先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

アイヌ遺骨3体返還 北大、旭川の協議会に

2018-06-26 | アイヌ民族関連
北海道新聞06/25 05:00
 【旭川】北大が研究目的で保管していたアイヌ民族の遺骨3体と副葬品が24日、5月の返還訴訟での和解を受け、旭川アイヌ協議会(川村兼一会長)に返還された。協議会は1985年に北大から返還され、保管していた遺骨4体と合わせて計7体を同日、旭川市内の墓地に埋葬した。
 北大の長谷川晃副学長らが旭川を訪れ、遺骨3体を協議会に引き渡した。長谷川副学長は「アイヌ民族の思いに応えることができた。これからも誠意をもって対応したい」と述べ、川村会長は「先祖は研究材料にされた。アイヌ民族は土に返さないと、神の国へ行けない」と訴えた。
 協議会は、かつて旭川市内から持ち出され、85年に北大から返還された遺骨5体を保管。このうち身元確認の可能性がある1体を除く4体と、今回返還された3体を墓地に埋葬した。協議会と旭川アイヌ協会の関係者ら約30人が先祖の霊を供養した。(山村晋)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/202525

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アイヌ民族の遺骨、旭川の墓地に埋葬

2018-06-26 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2018年6月25日09時39分
北大が返還
 旭川市内で出土し、北海道大が研究目的で保管していたアイヌ民族の遺骨が24日、ふるさとに戻り、墓地に埋葬された。
 旭川アイヌ協議会が北大を相手取った訴訟が5月に旭川地裁で和解し、遺骨5体と漆わんや小刀などの副葬品5点が返還されることになった。この日は、1985年に返還されていた分と合わせて、計8体の遺骨と副葬品が、葬られた。
 遺骨は木箱に入れられ、墓地に掘られた穴の中に並べられた。黄色の墓標2本が立てられ、果物やお菓子などが供えられた。女性らが座ってアイヌ語で歌い、追悼する儀式もあった。
 協議会の川村兼一会長(67)は「やっとふるさとの土にかえってくることができた。きっと喜んでいると思う」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。訴訟で原告側代理人を務めた畑地雅之弁護士は「この日を迎えられたのは一つの結節点。今後もアイヌの文化や権利を守る運動に取り組んでいきたい」と話した。
 埋葬には北大の関係者らも立ち会った。長谷川晃副学長は報道陣の取材に「アイヌの人々の尊厳に適切な配慮を欠いていたことを真摯(しんし)に反省している」と述べた。
 (布田一樹)
https://www.asahi.com/articles/CMTW1806250100007.html

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アイヌの保存食はどんな味? 北海道でアイヌの郷土料理を初体験

