申命記 23:1-2
「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない。 私生児は主の会衆に加わってはならない。その子孫は十代までも主の会衆に加わってはならない。」
天地創造の折、神様は私たち人間に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と、子孫繁栄を命じられました。その観点から、去勢した者、私生児など、主が人類を祝福するために賜った性を軽視する者は、主の会衆すなわち神様の祝福に与ることはできないというものです。私たちは神様が与えられた性を、自分の楽しみや欲望を満たすために身勝手に用いてはなりません。
http://bible.com/81/deu.23.1-2.ja1955
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申命記 23:3-4
「アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。 これはあなたがたがエジプトから出てきた時に、彼らがパンと水を携えてあなたがたを道に迎えず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたをのろわせようとしたからである。」
約束の地を目指して荒野を旅するイスラエル人の前に、アンモン人とモアブ人は自分の領地内の道を通らせず、かえって呪術師バラムを雇ってイスラエルを呪い滅ぼそうとさえしました。それゆえ神様はアンモン人とモアブ人を呪い、永遠に主の祝福には与らせないと明言されました。
神の民に憐れみの心を抱き支援する者は祝福され、徹底的に敵対する者は末代までも呪われることは、時代を超えてこの世を貫く神様の法則です。私たちもまたイスラエルの祝福を祈り、支援する者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.23.3-4.ja1955
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申命記 23:5-6
「しかし、あなたの神、主はバラムの言うことを聞こうともせず、あなたの神、主はあなたのために、そののろいを変えて、祝福とされた。あなたの神、主があなたを愛されたからである。 あなたは一生いつまでも彼らのために平安をも、幸福をも求めてはならない。」
モアブの王バラクが呪術師バラムを雇いイスラエルを呪わせようとしましたが、神様はバラムにイスラエルを祝福する言葉を語らせました。神様は私たちを愛してくださっているが故に、敵対する者の呪いを祝福に変えてくださるお方です。
罪の世に生きる限り、私たちは悪しき者との戦いを避けることはできません。 しかし敵のいかなる攻撃をも祝福に変えてくださる神様に信頼し、罪に屈することなく、勝利を確信して勇敢に立ち向かう私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.23.5-6.ja1955
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申命記 23:7-8
「あなたはエドムびとを憎んではならない。彼はあなたの兄弟だからである。またエジプトびとを憎んではならない。あなたはかつてその国の寄留者であったからである。 そして彼らが産んだ子どもは三代目には、主の会衆に加わることができる。」
エドム人とはヤコブの兄エサウの子孫、エジプト人はヨセフの故にヤコブ一家を飢饉から救い養った人々であることを、神様は決して忘れられませんでした。神の民イスラエルに好意的に関わった人々の善意を、神様は決して忘れることはなさいません。私たちもまた、多くの人々の好意の上に今の生活が支えられていることを決して忘れず、神様の祝福を携えて応答する者でありますように。
http://bible.com/81/deu.23.7-8.ja1955
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申命記 23:9-14
「敵を攻めるために出て陣営におる時は、すべての汚れた物を避けなければならない。
…
あなたの神、主があなたを救い、敵をあなたにわたそうと、陣営の中を歩まれるからである。ゆえに陣営は聖なる所として保たなければならない。主があなたのうちにきたない物のあるのを見て、離れ去られることのないためである。」
信仰の戦いにおいて、私たちが避けなければならないことは、すべての罪汚れを主の陣営に置いてはならないことです。なぜなら神様が共に戦われるとき、私たちの中に罪や汚れがあるならば、罪を忌み嫌われる神様は私たちから離れ去ってしまわれるからです。神の軍勢の一員である私たちは、いつもきよく生きることが求められます。罪を離れきよい生活を送ることが、クリスチャンとして勝利の人生の最大の秘訣です。
