申命記 12:2-3
「あなたがたの追い払う国々の民が、その神々に仕えた所は、高い山にあるものも、丘にあるものも、青木の下にあるものも、ことごとくこわし、 その祭壇をこぼち、柱を砕き、アシラ像を火で焼き、また刻んだ神々の像を切り倒して、その名をその所から消し去らなければならない。」
約束の地に入るとき、先住民たちが神として拝んでいた偶像を滅ぼし尽くすようにと主は命じられました。これはイスラエルの民が万が一にも偶像を拝むことのないように、過ちに陥る可能性を打ち消すための措置でした。
私たちもまた罪を犯して神様から離れてしまうことのないよう、心の中から偶像を徹底的に除き去り、誘惑に近寄らないよう心掛ける者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.12.2-3.ja1955
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申命記 12:8
「そこでは、われわれがきょうここでしているように、めいめいで正しいと思うようにふるまってはならない。」
私たちが過ちを犯すのは、勝手に自分が正しいと思うことを行うときです。本当の正しさは、義なるまことの神様の教えに聞き従うことによってのみ行うことができます。自分の考えや主義主張に従って自己中心な正義を振り回すことなく、すべての人に対して公義を行われる主の御言葉を守り行う私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.12.8.ja1955
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申命記 12:11, 13
「あなたがたの神、主はその名を置くために、一つの場所を選ばれるであろう。あなたがたはそこにわたしの命じる物をすべて携えて行かなければならない。すなわち、あなたがたの燔祭と、犠牲と、十分の一と、ささげ物およびあなたがたが主に誓ったすべての誓願の供え物とを携えて行かなければならない。
…
慎んで、すべてあなたがよいと思う場所で、みだりに燔祭をささげないようにしなければならない。」
私たちが神様を礼拝するための場所として、主の名を置くために神様自ら選ばれた場所を定められ、私たちが自分たちの好き勝手な場所で神様を礼拝することを禁じられました。それは私たちが誤って偶像礼拝に陥ることのないようにするためでした。
日本では、高い山や滝、海の島々、あるいは大木などに注連縄を張り、自然をも信仰の対象として拝んでいます。しかしいかに偉大な風景でも、天地の造り主なる神様が造られた大自然を神とすることは、れっきとした偶像礼拝です。神様はそのようなことを望んでおられません。私たちが畏れ敬うべき神様は、主なるまことの神様だけです。
http://bible.com/81/deu.12.11,13.ja1955
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申命記 12:15
「しかし、あなたの神、主が賜わる恵みにしたがって、すべて心に好む獣を、どの町ででも殺して、その肉を食べることができる。すなわち、かもしかや雄じかの肉と同様にそれを、汚れた人も、清い人も、食べることができる。」
昔も今も、肉を食べることは人にとって最高の満足を得られる食事でした。神様は私たちに自由な意志を与えられ、人が自らの好みに任せて行うことを許されました。しかしそれは主の賜る恵みの範囲内で許されていることを、私たちは忘れてはなりません。神様の許容範囲を超えて、神様の領域にまで手を付けて、自分勝手なことをしてはなりません。
http://bible.com/81/deu.12.15.ja1955
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申命記 12:23-25
「ただ堅く慎んで、その血を食べないようにしなければならない。血は命だからである。その命を肉と一緒に食べてはならない。 あなたはそれを食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。 あなたはそれを食べてはならない。こうして、主が正しいと見られる事を行うならば、あなたにも後の子孫にも、さいわいがあるであろう。」
神様は、動物の肉を食べることは許されましたが、血は食べてはならないと許可されませんでした。それは血はいのちの源であるとの信仰によるものです。
また現代とは比べものにならないくらい衛生環境の悪かった昔は、血から感染症や寄生虫などのさまざまな病気の原因となりましたから、科学的にも納得できる根拠でもあります。今でも生肉を食べて死に至る食中毒の事故が起こるくらいですから、「血を食べてはならない、そうすればあなたにさいわいがある」との御言葉は、実に理にかなったものです。
いずれにせよ、主の定めを守り行うことは私たちがさいわいを得るため、災いを遠ざけるための神様の知恵であり、愛に基づくご配慮であることを覚え、忠実に御言葉に聞き従う者でありますように。
http://bible.com/81/deu.12.23-25.ja1955
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申命記 12:32
「あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」
神様の定めに付け加えることも、減らすことも、人間の意志が加わったものですから、神様に聞き従うこととはなりません。律法学者たちがモーセの十戒と戒めに様々な規定を付け加えて人を縛り付けたように、私たちもまたキリストの十字架によって罪から解放された自由と喜びを人から奪うことのないよう、パリサイ人のように人の信仰の揚げ足を取るような真似をしないよう、十分に気を付けなければなりません。