2018-06-26 | アイヌ民族関連
ニュースウォーカー2018/06/25 11:00

梅雨で気分がふさぎがちなこの季節。夏休みには少し早いけれど、気持ちを切り替え、週末を利用して北海道へ、というのはいかが? スタンダードな景勝地巡りや海鮮グルメもいいけれど、北海道に来たらぜひ試してほしいのが、アイヌの郷土料理。果たしてどんな食材を使っているのでしょう? そして気になる味は…? 
アイヌ料理を目当てにやってきたのは、北海道最大級のアイヌ民族の集落・アイヌコタンです。こちらは阿寒湖温泉街の西側に位置する、およそ130名ほどのアイヌ民族が暮らすコタン(集落)で、木彫りなどの伝統的な民芸品を販売するショップや、アイヌ料理が味わえる店が30軒ほど軒を連ねています。
そのなかで、知る人ぞ知る存在なのが、民芸喫茶ポロンノです。ここでは、山や海の恵みを存分に生かした伝統的なアイヌ料理から、独自のレシピによるオリジナル料理まで、素朴でおいしい郷土料理をいただけます。
たとえば、阿寒湖湖畔を散策したあとのランチにぴったりなのが、アイヌ料理の定食です。ユック(シカ)のオハウ(汁物)とアマム(炊き込みご飯)のユックセット(1000円) は、体にやさしいメニューです。
ポロンノのメニューは、店主・郷右近好古(ごううこんよしふる)さんのお母さんの味をベースにしているそう。「アイヌ料理は家庭によっても全く味が異なります。私の母の出身は(日高地方の)浦河町なのでその地方の味になっていると思います」とのことで、心がこもったおふくろの味がうれしいですね。
アイヌの伝統的な保存食、ポッチェイモ(ほかの地域ではペネイモ、ムニニイモなど名称が変わります)をピザ生地にしたポッチェピザ(750円)もおすすめです。個性あるポッチェイモ、チーズ、そしてギョウジャニンニクの香りがとてもよくマッチします。また、ポッチェピザのトッピングに使われているコゴミは、アイヌの伝統文様を連想させますね。
また、小腹が空いた時にちょうどいいのが、おやつ代わりにいただきたいラタスケプ(500円)です。ラタスケプを直訳すると“混ぜ合わさったもの”という意味だとか。上新粉が入っており、もちもちした食感で腹持ちもいいですよ。
一見カボチャサラダのように見えますが、イナキビ、トウモロコシ、金時豆が入り、それらの食感もあわせて楽しめます。また、アイヌの調味料的存在であるシケレペの柑橘系の香りがさわやかかつスパイシー。胃もたれに良いとされているシケレペ茶や、体調がいまいち、というときに飲まれていたセタエント茶など、旅先での体調不良時に助かるアイヌのお茶(各350円)と一緒にどうぞ。
アイヌ料理を扱っているお店は道内でも貴重な存在です。それはポッチェイモのように手のかかるものが多かったり、材料が手に入りづらかったりするためです。ポロンノで使っているシカ肉や山菜は近隣の山のものであり、まさに阿寒の自然の恩恵を存分に受けたメニューとなっています。
伝統的なアイヌの食材を生かしつつ、創作し過ぎない範囲で新しいメニューを出したい、と話す郷右近さん。せっかくお店を訪れたのなら、郷右近さんのアイヌにまつわるお話を聞きながら、心がほっこりするアイヌ料理を堪能したいです。
おいしいものや雄大な自然の宝庫である北海道。メジャーな観光スポットは何度行っても飽きないけど、たまにはこういうアイヌの伝統料理を目的に訪れてみるというのも乙ですね。ぜひ週末や夏休みを利用して北海道へ旅行して、知られざる北海道の魅力を再発見してみてください。
民芸喫茶ポロンノ■住所:釧路市阿寒町阿寒湖温泉4-7-8 ■電話:0154・67・2159 ■時間:12:00~22:00(L.O.21:30)15:00~18:00は仕込みのため準備中になることがあります ■休み:不定(休みの日はSNSで告知)※11~4月は要予約 ■席数:25席(禁煙)山崎伸子
https://news.walkerplus.com/article/151680/

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松浦武四郎 足跡たどる 「旅の巨人」誕生から晩年まで、6章で構成 北海道博物館で30日開幕 /北海道

2018-06-26 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年6月25日 地方版
 「北海道」の名付け親として有名な松浦武四郎の足跡をたどる「幕末維新を生きた旅の巨人 松浦武四郎」(北海道博物館主催・毎日新聞北海道支社など共催)が、30日から8月26日まで北海道博物館(札幌市厚別区厚別町小野幌53)特別展示室で開かれる。武四郎と吉田松陰ら幕末の志士や、アイヌ民族との交流を伝える資料のほか、プロジェクションマッピングなどで武四郎の旅を体感できるコーナーもあり、武四郎を通して幕末期の北海道を知ることができる。【土屋信明】
 松浦武四郎は、今から200年前の1818年、三重県松阪市(当時の伊勢国)で生まれた。旅に憧れ16歳ごろから諸国を回り、26歳ごろにロシアの南下政策を知り、蝦夷(えぞ)地探検を決意。6度の探査を行い、択捉(えとろふ)島や樺太まで足を延ばし、150冊もの調査記録書を残した。明治に入り、開拓使の役人になり蝦夷地を「北加伊道」(後に「北海道」)と命名。アイヌ語の地名を参考に郡などの名をつけた。
 展示は、武四郎の生い立ちから青年期をたどる第1章「旅の巨人 武四郎の誕生」に始まり、6回の蝦夷地探査を紹介する第2章「憂北(ゆうほく)の志士 武四郎」、開拓使の役人時代の第4章「北海道の名付け親 武四郎」、明治政府の役人を退いた後の姿を紹介する第5章「旅の終焉(しゅうえん) 武四郎の晩年」など、六つの章で構成されている。
 展示品は、武四郎の肖像写真や、旅の道具、北海道の地図や紀行文などの資料、アイヌ関連の資料や個人的に集めた古物など。このほか、こども体験展示室では、プロジェクションマッピングのほか、武四郎の巨大スゴロクなどで遊びながら学べるコーナーもある。
 開館時間は9時半~17時(最終入館16時半)、6月30日のみ12時~。月曜と7月18日休館、7月16日は開館。特別展観覧料は一般1000円、大学・高校生350円。中学生以下と65歳以上は無料。北海道博物館の後に、三重県総合博物館、北海道立帯広美術館を巡回する。問い合わせは北海道博物館(011・898・0456)。
関連イベント
 講演会「武四郎の道は未来へと続く」=7月1日13時半~。講師は松浦武四郎記念館・山本命さん。参加無料。
 ミュージアムカレッジ「特別展 ここが見どころ!」=7月14日13時半~。講師は北海道博物館・三浦泰之さん。
 ミュージアムトーク「松浦武四郎が書いたアイヌ文化」=7月16日13時~。講師は北海道博物館・遠藤志保さん。
 ミュージアムトーク「<蒐集家(しゅうしゅうか)>武四郎と考古遺物」=8月11日13時~。講師は北海道博物館・鈴木琢也さん。
 講演会「1818-生と死」=8月12日13時半~。講師は北海道博物館アイヌ民族文化研究センター・佐々木利和さん。
 フォーラム「松浦武四郎研究のこれまでとこれから」=8月26日13時半~。基調講演は松浦武四郎研究会会長・田端宏さん。パネリストは道立近代美術館・五十嵐聡美さん▽国学院大学・内川隆志さん▽三重県総合博物館・太田光俊さん▽北海道大学・谷本晃久さん。
https://mainichi.jp/articles/20180625/ddl/k01/040/167000c

