申命記 17:5-7
「あなたはその悪事をおこなった男子または女子を町の門にひき出し、その男子または女子を石で撃ち殺さなければならない。 ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。 そのような者を殺すには、証人がまず手を下し、それから民が皆、手を下さなければならない。こうしてあなたのうちから悪を除き去らなければならない。」
神様は、イスラエル人の中に主を捨てて他の神々や森羅万象を信奉する者が出てきた場合には、事実関係をよく調べ、複数の証人から証言を得た上で、罪を犯した者を自分たちの手で石打ちの刑にするようにと命じられました。
その際には、証人がまず最初に石を投げることが定められましたが、これは人の命を奪う行為の全責任を負うことを意味し、不正な証言を防ぐためのものです。また神の民イスラエルの罪は連帯責任を負うべきもので、自浄作用が正常に機能しなければ守ることができないとの意味も含まれています。
私たちもまた常に自らの信仰を吟味し、罪に当たるものがないか確認し、もし罪を認めたならば直ちに悔い改め、自分の中から罪の根を徹底的に滅ぼし去る者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.17.5-7.ja1955
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申命記 17:9-11
「レビびとである祭司と、その時の裁判人とに行って尋ねなければならない。彼らはあなたに判決の言葉を告げるであろう。 あなたは、主が選ばれるその場所で、彼らが告げる言葉に従っておこない、すべて彼らが教えるように守り行わなければならない。 すなわち彼らが教える律法と、彼らが告げる判決とに従って行わなければならない。彼らが告げる言葉にそむいて、右にも左にもかたよってはならない。」
人によって意見が分かれたり、判断基準の曖昧な事柄は、自分たちで勝手に判断することなく、神様に仕え、律法に精通している祭司とレビ人のもとに出向き、主の判断を仰いで、神様から告げられた判決に聞き従うべきことが記されています。
私たちの従うべき判断基準は、常に神様の御心です。自分の考えを判断基準とすることは、誤った裁きや判断の元凶となります。聖書の御言葉に背いて右にも左にも偏ることなく、常に正しい裁きの下に身を置く私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.17.9-11.ja1955
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申命記 17:16-17
「王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。 また妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。」
本来、神の民であるイスラエルの王は、神様以外にありません。にもかかわらず神様は、他の国々のようにイスラエルに王を立てる場合の定めを示されました。この前の節に、イスラエルの王は必ずイスラエル人の中から、神様の任命に従って選ばなければならないことが示されています。もしイスラエル以外の外国人の王が立つならば、それは神様に聞き従わないことを意味するからです。
その上で、王となる者の資質として、戦争のために馬を多く持つこと、妻を多く持つこと、また蓄財を禁じられました。これらはすべて神様から心が離れる原因だからです。
馬を多く持たないとは、もし戦争の際にも神様が自ら戦われるので戦車はいらないとの信仰の現れです。妻を多く持たないとは、心が女性に奪われて国を統治する際に神様の御心を尋ねることに集中できなくならないようにとの意味です。金銭を多く持たないとは、経済力に頼って神様に頼らなくならないように、また不正な蓄財によってイスラエルの民を苦しめることのないようにとの意味です。
私たちも、王にまではならずとも、人の上に立つことがあります。その際に備えるべき資質として、これらの教えに聞き従い、自分に任された責任範囲で小さな神の国を実現するような心掛けを持つ者でありますように。
http://bible.com/81/deu.17.16-17.ja1955
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申命記 17:18-20
「彼が国の王位につくようになったら、レビびとである祭司の保管する書物から、この律法の写しを一つの書物に書きしるさせ、 世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。 そうすれば彼の心が同胞を見くだして、高ぶることなく、また戒めを離れて、右にも左にも曲ることなく、その子孫と共にイスラエルにおいて、長くその位にとどまることができるであろう。」
イスラエルを統治する王は、神様が定められた律法の言葉を手元に置いて一生の間、熟読し、神を畏れ、正しい裁きを行うべきことを示されました。
印刷技術のなかった当時、律法の写しを手に入れるだけでも大変なことでありましたが、それほどまでに神様の律法を求め続ける心が、神の国イスラエルの王には必要だったのです。
私たちもまた、聖書の御言葉に親しむために、最大限の努力を惜しまない者でありたいと教えられました。
http://bible.com/81/deu.17.18-20.ja1955
