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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

学校と私:夢はアイヌ伝統音楽に結実=ミュージシャン・OKIさん

2015-08-31 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年08月31日 東京朝刊

 幼いときに両親が離婚したためアイヌ民族の実父と別れ、再婚した母と北海道から神奈川県鎌倉市に移りました。地元の公立小中学校に通いましたが、目立たない子だったと思います。小学校に入学当初、友だちから「アイヌ」と呼ばれたことがありました。その意味が分からず、「他の人と違うのかな」と思う程度で深く考えませんでした。
 県立茅ケ崎高校に進学し、今でも仲間同士の絆は深いです。当時、ディープ・パープルなどのブリティッシュロックや日本のキャロルなどが人気で、私はロックンロールにのめり込みました。同級生と曲を作り、地元高校生が参加するコンサートに出場しました。「将来はミュージシャンに」との夢はこのころに芽生えたのでしょう。
 印象に残っているのは世界史と物理の2人の先生です。世界史の先生は戦争を取り上げ、個人の意に反した戦争の無意味さを教えてくれました。物理の先生は、髪を七三に分けて背筋を伸ばし、白衣姿でした。ヤンキーな生徒を見つけると怒鳴りつける怖い人で、おかげで物理の成績だけは良かったです。
 大学進学は、画家の義父(加納光於(みつお)さん)の勧めで、美術の道を目指し、東京芸術大に入りました。デザインにも興味がありましたが、金属加工がおもしろいと鍛金コースに進み、つなぎ姿で毎日作業しました。転機は、卒業制作に取りかかる前でした。書店で本を探していると、たまたまアイヌ民族関連の本を手にして、一人のアイヌ民族が実の父だと直感しました。それを機会に、「自分はどう生きるべきか」と悩みました。北海道へ旅行すると、自分を知るアイヌ民族から歓迎される半面、「都会育ちのお前に何が分かる」と拒絶されもしました。
 卒業後、アイデンティティー探しで米国に渡りました。アメリカン・インディアンの聖地も訪れて6年余り過ごし、帰国後は映画の仕事をしました。30代半ばに北海道旭川市の親類から「やってみないか」と伝統楽器トンコリを渡され、今に至ります。遠回りしましたが、よりどころはアイヌ民族で、それ以外の刺激も受けるマージナルな(=境界の)立ち位置で生きたいと思っています。【聞き手・千々部一好】
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 ■人物略歴
 ◇オキ
 1957年生まれ。本名は加納沖。アイヌ民族の伝統楽器、トンコリの奏者。「オキ ダブ アイヌ バンド」のリーダーとして、国内外で演奏活動をしている。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150831ddm013070044000c.html

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アイヌ文化浸透、官民攻めの発信 20年に五輪、象徴空間開設

2015-08-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/30 16:03、08/30 16:05 更新