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展示物制作用木材を確認 白老・桜ヶ丘公園で5本-アイヌ民族文化財団

2018-06-26 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/6/25配信

 アイヌ民族文化財団は22日、白老町内の桜ヶ丘公園の森林で展示物の製作に使用する木材の現地確認を行った。同財団職員や町職員、関係者などが森の中で、事前調査で選抜したトドマツ5本の現状などを確認した。
 同財団は、白老町と「アイヌ文化伝承のための森林の活用の協定」を締結しており、桜ヶ丘公園と萩の里自然公園を協定区域に設定。この日は、桜ヶ丘公園内で、国立アイヌ民族博物館での展示物の製作に使用するトドマツの現状を確認した。
 確認したトドマツは現在、成長期にあり、水分も多く含んでいることから、成長が止まる時期に運搬することを想定。また、5本のうち3本は、運搬の際に木材に傷が付く可能性があることから、切り出す木の選定も行った。
https://news.yahoo.co.jp/

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小笠原諸島返還50年/実質的移民国家/医療費助成

2018-06-26 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年6月26日 東京朝刊
 今回のメインは石原俊・明治学院大教授。明治に改元されて150年の今年、明治政府による対小笠原諸島や北海道、沖縄政策に光を当てることで、今日なお残る負の遺産を浮かび上がらせる。吉田徹・北海道大教授は、日本に来る外国人が置かれた環境を、井手英策・慶応大教授は、政府による難病の医療費助成圧縮を取り上げることで他者に不寛容な現代日本社会に警鐘を鳴らした。
 ◆小笠原諸島返還50年
今なお残る負の遺産 石原俊
70年安保前の懐柔
 今日6月26日は、小笠原諸島の施政権が米国から日本に返還されて50年の記念日にあたる。1965年の北爆開始以後、ベトナムでの米軍の残虐行為が次々と明るみに出ていた。出撃基地とされた沖縄では、日本復帰運動に加えて反米軍基地運動が高まっていた。60年に改定された日米新安保条約の延長期限(70年安保)が迫る中、日本の反米世論は敗戦後では最高潮に達していた。米国は、ベトナム攻撃の兵站(へいたん)である沖縄をなお保持しつつ、日本本土での左派政権成立を抑止し70年安保を乗り切るため、67年に小笠原返還を発表し世論懐柔策に出たのである。
 今年2018年は「明治維新150年」にあたるが、小笠原返還の1968年は「明治維新100年」であった。64年の東京五輪を経て70年の大阪万博を目前にしたこの年、当時の東アジアで「唯一の先進国」として高度経済成長を達成した日本社会には、「近代化」「文明化」の契機としての明治維新を自賛する言説があふれていた。
 一方で68年は、全国のキャンパスが大学の民主化を求める学生らによって占拠された年でもあった。またこの年、水俣病の原因究明に消極的であった政府がついにチッソの工業廃水を原因として公式に認めるなど、戦後日本の復興・高度経済成長下の公害被害が白日の下にさらされていた。68年は、「近代」や「文明」がもたらしたものへの根底的な疑義や批判が社会を揺るがせた年でもあった。
 しかし、68年の小笠原返還の歴史的背景を、明治維新以来の日本の「近代」が抱えてきた根本的矛盾の象徴的な事例とみる認識は、当時の日本社会では希薄だった。
 1868年の明治維新当時、日本の排他的領土として国際社会から認知されていたのは、本州・四国・九州とその周辺の島々、北海道の一部にとどまっていた。だが明治政府はまもなく、北海道全域と千島、沖縄、そして小笠原の領有・併合事業に乗り出す。
 明治維新の翌年には北海道の植民機関である開拓使が設置され、米国の西部入植と対「インディアン」政策をモデルとしながら、アイヌの生活空間の多くを近代法上の「無主地」とみなして一方的に国有地化し、本州などからの入植者に分け与えた。平野が述べるように、日本当局になりわいの狩猟や漁業を制限されたり強制移住させられたりしたアイヌの多くは極度に困窮し、近代北海道社会の最底辺層に組み込まれていく。