http://bible.com/81/deu.23.9-14.ja1955
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申命記 23:15-16
「主人を避けて、あなたのところに逃げてきた奴隷を、その主人にわたしてはならない。 その者をあなたがたのうちに、あなたと共におらせ、町の一つのうち、彼が好んで選ぶ場所に住ませなければならない。彼を虐待してはならない。」
神様は虐待され逃げてきた奴隷にさえも憐れみの心を掛け、そのいのちを守るようにとイスラエルに命じられました。しかし今の日本では、肉親や友人の間でも虐待やいじめが横行し、暴力と悲しみを増し、尊い命さえも奪われる、憂慮すべき事態に陥っています。このような悪循環を断ち切ることができるよう、神様の教えも聖書の精神も知らない日本の救いのために祈り、福音の使者としての使命を果たす私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.23.15-16.ja1955
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申命記 23:24-25
「あなたが隣人のぶどう畑にはいる時、そのぶどうを心にまかせて飽きるほど食べてもよい。しかし、あなたの器の中に取り入れてはならない。 あなたが隣人の麦畑にはいる時、手でその穂を摘んで食べてもよい。しかし、あなたの隣人の麦畑にかまを入れてはならない。」
乾燥地帯である中近東では、いかに人が努力しようとも、適切な日照と降雨がなければ農産物の収穫は望めません。すべての大地の恵みは神様の賜る祝福の結果であると、体験的に身についていましたから、人々が喉の渇きを癒すために果実を採ることや、飢えを満たすために畑に入って穂を摘むことは、神様の祝福を皆で共有する憐れみの心の表れでした。この精神は、イエス様の弟子たちが畑で穂を摘んで食べた福音書の記事にも表されています。
神様の恵みも憐れみも忘れた現代社会では、すべては自分の働きの成果として、最後の一滴までも利益を搾り取る、なんとケチでさもしい心の表れでしょうか。神様の恵みを知る私たちは、そのような世の風潮に同化することなく、憐れみ深く寛大な心ですべての人に分け与える、心の豊かな者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.23.24-25.ja1955
「すべて去勢した男子は主の会衆に加わってはならない。 私生児は主の会衆に加わってはならない。その子孫は十代までも主の会衆に加わってはならない。」
天地創造の折、神様は私たち人間に「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と、子孫繁栄を命じられました。その観点から、去勢した者、私生児など、主が人類を祝福するために賜った性を軽視する者は、主の会衆すなわち神様の祝福に与ることはできないというものです。私たちは神様が与えられた性を、自分の楽しみや欲望を満たすために身勝手に用いてはなりません。
http://bible.com/81/deu.23.1-2.ja1955
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申命記 23:3-4
「アンモンびととモアブびとは主の会衆に加わってはならない。彼らの子孫は十代までも、いつまでも主の会衆に加わってはならない。 これはあなたがたがエジプトから出てきた時に、彼らがパンと水を携えてあなたがたを道に迎えず、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇って、あなたをのろわせようとしたからである。」
約束の地を目指して荒野を旅するイスラエル人の前に、アンモン人とモアブ人は自分の領地内の道を通らせず、かえって呪術師バラムを雇ってイスラエルを呪い滅ぼそうとさえしました。それゆえ神様はアンモン人とモアブ人を呪い、永遠に主の祝福には与らせないと明言されました。
神の民に憐れみの心を抱き支援する者は祝福され、徹底的に敵対する者は末代までも呪われることは、時代を超えてこの世を貫く神様の法則です。私たちもまたイスラエルの祝福を祈り、支援する者でありたいと願います。
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申命記 23:5-6
