伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/08/19

2016-08-19 07:55:04 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 18:1-2
「レビびとである祭司すなわちレビの全部族はイスラエルのうちに、分も嗣業も持たない。彼らは主にささげられる火祭の物と、その他のささげ物とを食べなければならない。 彼らはその兄弟のうちに嗣業を持たない。かつて彼らに約束されたとおり主が彼らの嗣業である。」

神様に仕えるレビ人は、レビ人以外のイスラエル人が神様に捧げた捧げ物を生活の糧とすることが定められました。なぜならレビ人は自分の嗣業の地を持たない代わりに、神様に直接仕えるという名誉ある職業が嗣業として与えられたからです。

今日の私たちにとって、直接献身した牧師や宣教師たちの生活を支えることは、信徒の大切な務めです。イスラエル人がレビ人の生活を支えたように、神様に仕える大切なご奉仕を担う献身者を、献金や自発的な支援などの捧げものをもって喜んで支える私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.18.1-2.ja1955

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申命記 18:6-7
「レビびとはイスラエルの全地のうち、どこにいる者でも、彼が宿っている町を出て、主が選ばれる場所に行くならば、 彼は主の前に立っているすべての兄弟レビびとと同じように、その神、主の名によって仕えることができる。」

レビ人は嗣業の地を持ちませんから、一つの地に定着することなく、ただ神様が示された地に移り、その地でも神様に仕えることが許されました。イスラエル人ではない私たちにも嗣業の地はなく、転勤や様々な理由で生活拠点を移すことがあります。そのときも移った先で教会を定め、忠実に神様に仕えることが、神の僕とされた私たちの使命です。

http://bible.com/81/deu.18.6-7.ja1955

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申命記 18:9-12
「あなたの神、主が賜わる地にはいったならば、その国々の民の憎むべき事を習いおこなってはならない。 あなたがたのうちに、自分のむすこ、娘を火に焼いてささげる者があってはならない。また占いをする者、卜者、易者、魔法使、 呪文を唱える者、口寄せ、かんなぎ、死人に問うことをする者があってはならない。 主はすべてこれらの事をする者を憎まれるからである。そしてこれらの憎むべき事のゆえにあなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるのである。」

神様はイスラエル人に、約束の地であるカナン地方の土着の習わしを決して真似てはならないと厳しく戒められました。なぜなら自分の子どもを火に焼いて偶像に捧げるなど、神様の愛とは遠くかけ離れた、神様の忌み嫌われる行為だからです。また占いや呪文、死者や悪霊に問うことなど、神様の御心を求めず、悪しき霊に聞き従うことも行われていました。

今日の日本では、さすがに子どもを火で焼くようなことはなくても、近年は幼児虐待などが常態化しています。また雑誌やテレビでさまざまな占いが当たり前のように目にし、ゲームやマンガで呪文を唱えることに慣らされています。魔法使いや易者はスピリチュアルと名称を変えて世間に広められ、さまざまな怪しい新興宗教が林立しています。私たちが今住んでいる世界は、聖書時代のカナンの地と全く変わらないのが実状です。

このような社会に生きる私たちは、神様がイスラエルの民に命じられたように、世間一般の風潮に決して流されてはなりません。ただ天地の造り主なる神様のみを畏れ、神様の御言葉である聖書に聞き従い、悪しき霊の憎むべき業から離れ、神様に喜ばれるきよい信仰生活を守り通す私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.18.9-12.ja1955

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申命記 18:15
「あなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起されるであろう。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。」

神様はモーセの死後も、モーセに代わりイスラエルを導く預言者を起こすと約束されました。この約束は、直接的にはモーセの後継者となったヨシュアや士師たち、あるいは旧約聖書に出てくる多くの預言者たちを意味しますが、その深い意味はやがて来られる永遠の預言者なるイエス様を指しています。

イエス様こそ、神様が「わたしのようなひとりの預言者」と名指しされた、まことの預言者です。私たちはイエス様に聞き従うことが求められています。聖書を通してイエス様と出合い、御言葉に聞き従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.18.15.ja1955

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申命記 18:20-22
「『ただし預言者が、わたしが語れと命じないことを、わたしの名によってほしいままに語り、あるいは他の神々の名によって語るならば、その預言者は殺さなければならない』。 あなたは心のうちに『われわれは、その言葉が主の言われたものでないと、どうして知り得ようか』と言うであろう。 もし預言者があって、主の名によって語っても、その言葉が成就せず、またその事が起らない時は、それは主が語られた言葉ではなく、その預言者がほしいままに語ったのである。その預言者を恐れるに及ばない。」

神様は預言者と偽預言者とを見抜く方法として、その預言が成就するか否かを見て判断するようにと教えられました。神様が語られた御言葉は、一言たりとも地に落ちることなく、必ず成就するからです。その通り、旧約聖書に出てくる預言者の言葉は、バビロン捕囚もイエス様の到来も、多くの時代を経てすべて成就しました。

偽預言者は、人に気に入られようとして真理を語らず、一時しのぎに過ぎない気休めの平安や、人の心を不安に陥れる惑わしの言葉を語ります。目に見える現状に惑わされることなく、自分の気に入る言葉を選り好みすることもなく、間違いなく神の言葉である聖書の基準に照らして、偽預言者を見抜く信仰の目を養い、ただ神様の語る御言葉のみを信じ従う私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.18.20-22.ja1955
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【今日の聖句】 2016/08/19

2016-08-19 06:53:41 | 今日の聖句
箴言 3:34
「彼はあざける者をあざけり、へりくだる者に恵みを与えられる。」

あざける心は、神をも畏れず自己中心で傲慢な魂の現れです。主なる神様はそのような者を見捨て、謙遜で忠実に仕える者にあふれるばかりの恵みを授けてくださいます。神様に対しても人に対しても驕り高ぶることなく、柔和で遜った心を保ち、主に賞賛されるまことのさいわいを得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.3.34.ja1955
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