アイヌ語クイズ付きのスタンプラリーを楽しむ子供たち=札幌市円山動物園
 アイヌ文化を国内外のさまざまな世代に発信する新たな取り組みが官民で相次いでいる。2020年の 東京五輪 ・ パラリンピック や、同年に政府がアイヌ文化復興の拠点「 民族共生の象徴となる空間 」(象徴空間)を胆振管内白老町に開設することを視野に、観光施設や博物館での披露だけにとどまらない攻めの戦略で広範な層に浸透を図る。
 札幌市円山動物園で開催中のアイヌ語クイズ付きスタンプラリー。台紙にヒグマ、 エゾシカ など四つの動物のアイヌ語名を書き込む欄があり、スタンプ台の解説を参考に答えを記入する。挑戦した札幌市立屯田小6年の阿曽(あそ)愛莉さん(12)は「アイヌ語って面白い。もっと知りたい」と話す。
 13年度から国や道などの推進協議会が展開する「イランカラプテキャンペーン」の一環で、ターゲットは子どもたちや観光客。「こんにちは」を意味するアイヌ語を北海道のおもてなしの合言葉として広める取り組みだが、14年度に行ったアンケートでは道民の認知度が3割と低迷。そこで、ポスターやステッカーなどが中心だったこれまでの宣伝方法を刷新した。
 同キャンペーンは今月バンコクで開催された「タイ国際旅行博」にも参加し、民族衣装の着付け体験などを行った。10月には東京・渋谷などで現代アートと融合させた伝統工芸品を展示し、若者にアピールする。
 道は東京五輪がアイヌ文化を世界に発信する好機として、開会式での伝統舞踊の披露を国に要請。北海道独自の文化として観光客誘致につながるとの期待もあり、それまでに国民の理解を深めることを目指す。
 胆振管内白老町の アイヌ民族博物館 は昨年10月、「ルイカ(橋)プロジェクト」を立ち上げた。情報発信が博物館の中にとどまっていたという反省から、企業や地域、教育機関と連携し、橋のようにつなげていこうとの趣旨だ。その企業連携第1号に名乗りを上げたのが田中酒造(小樽)。アイヌ民族伝統の酒を復活させた商品「カムイトノト」を開発した。
 今月、同博物館で開かれた「ポロトコタンの夜」で試飲した神奈川県の会社員有川大介さん(35)は「アイヌ民族の人たちも飲んでいたと思うと感慨深い。ぐっと身近に感じます」。同博物館の野本正博館長は「アイヌ文様の入った洋服の開発など、連携企業を増やしたい」と意気込む。
 地域貢献を目的にした道内企業の動きもある。北海道コカ・コーラはアイヌ文様でデザインした自販機を開発し、十勝管内浦幌町と釧路開建との協働事業として道東道上浦幌パーキングエリアに4台設置。自販機の電光掲示板で「イランカラプテ!ようこそ北海道へ」とメッセージを流す。
 イオン北海道も国が東京五輪に合わせて計画する海外選手との交流事業を視野に、子どもたちから選手にアイヌ文化を伝えてもらおうと、アイヌ文化を英語で学ぶ講座を検討中だ。
 官民のさまざまな動きに北海道アイヌ協会の加藤忠理事長は「国民全員に感謝したい」と話す。北海道アイヌ協会優秀工芸師で、釧路市の阿寒湖アイヌコタンで作品を販売する西田香代子さん(66)も「文様や言葉をきっかけに、アイヌ民族の歴史をもっと知りたいと考える人は多い。意味を正しく理解した上で活用する企業が、さらに広がってほしい」と期待する。
 一方で、アイヌ民族の歴史に詳しい榎森(えもり)進・東北学院大名誉教授(北方史)は「アイヌ文化を発信する新たな動きは評価できるが、土地や 漁業権 などを奪われ、差別された歴史があったことを教育現場で教えた上でなされるべきだ。東京五輪に向けた一時的な文化発信で終わらないよう、アイヌ民族自身が国に対し、権利の保障を強く訴えていく必要もある」と指摘する。(報道センター 上野香織)
 五輪と先住民族 五輪憲章では、人間の尊厳を守り、平和な社会を築くことを目的に掲げ、人種や肌の色、身分などにより差別を受けてはならないと定めている。これにのっとり、近年の五輪では先住民族を尊重する取り組みもなされており、2000年のシドニー五輪はオーストラリアの先住民族アボリジニの陸上選手が聖火を点灯。10年のバンクーバー冬季五輪はカナダの先住民族イヌイットの石像が公式エンブレムのモチーフになった。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0173935.html

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白老でアイヌ舞踊講座スタート―女性11人が基礎学ぶ

2015-08-31 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年8月30日(日)朝刊】
 アイヌ古式舞踊の基礎を学ぶ講座(白老アイヌ協会主催)が28日、白老中央生活館を会場に開講し、女性11人がクマの霊送りの踊り「イオマンテリムセ」の歌を何度も練習した。
 道教委の受託事業で今年10月まで5回開かれる。講師は新井田幹夫さんと下河ヤエさん。「まず歌を完全に覚えないと踊りに入っていけない」とこの日は歌の練習に専念した。「ホイヤー、ホイヤー」「イエーイーエー、ハンルイルイサー」「フンジャーアーアー、ホーレンレー」と手拍子を取りながら声を合わせた。
 新井田さんは「イオマンテリムセはクマの魂を天の神に送り返すときに踊ります。感謝の気持ちを表し、膝を使って踊るのが基本」などとアドバイスした。会場には参加者たちの歌と手拍子が夜遅くまで響き渡っていた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/08/30/20150830m_08.html

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