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「核実験場の風下には人が住んでいた」アカデミー賞『オッペンハイマー』が描かなかった被曝の真実 A GLARING OMMISSION

2024-04-11 | 先住民族関連

ニューズウィーク2024年4月10日(水)15時30分

ナディラ・ゴフ

1945年7月16日、ニューメキシコ州アラモゴードにあるトリニティ実験場で史上初の核実験が行われた JACK AEBYーCORBIS/GETTY IMAGES

<ニューメキシコの核爆弾実験場の近隣には、先住民やメキシコからの移民が住んでいた。映画から抜け落ちた住民の被曝被害の実態に見えるアメリカの「誤った理想」>

今年のアカデミー賞で主要7部門を制した『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督)が時代を超えて語り継がれる名作であることは、たぶん間違いない。その点に異論を唱えるつもりはない。

しかし批判すべき点はある。とりわけ、あの3時間の大作で語られなかった部分だ。例えば、広島や長崎で犠牲になった人たちのこと。

ああ、その話なら日本映画でたくさん語られているよ。そんな反論が(少なくともアメリカ国内では)返ってくることは承知している。では、こちらはどうか?

戦時の国策で原爆の開発が進められ、その具体的な作業と実験が行われた米ニューメキシコ州で生き、その最も恐ろしい影響を身に受けた地元の人たちはどこへ消えたのか?

当時、原爆開発に携わった科学者たちが拠点としていたのはニューメキシコ州ロスアラモスだ。しかし暗号名で「トリニティ」と呼ばれた核実験場のあった場所は、ロスアラモスから約320キロ以上も離れていた。

この隔たりが映画『オッペンハイマー』では不分明だ、と指摘するのはルイジアナ州立大学准教授のジョシュア・ウィーラー。

先ごろ科学史研究所(フィラデルフィア)の機関誌「ディスティレーションズ」に、トリニティ核実験の最も深刻な影響を受けた人々(とその子孫)に関する詳細な調査報告を寄せた人物だ。

調査対象は俗に「風下の民」と呼ばれる人たちで、みんな当時の核関連施設で働いていたか、実験場の風下に暮らしていた。

複雑な話と大勢の人物を3時間の枠に押し込めた映画だから、些細な事実関係に触れる余裕はなかったのかもしれない。だが、消し去られた真実はあまりにも重い。

そもそも、当時の政府がニューメキシコ州の複数の地域から住民を強制退去させた事実が消し去られている。

「この映画で映し出されるニューメキシコの土地には、見渡す限り誰もいない。もちろん映画的には美しい光景だが、当時の現実を映し出してはいない」と、ウィーラーは言う。

ちなみに彼の家族も当時トリニティの近くで牧場を経営していたが、戦時の強制収用法により、無理やり土地を奪われていた。

ロスアラモスの一帯にはもともとアメリカ先住民の集落があり、プエブロ族が暮らしていて、それ以外にメキシコから来た人たちの牧場や農園が30以上もあったけれど、みんな立ち退きを命じられた。そう筆者に教えてくれたのはニューメキシコ大学准教授のマライア・ゴメスだ。

「私の曽祖父母とその家族もそうで、政府から退去通知の書面が送られてきた。中には書面の来なかった家もあるが、問題はそこじゃない。本当にひどいのは、その書面が英語で書かれていたこと。あそこで暮らしていたのはスペイン語しか分からない人たちなのに」。ゴメスはそう説明してくれた。

家畜が射撃訓練の標的に

たいていの場合、彼らは無理やり、暴力的に立ち退かされた。

ゴメスは祖母から聞いた話として、連邦政府がブルドーザーで畑をつぶし、兵隊が家畜を射撃訓練の標的とし、一帯を占拠した憲兵隊と地元住民の間で争いや「人種差別的な口論」もあったと語った。

あの映画で映し出された果てしない無人の砂漠は、「ロスアラモスやトリニティは辺ぴな場所で誰も住んでいなかったという連邦政府の主張」をなぞっただけ。ゴメスはそう指摘する。

トリニティがロスアラモスから離れた場所にあった事実の消去は、ロスアラモスの科学者たちが核実験の破壊的な影響を知っていたか、少なくとも想定していたという重要な事実も塗り隠している。

彼らには、自分たちの居場所の近くで実験をやりたくない理由があった。だから遠く離れた場所を選んだ。そこにも(1940年の国勢調査によれば)13万人以上の住民がいたが、その大半は昔からいたメキシコ系の人か、先住民のメスカレロアパッチ族だった。