 明治政府は1870年代に入ると、捕鯨船の寄港地として欧米や太平洋諸島など世界各地からの移住者を集めていた小笠原諸島の領有を各国に通告、彼ら先住者を日本籍に編入する。並行して明治政府は、琉球王国の併合を着々と進めていった。日本「近代化」の契機としての明治維新は、日本の「帝国化」の端緒をも意味していた。
帝国の「捨て石」
 第二次世界大戦末期、硫黄島を含む小笠原諸島は、日米の総力戦の最前線に置かれる。日本軍は小笠原諸島民約7700人のうち約6900人を本土に強制疎開させた。他方で青壮年男性の大多数が、強制疎開の対象からも除外され、軍属として徴用された。そして、硫黄島は沖縄などとともに凄惨(せいさん)な地上戦の場となった。軍属として残留させられた硫黄島民103人も地上戦に巻き込まれ、その大多数が命を落としている。小笠原は「帝国」日本の崩壊過程で、「捨て石」として扱われたのである。
 日本の敗戦後、米軍の直接占領下に置かれた小笠原では、米国の特別措置によって、1876年の日本領有以前の先住者の子孫(欧米系島民)約130人にのみ、父島への帰還が認められた。他方で他の大多数の島民、すなわち日本領有以後の本土などからの移住者とその子孫(旧島民)の帰還はかなわなかった。日本はサンフランシスコ講和条約で再独立を獲得するが、同じ条約の第3条は、沖縄や小笠原を米国の排他的な施政権下に置き続けることに日本政府が同意すると定めていた。長期難民化させられた小笠原諸島民の多くが本土で貧困に苦しむ中、米軍は小笠原の島々の秘密核基地化を進めていく。小笠原は冷戦下における日本の再独立・復興の過程でも、「捨て石」として扱われたのだ。
帰れない硫黄島民
 1968年の小笠原返還によって、父島や母島の旧島民とその子孫が四半世紀ぶりに帰還を果たした。他方で硫黄島には返還と同時に自衛隊が駐屯し始め、島民の帰還は認められなかった。その後も硫黄島は事実上日米が共同利用する基地として軍事利用され続け、現在も民間人の立ち入りは厳しく制限されている。そして硫黄島民は、44年の強制疎開から実に74年も故郷喪失状態に置かれてきた。
 「明治維新100年」の年の小笠原返還は、日本の「近代」100年が小笠原諸島とその住民に強いてきた矛盾や負荷に対して、日本社会が正面から向き合う契機にはならなかった。そして「明治維新150年」、小笠原返還50年の現在、強制疎開前の硫黄島での生活経験をもつ島民1世は高齢化し、存命者も少なくなっている。日本の政治と社会は今、国家に翻弄(ほんろう)されながら特異で複雑な「近代」をくぐり抜けてきた小笠原諸島の歴史経験を広く共有するとともに、硫黄島民が強いられてきた74年間の苦難に真摯(しんし)に応答する責任を負っているのである。
 ◆実質的移民国家
問題の本質は日本 吉田徹
 外国人への新たな在留資格が決まる中、5月に「週刊現代」が立て続けに中国人の医療費「ただ乗り」を報じた。在留資格があれば国民健康保険に加入できるため、在住していないと思われる家族に治療を受けさせたり、母国での治療費を請求したりするケースが散見されるという。不正使用の割合は分からず、詐欺容疑で逮捕された例も紹介されているから、外国人のせいで「医療崩壊」が起きていると煽(あお)るのは、生活保護バッシングと同じく、ミスリードだ。受益者負担の思考が染み付き、移民の「福祉ツーリズム」批判は英の欧州連合(EU)離脱の際にもみられた議論。移民排斥論では、日本は世界標準に追いついたのか。
 対して芹澤の周到なルポは、外国人犯罪率低下を指摘しつつ、実質的な移民国家の姿と現場の取り組みを紹介する。コンビニの働き手の20人に1人はすでに外国人だ。
 本当の問題は外国人にではなく、日本にある。田中が耳を傾けた日系ペルー移民の子女は、いじめに遭っても、教師は何もしてくれなかったという。しかしこの生徒は、教師は日本人の不登校児に対するケアもしないのだ、と指摘するのも忘れない。