「あなたはその悪事をおこなった男子または女子を町の門にひき出し、その男子または女子を石で撃ち殺さなければならない。 ふたりの証人または三人の証人の証言によって殺すべき者を殺さなければならない。ただひとりの証人の証言によって殺してはならない。 そのような者を殺すには、証人がまず手を下し、それから民が皆、手を下さなければならない。こうしてあなたのうちから悪を除き去らなければならない。」
神様は、イスラエル人の中に主を捨てて他の神々や森羅万象を信奉する者が出てきた場合には、事実関係をよく調べ、複数の証人から証言を得た上で、罪を犯した者を自分たちの手で石打ちの刑にするようにと命じられました。
その際には、証人がまず最初に石を投げることが定められましたが、これは人の命を奪う行為の全責任を負うことを意味し、不正な証言を防ぐためのものです。また神の民イスラエルの罪は連帯責任を負うべきもので、自浄作用が正常に機能しなければ守ることができないとの意味も含まれています。
私たちもまた常に自らの信仰を吟味し、罪に当たるものがないか確認し、もし罪を認めたならば直ちに悔い改め、自分の中から罪の根を徹底的に滅ぼし去る者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.17.5-7.ja1955
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申命記 17:9-11
「レビびとである祭司と、その時の裁判人とに行って尋ねなければならない。彼らはあなたに判決の言葉を告げるであろう。 あなたは、主が選ばれるその場所で、彼らが告げる言葉に従っておこない、すべて彼らが教えるように守り行わなければならない。 すなわち彼らが教える律法と、彼らが告げる判決とに従って行わなければならない。彼らが告げる言葉にそむいて、右にも左にもかたよってはならない。」
人によって意見が分かれたり、判断基準の曖昧な事柄は、自分たちで勝手に判断することなく、神様に仕え、律法に精通している祭司とレビ人のもとに出向き、主の判断を仰いで、神様から告げられた判決に聞き従うべきことが記されています。
私たちの従うべき判断基準は、常に神様の御心です。自分の考えを判断基準とすることは、誤った裁きや判断の元凶となります。聖書の御言葉に背いて右にも左にも偏ることなく、常に正しい裁きの下に身を置く私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.17.9-11.ja1955
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申命記 17:16-17
「王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。 また妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。」
本来、神の民であるイスラエルの王は、神様以外にありません。にもかかわらず神様は、他の国々のようにイスラエルに王を立てる場合の定めを示されました。この前の節に、イスラエルの王は必ずイスラエル人の中から、神様の任命に従って選ばなければならないことが示されています。もしイスラエル以外の外国人の王が立つならば、それは神様に聞き従わないことを意味するからです。
その上で、王となる者の資質として、戦争のために馬を多く持つこと、妻を多く持つこと、また蓄財を禁じられました。これらはすべて神様から心が離れる原因だからです。
馬を多く持たないとは、もし戦争の際にも神様が自ら戦われるので戦車はいらないとの信仰の現れです。妻を多く持たないとは、心が女性に奪われて国を統治する際に神様の御心を尋ねることに集中できなくならないようにとの意味です。金銭を多く持たないとは、経済力に頼って神様に頼らなくならないように、また不正な蓄財によってイスラエルの民を苦しめることのないようにとの意味です。
私たちも、王にまではならずとも、人の上に立つことがあります。その際に備えるべき資質として、これらの教えに聞き従い、自分に任された責任範囲で小さな神の国を実現するような心掛けを持つ者でありますように。
http://bible.com/81/deu.17.16-17.ja1955
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申命記 17:18-20
「彼が国の王位につくようになったら、レビびとである祭司の保管する書物から、この律法の写しを一つの書物に書きしるさせ、 世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。 そうすれば彼の心が同胞を見くだして、高ぶることなく、また戒めを離れて、右にも左にも曲ることなく、その子孫と共にイスラエルにおいて、長くその位にとどまることができるであろう。」
イスラエルを統治する王は、神様が定められた律法の言葉を手元に置いて一生の間、熟読し、神を畏れ、正しい裁きを行うべきことを示されました。
印刷技術のなかった当時、律法の写しを手に入れるだけでも大変なことでありましたが、それほどまでに神様の律法を求め続ける心が、神の国イスラエルの王には必要だったのです。
私たちもまた、聖書の御言葉に親しむために、最大限の努力を惜しまない者でありたいと教えられました。
http://bible.com/81/deu.17.18-20.ja1955