申命記 16:1
「あなたはアビブの月を守って、あなたの神、主のために過越の祭を行わなければならない。アビブの月に、あなたの神、主が夜の間にあなたをエジプトから導き出されたからである。」
イスラエルの暦は、過越の祭が行われるアビブの月(あるいはニサンの月と呼ばれることもある)から始まります。言い換えれば、イスラエル人の生活は出エジプトを起点とする時間軸に従って生きることを意味します。それほどまでにエジプトの奴隷生活から解放された出エジプトは、イスラエルの歴史の中で最も重要な出来事として、決して忘れることのないように過越の祭を行うのです。
これは私たちにとっては罪からの救いを意味します。イエス様はちょうど過越の祭の日に、すべての人の罪を購う子羊としてほふられ十字架につけられました。イエス様の十字架の購いを信じ、罪を悔い改めて赦され、罪の奴隷から解放されて過去の生き方と決別した救いの日その時を、私たちもまた決して忘れてはなりません。罪からの救いを生活の起点、信仰の原点として日々を歩む私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.16.1.ja1955
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申命記 16:9-10, 12
「また七週間を数えなければならない。すなわち穀物に、かまを入れ始める時から七週間を数え始めなければならない。 そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。
…
あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚え、これらの定めを守り行わなければならない。」
過越の祭から7週間目(50日目)に、初穂の祭ともいわれる七週の祭を行います。これは今の教会歴ではペンテコステに当たります。
過越の祭りと七週の祭は共に出エジプトを覚えるために守り行われますが、ちょうど麦の収穫と重なるときであり、約束の地に定住した後は、神様の恵みによって嗣業の地を与えていただき、収穫を得させていただいた感謝を捧げる祭です。私たちもまた、今、自分がこのように生かされているのは、すべて神様の恵みであることを覚え、感謝の心を忘れてはなりません。
http://bible.com/81/deu.16.9-10,12.ja1955
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申命記 16:13-15
「打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。 その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。 主が選ばれる場所で七日の間、あなたの神、主のために祭を行わなければならない。あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない。」
仮庵の祭は、かつてイスラエルが荒野を放浪していたことを覚えて記念する祭です。時期としては葡萄の収穫の後、新しい葡萄酒ができる頃に行われます。葡萄酒は豊かな実りと喜びの象徴です。
神様の約束の地、嗣業の地に入った後も、今の安定した生活に浸って神様の恵みを忘れることのないよう、あえて掘っ建て小屋を造ってその中で生活し、かつてはこのような乏しい生活の中にいた者が、神様の恵みによってこのように豊かに恵まれたことを忘れないようにするためです。私たちもまた、神様の祝福を当たり前のことと思わず、恵みに感謝することを忘れずに、いつまでも新鮮な信仰を保ち続ける者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.16.13-15.ja1955
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申命記 16:16-17
「あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。 あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。」
イスラエルの三大祭、過越の祭り、初穂の祭、仮庵の祭の際、その働きに応じて捧げものを携えてくるようにと神様は命じられました。私たちは神様からたくさんの祝福をいただいています。その恵みをただ受け取る一方で何も応答しないならば、それは神様に対する感謝の心がないものと見なされても仕方ありません。惜しみなく与えてくださる主に、心からの感謝と喜びの心をもって、惜しみなく捧げる私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.16.16-17.ja1955
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申命記 16:19-20
「あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。 ただ公義をのみ求めなければならない。そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜わる地を所有するにいたるであろう。」
義なる神様は、私たちに公義を行うことを求めておられます。人を偏り見ることや、自分に有利な裁きを求めて賄賂を送ることは、義に反する行為です。この世ではそのようなことが当然のように行われていても、神の民とされた者として、決してそのような世の習わしに流されないよう、公義を行う私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.16.19-20.ja1955