 つまり、他国民を大事にしない国民は、自分たちのことも大事にしないし、その逆も然(しか)りだ。社会学者アンドレアス・ウィマーの研究によれば、自国に対する誇りであるナショナル・プライドは、政府のプロパガンダなどよりも、政治参加の高さと相関するという。ならば投票率も低く、デモも忌避される国にあって「健全なナショナリズム」など、そもそも望みようがないのだ。
 ◆医療費助成
難病軽症者15万人対象外 井手英策
 軽症でも、重症でも、難病じゃないか、ふとそんな思いがよぎった。
 2015年の難病法の施行以降、指定難病の数は56から331に増加した。一方、軽症と認定された患者は、原則、医療費助成の「対象外」とされた。施行前に助成を受けてきた患者には、3年間の経過措置があったが、昨年末にその期間が終了した。
 厚生労働省は「他の医療費との公平性を考慮した」と説明するが、どれくらいの「対象外」が生じるか把握していなかったとされる。そして、今月19日に加藤勝信厚労相は、助成を得られなくなった患者の数が約15万人にのぼることを明らかにした。
 たしかに対象者を減らすことによって財政負担は軽減される。18年度と17年度を比較すれば、難病の医療費助成は、142億円減っている。
 しかし違和感がある。日本社会はとかく自己責任を求める。だが、自己責任とは無縁の難病患者に「それくらい国のために我慢しろ」というのか。負担が大きく、通院を諦め、症状が重篤(じゅうとく)化する人もでるだろう。毎年度30兆円以上の借金をしている国が、わずかな節約のために人の痛みに鈍感になるとすればこんなに悲しいことはない。
 東日本大震災の時にも同じ気分になった。住宅の全壊・半壊、汚染の程度で支援に差が生まれ、両者の間に怒りのくさびが打ち込まれた。被災者は誰もが犠牲者なのに、彼らは対立へといざなわれた。理由が難病であれ、自然の猛威であれ、不安におびえる仲間たちへの共感を失ってしまえば、社会は社会である根拠を失うだろう。
 ◆今月のお薦め4本
明治学院大教授(社会学)・石原俊
 ■「明治維新」を内破するヘテログロシア--アイヌの経験と言葉(平野克弥、現代思想6月臨時増刊号、総特集 明治維新の光と影)
 ■戊辰戦争・明治維新一五〇年と東北(河西英通、現代思想同号)東北は維新で敗者となった故に「未開」の烙印(らくいん)を押され差別されてきた。
 ■質問なるほドリ 硫黄島 戦没者遺骨の現状は?(栗原俊雄、毎日5月21日朝刊)地上戦生還者・遺族、旧島民らが担ってきた遺骨収容。今も日本軍側約1万体の遺骨が不明。
 ■現役教員が告発 地方国立大学を潰す「偽改革」(西原大輔・林田直樹・山口裕之、中央公論7月号)貴重な教育研究インフラを破壊してきた「改革」。市民も政官財界人も必読。
 ◆今月のお薦め3本
北海道大教授(比較政治)・吉田徹
 ■コンビニ外国人(芹澤健介、新潮新書)
 ■学校ではしゃべらない。日本社会の片隅で孤立する「海外ルーツの子どもたち」(田中宝紀、https://www.refugee.or.jp/fukuzatsu/ikitanaka01)
 ■自分の国に誇りをもてますか(ウィマー、フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)
 ◆今月のお薦め3本
慶応大教授(財政社会学)・井手英策
 ■欧米経済の衰退と民主的世紀の終わり(ヤシャ・モンクほか、フォーリン・アフェアーズ・リポート6月号)民主主義の安定性は経済基盤の頑健性が左右。
 ■医療報道をめぐる嘘(村中璃子、Voice7月号)
 ■「一度は親元を離れたい」生徒、地元私大を見下す先生(倉部史記、中央公論7月号)
 ご意見、ご感想をお寄せください。〒100-8051毎日新聞「オピニオン」係 opinion@mainichi.co.jp
 ■人物略歴 石原俊(いしはら・しゅん)
 明治学院大教授(社会学)。京都大大学院文学研究科博士課程修了。著書に「近代日本と小笠原諸島 移動民の島々と帝国」など。1974年生まれ。
 ■人物略歴 吉田徹(よしだ・とおる)
 北海道大教授(比較政治)。1975年生まれ。
 ■人物略歴 井手英策(いで・えいさく)
 慶応大教授(財政社会学)。1972年生まれ。
https://mainichi.jp/articles/20180626/ddm/004/070/013000c