「しかし、あなたの神、主はバラムの言うことを聞こうともせず、あなたの神、主はあなたのために、そののろいを変えて、祝福とされた。あなたの神、主があなたを愛されたからである。 あなたは一生いつまでも彼らのために平安をも、幸福をも求めてはならない。」
モアブの王バラクが呪術師バラムを雇いイスラエルを呪わせようとしましたが、神様はバラムにイスラエルを祝福する言葉を語らせました。神様は私たちを愛してくださっているが故に、敵対する者の呪いを祝福に変えてくださるお方です。
罪の世に生きる限り、私たちは悪しき者との戦いを避けることはできません。 しかし敵のいかなる攻撃をも祝福に変えてくださる神様に信頼し、罪に屈することなく、勝利を確信して勇敢に立ち向かう私たちでありますように。
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申命記 23:7-8
「あなたはエドムびとを憎んではならない。彼はあなたの兄弟だからである。またエジプトびとを憎んではならない。あなたはかつてその国の寄留者であったからである。 そして彼らが産んだ子どもは三代目には、主の会衆に加わることができる。」
エドム人とはヤコブの兄エサウの子孫、エジプト人はヨセフの故にヤコブ一家を飢饉から救い養った人々であることを、神様は決して忘れられませんでした。神の民イスラエルに好意的に関わった人々の善意を、神様は決して忘れることはなさいません。私たちもまた、多くの人々の好意の上に今の生活が支えられていることを決して忘れず、神様の祝福を携えて応答する者でありますように。
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申命記 23:9-14
「敵を攻めるために出て陣営におる時は、すべての汚れた物を避けなければならない。
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あなたの神、主があなたを救い、敵をあなたにわたそうと、陣営の中を歩まれるからである。ゆえに陣営は聖なる所として保たなければならない。主があなたのうちにきたない物のあるのを見て、離れ去られることのないためである。」
信仰の戦いにおいて、私たちが避けなければならないことは、すべての罪汚れを主の陣営に置いてはならないことです。なぜなら神様が共に戦われるとき、私たちの中に罪や汚れがあるならば、罪を忌み嫌われる神様は私たちから離れ去ってしまわれるからです。神の軍勢の一員である私たちは、いつもきよく生きることが求められます。罪を離れきよい生活を送ることが、クリスチャンとして勝利の人生の最大の秘訣です。
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申命記 23:15-16
「主人を避けて、あなたのところに逃げてきた奴隷を、その主人にわたしてはならない。 その者をあなたがたのうちに、あなたと共におらせ、町の一つのうち、彼が好んで選ぶ場所に住ませなければならない。彼を虐待してはならない。」
神様は虐待され逃げてきた奴隷にさえも憐れみの心を掛け、そのいのちを守るようにとイスラエルに命じられました。しかし今の日本では、肉親や友人の間でも虐待やいじめが横行し、暴力と悲しみを増し、尊い命さえも奪われる、憂慮すべき事態に陥っています。このような悪循環を断ち切ることができるよう、神様の教えも聖書の精神も知らない日本の救いのために祈り、福音の使者としての使命を果たす私たちでありますように。
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申命記 23:24-25
「あなたが隣人のぶどう畑にはいる時、そのぶどうを心にまかせて飽きるほど食べてもよい。しかし、あなたの器の中に取り入れてはならない。 あなたが隣人の麦畑にはいる時、手でその穂を摘んで食べてもよい。しかし、あなたの隣人の麦畑にかまを入れてはならない。」
乾燥地帯である中近東では、いかに人が努力しようとも、適切な日照と降雨がなければ農産物の収穫は望めません。すべての大地の恵みは神様の賜る祝福の結果であると、体験的に身についていましたから、人々が喉の渇きを癒すために果実を採ることや、飢えを満たすために畑に入って穂を摘むことは、神様の祝福を皆で共有する憐れみの心の表れでした。この精神は、イエス様の弟子たちが畑で穂を摘んで食べた福音書の記事にも表されています。
神様の恵みも憐れみも忘れた現代社会では、すべては自分の働きの成果として、最後の一滴までも利益を搾り取る、なんとケチでさもしい心の表れでしょうか。神様の恵みを知る私たちは、そのような世の風潮に同化することなく、憐れみ深く寛大な心ですべての人に分け与える、心の豊かな者でありたいと願います。
http://bible.com/81/deu.23.24-25.ja1955