「あなたはアビブの月を守って、あなたの神、主のために過越の祭を行わなければならない。アビブの月に、あなたの神、主が夜の間にあなたをエジプトから導き出されたからである。」
イスラエルの暦は、過越の祭が行われるアビブの月(あるいはニサンの月と呼ばれることもある)から始まります。言い換えれば、イスラエル人の生活は出エジプトを起点とする時間軸に従って生きることを意味します。それほどまでにエジプトの奴隷生活から解放された出エジプトは、イスラエルの歴史の中で最も重要な出来事として、決して忘れることのないように過越の祭を行うのです。
これは私たちにとっては罪からの救いを意味します。イエス様はちょうど過越の祭の日に、すべての人の罪を購う子羊としてほふられ十字架につけられました。イエス様の十字架の購いを信じ、罪を悔い改めて赦され、罪の奴隷から解放されて過去の生き方と決別した救いの日その時を、私たちもまた決して忘れてはなりません。罪からの救いを生活の起点、信仰の原点として日々を歩む私たちでありますように。
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申命記 16:9-10, 12
「また七週間を数えなければならない。すなわち穀物に、かまを入れ始める時から七週間を数え始めなければならない。 そしてあなたの神、主のために七週の祭を行い、あなたの神、主が賜わる祝福にしたがって、力に応じ、自発の供え物をささげなければならない。
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あなたはかつてエジプトで奴隷であったことを覚え、これらの定めを守り行わなければならない。」
過越の祭から7週間目(50日目)に、初穂の祭ともいわれる七週の祭を行います。これは今の教会歴ではペンテコステに当たります。
過越の祭りと七週の祭は共に出エジプトを覚えるために守り行われますが、ちょうど麦の収穫と重なるときであり、約束の地に定住した後は、神様の恵みによって嗣業の地を与えていただき、収穫を得させていただいた感謝を捧げる祭です。私たちもまた、今、自分がこのように生かされているのは、すべて神様の恵みであることを覚え、感謝の心を忘れてはなりません。
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申命記 16:13-15
「打ち場と、酒ぶねから取入れをしたとき、七日のあいだ仮庵の祭を行わなければならない。 その祭の時には、あなたはむすこ、娘、しもべ、はしためおよび町の内におるレビびと、寄留の他国人、孤児、寡婦と共に喜び楽しまなければならない。 主が選ばれる場所で七日の間、あなたの神、主のために祭を行わなければならない。あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない。」
仮庵の祭は、かつてイスラエルが荒野を放浪していたことを覚えて記念する祭です。時期としては葡萄の収穫の後、新しい葡萄酒ができる頃に行われます。葡萄酒は豊かな実りと喜びの象徴です。
神様の約束の地、嗣業の地に入った後も、今の安定した生活に浸って神様の恵みを忘れることのないよう、あえて掘っ建て小屋を造ってその中で生活し、かつてはこのような乏しい生活の中にいた者が、神様の恵みによってこのように豊かに恵まれたことを忘れないようにするためです。私たちもまた、神様の祝福を当たり前のことと思わず、恵みに感謝することを忘れずに、いつまでも新鮮な信仰を保ち続ける者でありたいと願います。
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申命記 16:16-17
「あなたのうちの男子は皆あなたの神、主が選ばれる場所で、年に三度、すなわち種入れぬパンの祭と、七週の祭と、仮庵の祭に、主の前に出なければならない。ただし、から手で主の前に出てはならない。 あなたの神、主が賜わる祝福にしたがい、おのおの力に応じて、ささげ物をしなければならない。」
イスラエルの三大祭、過越の祭り、初穂の祭、仮庵の祭の際、その働きに応じて捧げものを携えてくるようにと神様は命じられました。私たちは神様からたくさんの祝福をいただいています。その恵みをただ受け取る一方で何も応答しないならば、それは神様に対する感謝の心がないものと見なされても仕方ありません。惜しみなく与えてくださる主に、心からの感謝と喜びの心をもって、惜しみなく捧げる私たちでありますように。
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申命記 16:19-20
「あなたはさばきを曲げてはならない。人をかたより見てはならない。また賄賂を取ってはならない。賄賂は賢い者の目をくらまし、正しい者の事件を曲げるからである。 ただ公義をのみ求めなければならない。そうすればあなたは生きながらえて、あなたの神、主が賜わる地を所有するにいたるであろう。」
義なる神様は、私たちに公義を行うことを求めておられます。人を偏り見ることや、自分に有利な裁きを求めて賄賂を送ることは、義に反する行為です。この世ではそのようなことが当然のように行われていても、神の民とされた者として、決してそのような世の習わしに流されないよう、公義を行う私たちでありますように。
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