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宮古室蘭フェリー航路 室蘭の反応は?(動画)

2018-06-26 | アイヌ民族関連
岩手放送 2018年06月25日 17:47 更新
 宮古と北海道の室蘭を結ぶ県内初の定期フェリー航路が22日に就航しました。県内では歓迎ムードの中での船出となりましたが、結ばれる先の室蘭ではこの航路にどのような期待をしているのでしょうか?現地で取材しました。
 先週金曜日、県内で初めてとなる定期フェリーが多くの人に見送られ宮古を出発しました。喜びに沸く宮古のまち…一方、フェリーで結ばれる北海道室蘭は…。
 (記者リポート)「街中にはフェリー航路の開設を知らせる横断幕が至る所にあります」
 宮古から直線距離でおよそ300キロ離れた室蘭市は北海道の南西部に位置しています。人口およそ8万5000人で、製鉄や石油精製など、大規模な工場が立ち並ぶ工業都市とも言えます。室蘭にはかつて5つのフェリー航路があり、海上交通の要衝でした。しかし、近くにある苫小牧港に需要を奪われるかたちで2008年までにすべてが廃止されました。宮蘭フェリーは10年ぶりとなる定期航路です。
 (市民)「経済の活性につながればいいですね」「なるべく長く頑張ってもらいたいですね」「船が入るか入らないかで(まちの)イメージが変わると思うんですよ。そういう点では観光面も特にインバウンドの方も見込めるようになるんではないでしょうか」
 (記者リポート)「室蘭有数の観光地地球岬です。潮風が非常に気持ちいいですね。景色も最高です」
 地球岬はアイヌ語で断崖を表す「チケプ」が語源で、100m前後の断崖絶壁の奥に雄大な太平洋の海原を眺めることができます。ここで売店を営む市民は?  (売店の人)「人の出入りがにぎやかになるんじゃないかなと思っています」「やっぱり観光の面から物流も室蘭経由になりますから、そういう面では期待しています」
 (試食する記者)「ジューシーで甘みのある豚肉です。玉ねぎと一緒になっていてさっぱりとした味わいもあります」
 室蘭のご当地グルメといえばこれ。豚肉と玉ねぎを甘いしょうゆダレで焼いた室蘭やきとりです。フェリー就航を機に知名度アップを狙っています。
 (店の人)「決まってからは少しはみんな期待している。何もないよりは。少しでも売れてくれればいい」
 美しい景色とご当地グルメで観光をPRする室蘭観光協会は宮蘭フェリーの就航が交流人口拡大の起爆剤になればと考えています。
 (室蘭観光協会・仲嶋事務局長)「お互いの地域のファンを増やしていきながら、数多く交流、フェリーを活用して往来していくということを期待したいです。」観光以外でも今回のフェリー就航に熱い視線を送る業界があります」
 (室蘭地区トラック協会・成田会長)「北海道の海の玄関苫小牧にいまフェリー航路が集中していますので、もう一つの選択肢ができたということで我々業界としては歓迎すべきことと考えています」
 トラックを中心とした物流業界です。宮蘭航路実現の背景には東日本大震災の後、青森県八戸市と宮城県仙台市を結ぶ「三陸沿岸道路」の整備が急速に進んだことが挙げられます。そのため、この航路を利用して東北の大消費地に新たな活路を見いだせるのではとの期待があります。
 (成田会長)「燃料高だとかドライバー確保のめの待遇改善などでコストが上がっている。宮古に上がってからの三陸沿岸道路ができるとなれば無料の高規格道路ということでコストが下げられるというのも我々にとってはメリット」
 (記者リポート)「先ほど午後6時に、午前8時に宮古を出港した船が到着しました」
 室蘭発宮古行のフェリーにも地元市民を中心に多くの観光客が乗り込みました。北海道ならではのこんな積み荷も…。利用したトラックドライバーは三陸沿岸道路の早期完成が宮蘭航路定着のカギだと話します。
 (運転手)「(Q.どちらまでいかれます?)宮崎まで。早く高速道路完成してくれれば問題ないんだけど。早く高速道路がつながれば、運送屋は喜んで乗ると思うけど」
 (記者リポート)「白鳥大橋の向こうに工業地帯の明かりが見えます。これは非常に美しいですね。往路は大海原を感じながら復路は美しい夜景を眺めながらこのフェリーの旅は行き帰りも楽しむことができます」
 (翌朝、宮古での歓迎)
 (降りた客)「快適でした。お風呂もあって。大変よく寝られました。きょうは浄土ヶ浜に行って温泉に泊まります。(Q.岩手への旅行イメージは?)大きいイメージが津波なので、子供にとってもいい勉強になると思っています」
 (室蘭市・青山剛市長)「この航路が三陸復興に少しでも寄与できるように力を尽くしていきたい」
 (宮古市・山本正徳市長)「これから先青山市長と一緒にこの航路を維持するために川崎近海汽船と一緒に頑張っていきたい」
 観光と物流両面で人とモノの流れを大きく変える可能性のある宮蘭フェリー。まずは順調な船出といえそうですが、定着のためには官民を挙げた取り組みが今後重要になってきます。
https://news.ibc.co.jp/item_33517.html#close

