伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/08/25

2016-08-25 08:02:34 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 24:1, 4
「人が妻をめとって、結婚したのちに、その女に恥ずべきことのあるのを見て、好まなくなったならば、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせなければならない。

彼女はすでに身を汚したのちであるから、彼女を去らせた先の夫は、ふたたび彼女を妻にめとることはできない。これは主の前に憎むべき事だからである。あなたの神、主が嗣業としてあなたに与えられる地に罪を負わせてはならない。」

福音書にイエス様も引用されているように、「妻を出すときは離縁状を渡せ」という律法は、決して離婚を正当化するための掟ではありません。むしろ4節にある「再び彼女を妻にめとることはできない」という、人が好き勝手に結婚したり離婚したり繰り返すことを戒めるためのものです。私たちは聖書の御言葉を自分の都合の良いように解釈して、自己正当化するために利用してはなりません。御言葉の中に秘められた神様の御心の真意を、真摯に尋ね求める私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.24.1,4.ja1955

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申命記 24:5
「人が新たに妻をめとった時は、戦争に出してはならない。また何の務もこれに負わせてはならない。その人は一年の間、束縛なく家にいて、そのめとった妻を慰めなければならない。」

律法の精神は神様の愛と憐れみです。兵役はイスラエルの成人男性の義務でしたが、結婚したばかりの者には新妻に深い愛情を注ぐために一年間の猶予が与えられました。昔の日本軍は結婚の有無など関係なく徴兵し、多くの戦争寡婦や戦争孤児が発生して更に多くの不幸な人生が生まれました。私たちは過去の過ちを繰り返すことなく、愛と憐れみを基本に置く価値基準を堅持するべきです。

http://bible.com/81/deu.24.5.ja1955

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申命記 24:6
「ひきうす、またはその上石を質にとってはならない。これは命をつなぐものを質にとることだからである。」

神様の目は社会的に弱い者、貧しい者を守ることを最優先に注がれ、人の命を奪うことにつながる行為は断じて許されませんでした。今の社会の風潮は人を人と思わず、情け容赦なく自分の権利を主張する、あまりにも身勝手で利己主義的な考え方に染まっています。神様の愛を知る私たちは、決してそうであってはなりません。いかなる場合にも弱者の立場を思いやり、人の尊厳を保つためには自分の権利をも率先して放棄する、慈悲深い者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.24.6.ja1955

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申命記 24:7
「イスラエルの人々のうちの同胞のひとりをかどわかして、これを奴隷のようにあしらい、またはこれを売る者を見つけたならば、そのかどわかした者を殺して、あなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。」

今の日本には奴隷制度はありませんが、精神的な奴隷制度が横行してはいないでしょうか。スクールカースト、いじめ、シカト、SNSなどでの意図的な仲間外れや陰湿な陰口などなど、さまざまな群集心理が働いて、特定の人を精神的に奴隷へと追い込んでいるのが、今の日本の病んでいる現状ではないでしょうか。

これらの悪しき行為もまた、神様の忌み嫌われる罪であることを、私たちは強く認識しなければなりません。すべての人と仲良くなることはできなくとも、集団的に人を疎外する明らかな罪を犯すことのないよう、人を尊重する憐れみと愛の心を常に保つ私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.24.7.ja1955

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申命記 24:16
「父は子のゆえに殺さるべきではない。子は父のゆえに殺さるべきではない。おのおの自分の罪のゆえに殺さるべきである。」

罪はその人だけが負うべきものであり、決して肉親が罪を肩代わりすることはできないと神様は定められました。これはすなわち、たとえ肉親がクリスチャンであっても、本人が神様を信じていなければ、決して罪は赦されないということでもあります。

クリスチャンの親族を持つ者として、これは厳しい現実です。祖父や祖母、あるいは親が熱心なクリスチャンであったのに、その子や孫は神様を信じておらず、あるいは幼児洗礼を受けていても行事の時だけ教会に行く名ばかりのクリスチャンになっていては、せっかく救いを受けて与った神様の祝福は、一代限りで途絶えてしまいます。イスラエル人が信仰の継承を家庭の最優先課題として熱心に守り続けていることは、私たちも見習わなければなりません。

http://bible.com/81/deu.24.16.ja1955

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申命記 24:19-22
「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう。 あなたがオリブの実をうち落すときは、ふたたびその枝を捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。 またぶどう畑のぶどうを摘み取るときは、その残ったものを、ふたたび捜してはならない。それを寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。 あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったことを記憶しなければならない。それでわたしはあなたにこの事をせよと命じるのである。」

畑や農産物をすべて自分のものとして収穫し尽くさず、貧しい人々や寄留者のためにあえて残しておくことは、神様の愛と憐れみを実践することであり、それが更なる祝福につながります。神様がそのように命じられたのは、かつてはイスラエル人も寄留者であり貧しい者であったからであり、そのときに受けた憐れみを決して忘れてはならないと戒めるためのものです。

権利や利益を根こそぎ自分のものとする強欲、ケチな心、自己主張、利己主義は、神様の恵みを失う原因となります。神様が私たちに対して憐れみ深く寛大であられるように、他人に対しても寛容で広い心をもって接する私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.24.19-22.ja1955
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【今日の聖句】 2016/08/25

2016-08-25 06:46:45 | 今日の聖句
箴言 16:24
「ここちよい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする。」

蜂蜜がただ甘いだけでなく健康にも効果があるように、神様の知恵に満ちた言葉は魂を潤し心身共に健やかに保ちます。人の歓心を買うだけの偽りの甘言に惑わされず、真理の御言葉にまことの慰めと生きる力を見出す私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.16.24.ja1955
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