伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2016/08/20

2016-08-20 10:57:19 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 19:4-7
「人を殺した者がそこにのがれて、命を全うすべき場合は次のとおりである。すなわち以前から憎むこともないのに、知らないでその隣人を殺した場合、 たとえば人が木を切ろうとして、隣人と一緒に林に入り、手におのを取って、木を切り倒そうと撃ちおろすとき、その頭が柄から抜け、隣人にあたって、死なせたような場合がそれである。そういう人はこれらの町の一つにのがれて、命を全うすることができる。 そうしなければ、復讐する者が怒って、その殺した者を追いかけ、道が長いために、ついに追いついて殺すであろう。しかし、その人は以前から彼を憎んでいた者でないから、殺される理由はない。 それでわたしはあなたに命じて『三つの町をあなたのために指定しなければならない』と言ったのである。」

神様はイスラエルの国に「のがれの町」を設けるように定められました。これは過失により罪を犯してしまった者が報復を受けていのちを奪われないようにするための措置です。

人がこの世に生きる限り、想定外のことが起こり得ます。そして自分の意志に反して、結果的に罪を犯してしまうこともあります。しかし全く意図せずに犯してしまった罪でも、罪の事実には変わりありません。

それらの罪を購うために、イスラエルにはのがれの地が定められたように、私たちにはイエス様の十字架がありますから感謝いたします。気付かぬうちに犯してしまった罪に気が付いたならば、イエス様の十字架の下に持ち出して直ちに悔い改め、罪の購いを受けて赦しの恵みに与る私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.19.4-7.ja1955

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申命記 19:10
「これはあなたの神、主が与えて嗣業とされる地のうちで、罪のない者の血が流されないようにするためである。そうしなければ、その血を流したとがは、あなたに帰するであろう。」

のがれの町は、罪なき者がいのちを奪われることのないようにするための、神様の愛と憐れみの表れです。しかしたとえ意図せずに犯してしまった罪でも、のがれの町に行かずそのまま留まるならば、その咎は自分の身に降りかかることを忘れてはなりません。

私たちは罪をそのまま放置してはなりません。罪に気付いたならば直ちに悔い改め、神様の赦しを受けてきよめていただく姿勢を身に付ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.19.10.ja1955

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申命記 19:11-13
「しかし、もし人が隣人を憎んでそれをつけねらい、立ちかかってその人を撃ち殺し、そしてこれらの町の一つにのがれるならば、 その町の長老たちは人をつかわして彼をそこから引いてこさせ、復讐する者にわたして殺させなければならない。 彼をあわれんではならない。罪のない者の血を流したとがを、イスラエルから除かなければならない。そうすればあなたにさいわいがあるであろう。」

神様は意図せずに犯してしまった罪には寛大に取り扱ってくださいますが、故意に犯した罪に対しては厳しい態度で臨まれます。義なる神様は罪を忌み嫌われるお方ですから、自ら罪を犯す者は裁きを免れることはできません。神様の憐れみ深さを自分の都合の良いように勝釈することなく、御心が何であるかを正しく知り、罪を憎み正義を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.19.11-13.ja1955

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申命記 19:16-19
「もし悪意のある証人が起って、人に対して悪い証言をすることがあれば、 その相争うふたりの者は主の前に行って、その時の祭司と裁判人の前に立たなければならない。 その時、裁判人は詳細にそれを調べなければならない。そしてその証人がもし偽りの証人であって、兄弟にむかって偽りの証言をした者であるならば、 あなたがたは彼が兄弟にしようとしたことを彼に行い、こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。」

たとえ神様の愛と憐れみの内に生きる民の中にも、悪しき思いを抱き、罪なき人を陥れる者が出くる可能性は否定できません。その時に必要なことは、義なる神の御前に正しい裁きをなすことです。裁判人は神に仕える祭司と共に、訴えられた案件を詳細に調べ、義に反する者には偽った証言の通りに刑罰を科すことになります。

罪に対する裁きには、懲らしめの意味があります。私たちは罰を受けた悪しき者を反面教師として自らを正し、神と人との前に胸を張って立つことのできる正しい生き方を率先して行う者でありたいと願います。

http://bible.com/81/deu.19.16-19.ja1955

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申命記 19:20-21
「そうすれば他の人たちは聞いて恐れ、その後ふたたびそのような悪をあなたがたのうちに行わないであろう。 あわれんではならない。命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足をもって償わせなければならない。」

目には目を、歯には歯を、との言葉は、聖書の中では償いの基準として提示されているもので、決して報復を正当化するために用いられる規定ではありません。愛と憐れみに富む神様は、行き過ぎた裁きを禁じられました。

私たちは怒りに任せて必要以上に人を裁いてしまう弱さを持っています。自分もまた神様に罪赦された罪人に過ぎないことを深く認識し、神様の御心と御言葉の意味するところを正しく知り、憐れみと赦しの心を備えさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/deu.19.20-21.ja1955
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【今日の聖句】 2016/08/20

2016-08-20 06:55:38 | 今日の聖句
箴言 11:2
「高ぶりが来れば、恥もまた来る、へりくだる者には知恵がある。」

高慢な心は自分の真の姿が見えていない証拠です。己を誇張し、分を越えて背伸びする虚勢は、周囲の失笑を買うだけです。真理に目が開かれて自らの足りなさを省み、遜って弱さを補ってくださる主に寄り頼む、まことの知恵ある者となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/pro.11.2.ja1955
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