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「ゴールデンカムイ」第2期、10月より放送決定!第1期の再放送も7月から

2018-06-26 | アイヌ民族関連
コミックナタリー2018年6月26日 0:00

野田サトル原作によるアニメ「ゴールデンカムイ」の第2期が、10月より放送されることが決定した。
「ゴールデンカムイ」第1期放送の告知画像。
これは6月25日に放送された第1期の最終話「誑かす狐」のラストで発表されたもの。TOKYO MX、読売テレビ、札幌テレビ、BS11ほかにて放送される。なお7月より第1期の再放送がTOKYO MX、札幌テレビ、とちぎテレビ、青森朝日放送にて順次行われる。
「ゴールデンカムイ」はゴールドラッシュに湧いた明治後期の北海道を舞台に、アイヌが遺した莫大な埋蔵金を狙う、元軍人の“不死身の杉元”と、アイヌの少女・アシリパを軸に描く冒険活劇。原作はマンガ大賞2016の大賞や、第22回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞している。
https://natalie.mu/comic/news/288391

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Hiraraさん、台湾版グラミー賞 先住民と共作、宮古島出身

2018-06-26 | 先住民族関連
女性自身 2018/06/25 15:40

琉装で金曲奨の授賞式に参加したHiraraさん=23日夜、台北市の台北アリーナ
宮古島出身の歌手・Hiraraさんと、台湾の先住民族アミ族の音楽グループ「CMO樂團(がくだん)」が共同製作したアルバム「直美」が23日、台湾版グラミー賞と呼ばれている「第29回金曲奨(ゴールデン・メロディー・アワード)」の最優秀原住民語アルバム賞に選ばれた。同日夜、台北市にある台北アリーナで行われた授賞式に参加した。Hiraraさんは昨年、宮古島市城辺福里地区に伝わる古謡「アンナ(母)」をCMO樂團とコラボして、宮古島とアミ族の言葉を織り交ぜて歌い「直美」に収録した。
Hiraraさんは受賞について「台湾のアミ族の文化と歴史は沖縄と共通している部分がある。古くから伝わる宮古の古謡を海外で紹介し、名誉ある賞をいただいて大変うれしく思う」と話した。
https://jisin.jp/region/1641928/

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「そうだ、ウチナーもだ」 1枚のTシャツを見て反射的に出た言葉

2018-06-26 | ウチナー・沖縄
【てい子トゥーシーのユンタクハンタク52】
沖縄タイムス 2018年6月25日 16:35

沖縄の団体と国連での活動に参加した時に見たTシャツのデザイン
 写真の英語を右回りに直訳すると「私たちの土地、私たちの権利、私たちの未来、私たちの家、私たちのアイデンティティー」である。4月に米ニューヨークの国連で行われた「先住民族の問題シンポジウム」の期間中に、このTシャツを見つけ、1枚持ち帰った。ある先住民族の自己決定権、先住民族としての尊厳を主張している。
 イベント会場で、多くの書物や写真、絵画とともにテーブルにTシャツは並べられていた。赤いサーモンの刺し身に似たものが目に留まり、好奇心ワクワク近寄ってみた。
 シャツの後ろも少し違う英語の表現だが、訴えの内容は同じである。「世界中の我々先住民族の声を聞いてくれ。我々の土地、我々の権利、今こそ訴えているのだ」。文字を読み終わった瞬間、反射的に出た私の声は「イエス、ウチナー、トゥー」(そうだ、ウチナーもだ)であった。そして名護市辺野古の新基地工事現場が頭に浮かんだ。
 日本政府の沖縄への理不尽な圧力、不公平な対応、差別は今始まったことではない。 2016年10月のウチナーンチュ大会終了後、沖縄の友人たちと東村高江の様子を見に行った。見聞していた本土からの機動隊の行動を見たかった。ウチナーンチュ大会には7千人の海外ウチナーンチュたちが参加した。果たして何人が辺野古の当時の状況を把握し、さらに高江の状況を目撃しただろうか。あるいは聞いて知っていただろうか。郷土への思いは選択的なものだろうか。見ざる、聞かざる、言わざるでそのまま帰国したのだろうか。いくらかは認識(アウェアネス)して帰国しただろうか。ウチナーの権利の問題は国際的に認識させることが絶対に必要である、と昔から思っていた。 
 高江に到着するや否や、昔からの知人がマイクを持ってきた。状況に応じてからと現場を見ていた。第一印象は、沖縄の基地問題の具体的な現状、起こっていた実態を国連の大スクリーンで各国の国際人たちに見てほしいと思った。北部訓練場のゲート前、本土からの機動隊員が3メートル近くで監視する中、私はマイクを握って市民団体を励まし、国連で訴える重要性も話した。
 国連のことは1990年代前半から念頭にあった。沖縄の基地の過重負担は、もう政治問題だけではなく、人権・差別の問題だとの感情が、年月が重なるにつれて強くなっていった。当時、米国で30年間生活していて、人種差別と人権問題を感受するアンテナが張りつめていた。郡立精神保健センターでケースマネジャーとして、青少年のアイデンティティーや人権問題・権利擁護などに関するケースに対応する真っ最中だった。
 加害者たちが恐れるのは、事実内容が周囲に発覚されること。コントロールを失うことになるからである。だから、沖縄の問題は、ウチナー島だけでなく国際的に真の情報を流さねばならない。(てい子与那覇トゥーシー)
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/272271