http://bible.com/81/deu.12.32.ja1955
「あなたがたの追い払う国々の民が、その神々に仕えた所は、高い山にあるものも、丘にあるものも、青木の下にあるものも、ことごとくこわし、 その祭壇をこぼち、柱を砕き、アシラ像を火で焼き、また刻んだ神々の像を切り倒して、その名をその所から消し去らなければならない。」
約束の地に入るとき、先住民たちが神として拝んでいた偶像を滅ぼし尽くすようにと主は命じられました。これはイスラエルの民が万が一にも偶像を拝むことのないように、過ちに陥る可能性を打ち消すための措置でした。
私たちもまた罪を犯して神様から離れてしまうことのないよう、心の中から偶像を徹底的に除き去り、誘惑に近寄らないよう心掛ける者でありたいと願います。
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申命記 12:8
「そこでは、われわれがきょうここでしているように、めいめいで正しいと思うようにふるまってはならない。」
私たちが過ちを犯すのは、勝手に自分が正しいと思うことを行うときです。本当の正しさは、義なるまことの神様の教えに聞き従うことによってのみ行うことができます。自分の考えや主義主張に従って自己中心な正義を振り回すことなく、すべての人に対して公義を行われる主の御言葉を守り行う私たちでありますように。
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申命記 12:11, 13
「あなたがたの神、主はその名を置くために、一つの場所を選ばれるであろう。あなたがたはそこにわたしの命じる物をすべて携えて行かなければならない。すなわち、あなたがたの燔祭と、犠牲と、十分の一と、ささげ物およびあなたがたが主に誓ったすべての誓願の供え物とを携えて行かなければならない。
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慎んで、すべてあなたがよいと思う場所で、みだりに燔祭をささげないようにしなければならない。」
私たちが神様を礼拝するための場所として、主の名を置くために神様自ら選ばれた場所を定められ、私たちが自分たちの好き勝手な場所で神様を礼拝することを禁じられました。それは私たちが誤って偶像礼拝に陥ることのないようにするためでした。
日本では、高い山や滝、海の島々、あるいは大木などに注連縄を張り、自然をも信仰の対象として拝んでいます。しかしいかに偉大な風景でも、天地の造り主なる神様が造られた大自然を神とすることは、れっきとした偶像礼拝です。神様はそのようなことを望んでおられません。私たちが畏れ敬うべき神様は、主なるまことの神様だけです。
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申命記 12:15
「しかし、あなたの神、主が賜わる恵みにしたがって、すべて心に好む獣を、どの町ででも殺して、その肉を食べることができる。すなわち、かもしかや雄じかの肉と同様にそれを、汚れた人も、清い人も、食べることができる。」
昔も今も、肉を食べることは人にとって最高の満足を得られる食事でした。神様は私たちに自由な意志を与えられ、人が自らの好みに任せて行うことを許されました。しかしそれは主の賜る恵みの範囲内で許されていることを、私たちは忘れてはなりません。神様の許容範囲を超えて、神様の領域にまで手を付けて、自分勝手なことをしてはなりません。
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申命記 12:23-25
「ただ堅く慎んで、その血を食べないようにしなければならない。血は命だからである。その命を肉と一緒に食べてはならない。 あなたはそれを食べてはならない。水のようにそれを地に注がなければならない。 あなたはそれを食べてはならない。こうして、主が正しいと見られる事を行うならば、あなたにも後の子孫にも、さいわいがあるであろう。」
神様は、動物の肉を食べることは許されましたが、血は食べてはならないと許可されませんでした。それは血はいのちの源であるとの信仰によるものです。
また現代とは比べものにならないくらい衛生環境の悪かった昔は、血から感染症や寄生虫などのさまざまな病気の原因となりましたから、科学的にも納得できる根拠でもあります。今でも生肉を食べて死に至る食中毒の事故が起こるくらいですから、「血を食べてはならない、そうすればあなたにさいわいがある」との御言葉は、実に理にかなったものです。
いずれにせよ、主の定めを守り行うことは私たちがさいわいを得るため、災いを遠ざけるための神様の知恵であり、愛に基づくご配慮であることを覚え、忠実に御言葉に聞き従う者でありますように。
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申命記 12:32
「あなたがたはわたしが命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これにつけ加えてはならない。また減らしてはならない。」
神様の定めに付け加えることも、減らすことも、人間の意志が加わったものですから、神様に聞き従うこととはなりません。律法学者たちがモーセの十戒と戒めに様々な規定を付け加えて人を縛り付けたように、私たちもまたキリストの十字架によって罪から解放された自由と喜びを人から奪うことのないよう、パリサイ人のように人の信仰の揚げ足を取るような真似をしないよう、十分に気を付けなければなりません。
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