「あそこでは癌になる人が異様に多いと聞く。特に多いのは、放射線被曝との関連が指摘される甲状腺癌や自己免疫疾患。そういう話がトリニティ実験以後の世代で語り継がれている」とウィーラーは言う。

ただし「風下の民」の被害には科学的な証拠がない。あるのは自分たちの体験談だけだ。ウィーラーによれば、マンハッタン計画に加わった科学者たちは核実験に伴う放射性降下物に関する十分なデータ収集に熱心ではなかった。

核実験後、周辺の牧場主らの住居の放射線量を測定したところ、「当時合意されていた安全レベルの1万倍もの放射性物質」が検出された例もあるとウィーラーは指摘する。

マンハッタン計画もトリニティ実験も最高機密だったから、放射性降下物を浴びた被害者に真実は伝えられなかった。

あの核実験の後、トリニティ周辺では家屋や農作物、井戸や貯水槽にも放射能の灰が降り注いだが、軍は住民に「何の心配もない」と言い続け、今までどおりに暮らせばいいと教えていた。

「だからみんな、汚染された井戸水で赤子を洗い、水を飲み、汚染されたものを食べていた」とウィーラーは言う。

もっと許し難いのは、プルトニウムの体内摂取が外部被曝よりもさらに危険であることを、科学者も政府も知っていたという事実だ。

1994年にビル・クリントン大統領が設置した調査委員会の報告によると、マンハッタン計画では事前に、放射性物質を摂取した場合の影響を評価するための人体実験を全米各地の病院で進めていた。

原爆投下は決定済みだった

知らないうちに放射能を浴びてしまった人だけではない。土地を奪われ、生活の糧を失った住民の多くは、やむなくロスアラモスの研究所で働くことになった。

放射性廃棄物の清掃や処理に携わる職員は仕事が終わると「洗剤で体中をこすり洗いしたものだ」とゴメスは言う(彼女の祖父と大叔父も研究所で働き、癌で死んだ)。

「皮膚をこすり、ガイガーカウンターが鳴りやむまでは帰宅が許されなかった。でも、その理由や意味は誰も説明してくれなかった」

映画『オッペンハイマー』にロスアラモスの労働者は登場しない。だがウィーラーによれば、そこでは「どうせ英語は読めないから安全保障上の脅威にならない、と判断された多くの地元民」が働いていた。

あの映画には、もうひとつ重大な事実のすり替えがある。トリニティ実験の成功後に、原爆が日本に向けて運び出される場面だ。ウィーラーによれば、実際は「爆発実験の前に運び出されていた。原爆投下の決定は先に下されていて、実験で何が起きようと関係なかった」。

こうした難点はあるものの、『オッペンハイマー』はある冷酷な現実を描き出すことに成功している。それは、誤った理想を掲げて人を傷つけ、無用な二次被害を積み重ねるというアメリカ特有のパターンだ。

この映画はまた、あの戦争に勝つために原爆投下は必要でなかったとも告げている。アメリカの軍部は最初から、想定される「利益」を得るためには罪なき人々の「犠牲」が必要だと論じていた。そして結果として、核兵器という名のパンドラの箱を開けてしまった。

『オッペンハイマー』は歴史の半分しか語っていないが、ニューメキシコで起きた話を大々的に取り上げてくれた。おかげでトリニティやロスアラモスの人々が、自分たちの物語を語るチャンスができた。

「ひどい映画だ、自分は見ない、と地元の人たちは言うかもしれない」とゴメスは言った。「でも私は違う。これはすごい、きっとみんなが『トリニティ』や『ニューメキシコのマンハッタン計画』という単語で検索し始める。楽しみだわ」

それでもウィーラーには別な心配がある。ハリウッド映画の罠に、みんながはまってしまうことだ。「キリアン・マーフィー演じるオッペンハイマーの顔に浮かぶ苦悶の表情を見れば、彼が後悔の念に押しつぶされそうになっていることが分かる」と彼は言う。

「でも、そこが問題だ。一人の人間に罪を背負わせることで、他の人間は罪悪感から逃れられる。それでいいのか。アメリカという国は一貫して、マージナル(周縁的)なコミュニティーを無視し、差別し、破壊し続けてきた。科学の、あるいは経済の進歩のためと称して」

ウィーラーは続けた。「アメリカという国を偉大にした数あるプロジェクトのほとんどで、マージナルなコミュニティーが破壊されてきた。マンハッタン計画もトリニティの核実験も、その延長線上にある」

©2024 The Slate Group

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/04/post-104213.php

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