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エベレストで登山者が捨てるごみ増加、世界最高峰のごみ溜めに?

2018-06-26 | 先住民族関連
AFPBB News 2018年6月25日 13時39分

【AFP=時事】数十年前から登山の商業化が進む世界最高峰エベレスト(Mount Everest、標高8848メートル)は、高額な費用を払うもののゴミには無頓着な登山者たちの増加によって、世界最高峰のごみ溜めと化している。
 山頂へ続く登山道には、蛍光色のテントや捨てられた登山用具、空になったガスボンベの他、人の排泄物までもが散乱している。
 これまで18回のエベレスト登頂を果たしたペンバ・ドルジェ・シェルパ(Pemba Dorje Sherpa)さんは、AFPの取材に対し、「とても不快だし、目障りだ」「この山には、何トンものごみが捨てられている」と語った。
 登山者数の急増に伴い、ごみの問題は悪化している。今年に入り世界最高峰の登頂を試みた登山者は、現時点で少なくとも600人に上る。
 その一方で、地球温暖化の影響により氷河の融解が進んでいるせいで、エドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)とテンジン・ノルゲイ(Tenzing Norgay)が初のエベレスト登頂に成功した65年前から溜まり続けているごみが露出するようになっている。
 ごみを減らす努力も行われている。ネパール政府は5年前、各チームにつき4000ドル(約44万円)の預託金(デポジット)制度を導入。預けたお金は、各登山者が最低8キロのごみを持ち帰った場合に返金される。
 チベット側のヒマラヤ山脈でも同量のごみの持ち帰りが義務付けられており、違反した場合には1キロ当たり100ドル(約1万円)の罰金が科される。
 サガルマタ汚染管理委員会(SPCC)によると、ネパールでは2017年、25トン近いごみと15トンのし尿が登山者らによって持ち帰られたという。その重量は、2階建てバス3台分に相当する。
 だが多くの登山者たちは、預託金を没収される方を選択する。彼らがエベレスト登山のために支払った2万~10万ドル(約220万~1100万円)の費用に比べれば、その金額はわずかなものでしかないからだ。
 ペンバさんも、多くの登山者たちは意に介さないと肩をすくめる。当局者の中には少しばかりの賄賂と引き換えに見て見ぬふりをする者もいて、この問題を悪化させているとペンバさんは語った。
■急速に発展した産業
 エベレストの登山産業は、この20年間で急成長した。
 その結果、登山道が混雑することへの懸念や、格安旅行業者に釣られた経験の浅い登山者が増加することへの危惧が広がっている。
 双子のきょうだいウィリーとともに20年以上のエベレスト登山経験を持つダミアン・ベネガス(Damian Benegas)さんは、こうした経験の浅い登山者たちがごみ問題を悪化させていると警鐘を鳴らした。
 シェルパや高地ガイドの他、地元の先住民族から選ばれたスタッフたちは、テントや予備の酸素ボンベ、ロープなどの重い荷物を持って山を上り下りする。
 以前は大半の登山者たちが、予備の着替えや食料、寝袋、補給用酸素といった個人用装備品を自分で運んでいたが、今は多くの登山者たちが自身で扱うことができず、すべてシェルパに運んでもらっている。
「彼らは客の荷物を運ばなければならないので、ごみを持ち帰ることができないのです」とベネガスさんは語った。
 環境問題専門家らは、エベレスト山中の環境悪化がふもとの谷にある水源にまで影響を与えていると懸念を示している。
 現在、ベースキャンプから排出された未処理の汚水は、徒歩1時間ほどの隣村まで運ばれ、その村の下水溝に廃棄されている。
 米国人技術者のギャリー・ポーター(Garry Porter)氏によると、汚水はその後、モンスーンの時期に丘のふもとを流れる川に排出されるという。
 ポーター氏はこうした問題について自身のチームとともに解決策を模索しており、現在、登山者たちの排泄物を肥料に変えるバイオガスプラントをエベレストのベースキャンプ近くに設置することを検討している。【翻訳編集】AFPBB News
http://news.livedoor.com/article/detail/14916102/

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