、それは安心できることなのだろうか?
リンドバーグが当選した直後から、アメリカでは反ユダヤ主義運動が勢いを増す。ヘイトスピーチやユダヤ人墓地への嫌がらせが公然と起こっていく。リンドバーグが当選したことによって、社会のタガが外れたのだ。
もちろん公式にはいまだ差別はいけないことになっている。彼が当選したのは彼の不干渉主義が支持されたのであって、差別主義が支持されたわけではない。しかし、そうであるにも関わらず、彼の当選は差別を肯定したことになるのだ。
マジョリティの中に潜む差別主義者は、大手を振るって差別をすることができる瞬間を待っている。そのときが訪れるやいなや、彼らはモラルを投げ捨て、自分たちの時代が来たとばかりに、嬉々として猛威を振るいだす。
そして警察はマイノリティを守らない。リンドバーグへの抗議行動はリンドバーグ支持者らによって妨害され、警察は妨害を排除しないどころか、抗議行動の参加者を暴徒として逮捕する。これは、トランプ大統領がアンティファをテロ組織に指定しようとしたことを想起させるが、日本の左派系デモに対しても警察は似たようなことを行っている。
◆飼い慣らしの失敗
ストーリーの中で重要な役割を果たすのが、ユダヤ人ラビのベンゲルズドーフだ。彼はリンドバーグを利用して、自らの地位を高めようと画策する。大統領選挙の際、彼は率先してリンドバーグ支持を表明する。作中でも指摘されているように、それはユダヤ人支持者の獲得には繋がらないが、マジョリティのアメリカ人にリンドバーグに投票する免罪符を与えることになり、彼の当選に決定的な役割を果たす。
ベンゲルズドーフは、リンドバーグが政治的に素人であることを利用し、自分が彼に協力して飼い慣らすことで、むしろアメリカにおけるユダヤ人の地位を高めることができると信じている。彼は”The Office of American Absorption(「アメリカ同化局」)”の長となり、ユダヤ人をマジョリティの一部にしようとする。具体的には、ユダヤ人の子女を田舎に送る”Just Folks(庶民団と字幕がついているが、私が訳すなら「普通のアメリカ人」)”政策を推進する。ちなみに同様の政策は、史実ではアメリカ先住民族に対する同化政策として行われたことがある。
このような政治的ポジショニングの帰結がどうなるかは、示唆したとしてもネタバレにはならないだろう。歴史の教訓からいって、ファシズムを飼い慣らすことなど結局できはしないのだ。狡兎死して走狗烹らる。危機の時代において都合のよい仲介者になりたがる連中に、結局ロクなやつはいない。
◆差別に対する自己欺瞞
エヴリン・フィンケルはベンゲルズドーフの恋人であり、「アメリカ同化局」でも幹部的な地位についている。彼女はリンドバーグに対して批判的なユダヤ人がいたり、彼の当選によってユダヤ人差別が広がっていることを指摘されたりすると、強い拒絶の意志を示す。それはそれだけリンドバーグのことを信じているからだろうか。
けしてそうではない。ここは演じているウィノナ・ライダーの上手さもあるのだが、彼女が今後のアメリカの未来について楽観的な見解を語るときの様子は、不安と狂気に満ちているように思える。それは、事態が悪化すればするほど強くなる。いま自分たちは幸福な夢の中にいるのだから、現実を突き付けて目を覚まさせないでくれ、と言っているかのように。
その心情は一種の正常性バイアスとして理解できる。いったん自分たちが敷いてしまった、リンドバーグを「飼い慣らす」道。そのプロジェクトのために、多くの人々の運命を既に巻き込んでいる。破綻がみえたとしても、今更それをやめることはできなくなっている。そしてプロジェクトが完全に破綻したとき、彼女の人格も破綻する。
◆どこまでなら巻き戻せるのか
どんな社会においても、一度始まってしまったら容易に押し留めることはできなくなる社会のファシズム化。それを止めるには、もしかすると何らかの奇跡的な出来事が起こらなければ無理なのかもしれない。
だが、どんな奇跡が起こったとしても、差別を押し留め、社会を巻き戻していくには、その社会それ自体の胆力が必要なのだ。トランプは当選したが、現代のアメリカではBLMのデモが起こり、2期目の当選が危うい事態となっている。
『高い城の男』が、起こりえたかもしれない過去に対する潜在的な恐怖を表現した物語だとすれば、『プロット・アゲンスト・アメリカ』は、まさに現在と並行して進んでいく物語なのだ。
我々はこのドラマの中で描かれている出来事を、現実の社会に対する鏡として考えざるをえない。今のところスターチャンネルEXでしか見ることはできないが、今後配信が増える可能性もある。このような時代だからこそ、観ておきたい作品だろう。
<文/北守(藤崎剛人)>
【北守(藤崎剛人)】
ほくしゅ(ふじさきまさと) 非常勤講師&ブロガー。ドイツ思想史/公法学。ブログ:過ぎ去ろうとしない過去 note:hokusyu Twitter ID:@hokusyu82
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