申命記 20:1
「あなたが敵と戦うために出る時、馬と戦車と、あなたよりも大ぜいの軍隊を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導きのぼられたあなたの神、主が共におられるからである。」
イスラエルの民が約束の地に入るには、敵となるカナンの先住民たちとの戦いが待ち受けていました。エジプトで長く奴隷として働かされ、流浪の民として荒野を旅し、特別な軍事訓練を受けたことのないイスラエルの民が、鉄壁の要塞と百戦錬磨の軍隊を有するカナンの先住民と戦うことは圧倒的に不利な状況でした。しかし神様は、敵の戦車や軍隊を見ても恐れるに足りない、なぜなら万軍の主が共にいるからだとイスラエルを勇気づけました。
この世に生きる私たちも、敵との戦いを避けて通るわけにはいきません。しかし神様は私たちにも、全知全能の主が共にいるからいかなる敵も恐れるなと励ましてくださいます。目に見えるところによらず、目には見えなくても必ず共にいて戦ってくださる神様に全幅の信頼を置いて、勇敢にこの世の戦いに臨む私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.1.ja1955
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申命記 20:2-4
「あなたがたが戦いに臨むとき、祭司は進み出て民に告げて、 彼らに言わなければならない、『イスラエルよ聞け。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。気おくれしてはならない。恐れてはならない。あわててはならない。彼らに驚いてはならない。 あなたがたの神、主が共に行かれ、あなたがたのために敵と戦って、あなたがたを救われるからである』。」
いざ敵と戦うとき、戦士を励まし指揮するのは普通は王または軍隊の大将です。しかしイスラエルでは祭司がその役目を担いました。なぜならイスラエルがこれから戦おうとしているのは、約束の地を支配している闇の勢力との戦いであり、神様が自ら戦ってイスラエルを救われるからです。
私たちもまた、この世の戦いにおいて、まず神様に祈って心に平安を得、目に見える敵を恐れることなく、また自分の力に頼ることなく、すべてを神様に委ねて戦いに臨む私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.2-4.ja1955
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申命記 20:8-9
「つかさたちは、また民に告げて言わなければならない。『恐れて気おくれする者があるならば、その人を家に帰らせなければならない。そうしなければ、兄弟たちの心が彼の心のようにくじけるであろう』。 つかさたちがこのように民に告げ終ったならば、軍勢のかしらたちを立てて民を率いさせなければならない。」
信仰の戦いにおける最大の敵は、目に見える相手ではなく、自分たちの中にある恐れの心です。どんなに弱い相手でも、心が恐れに支配されるならば勝つことはできません。
また恐れは、神様に全幅の信頼を寄せていない証拠です。不信仰は私たちを敗北へと追いやります。私たちの中にほんの少しでも恐れる心、万軍の主に信頼できない不信仰があるならば、神様は共に戦ってくださりません。
この世の戦いにおいて、神様は私たちに完全な信仰を求められます。自分の中から恐れる心、主に信頼できない不信仰を取り除き、すべてを主に委ねてこの世を戦い抜く私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.8-9.ja1955
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申命記 20:10-13
「一つの町へ進んで行って、それを攻めようとする時は、まず穏やかに降服することを勧めなければならない。 もしその町が穏やかに降服しようと答えて、門を開くならば、そこにいるすべての民に、みつぎを納めさせ、あなたに仕えさせなければならない。 もし穏やかに降服せず、戦おうとするならば、あなたはそれを攻めなければならない。 そしてあなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時、つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない。」
平和を愛される主は、無用な戦いといのちの奪い合いを望んでおられません。ですから敵に対してまず和睦を図り、主なる神様に従うように勧めることを神様はイスラエルに命じられました。しかし相手が心を頑なにし、神様に従うことを拒むならば、戦って攻め落とすようにとも神様は命じられました。
私たちは、できる限りこの世の人々と平和に過ごすことが求められてきます。しかし神様に従うことを拒み、敵対して反抗する者とは戦わなければなりません。博愛の精神を兼ね備えつつも、信仰の自由のためには徹底的に戦う私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.10-13.ja1955
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申命記 20:16-18
「ただし、あなたの神、主が嗣業として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。 すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。 これは彼らがその神々を拝んでおこなったすべての憎むべき事を、あなたがたに教えて、それを行わせ、あなたがたの神、主に罪を犯させることのないためである。」
約束の地であるカナンの地の先住民に対しては、神様は容赦なく戦い、滅ぼし尽くすべきことを命じられました。なぜならカナンの地の先住民たちは、神様の忌み嫌われる罪と偶像礼拝を行い、祝福の地を呪いで満たしてしまった張本人たちであったからです。もし彼らに情けを掛けて滅ぼし尽くさないならば、後の日にイスラエルに罪を犯させる誘惑の火種となることを、神様はよくご存じでした。
義に反する憎むべきことを公然と行う者を、神様は決して赦すことはなさいません。私たちもまた、神様から心が離れ、この世の誘惑に陥り、罪を犯すようになるならば、カナンの先住民たちのように主に滅ぼされる対象となってしまうことを、決して忘れてはなりません。自らを滅びに至らしめる罪の根を、徹底的に、完全に取り除くことを怠らない私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.16-18.ja1955
「あなたが敵と戦うために出る時、馬と戦車と、あなたよりも大ぜいの軍隊を見ても、彼らを恐れてはならない。あなたをエジプトの国から導きのぼられたあなたの神、主が共におられるからである。」
イスラエルの民が約束の地に入るには、敵となるカナンの先住民たちとの戦いが待ち受けていました。エジプトで長く奴隷として働かされ、流浪の民として荒野を旅し、特別な軍事訓練を受けたことのないイスラエルの民が、鉄壁の要塞と百戦錬磨の軍隊を有するカナンの先住民と戦うことは圧倒的に不利な状況でした。しかし神様は、敵の戦車や軍隊を見ても恐れるに足りない、なぜなら万軍の主が共にいるからだとイスラエルを勇気づけました。
この世に生きる私たちも、敵との戦いを避けて通るわけにはいきません。しかし神様は私たちにも、全知全能の主が共にいるからいかなる敵も恐れるなと励ましてくださいます。目に見えるところによらず、目には見えなくても必ず共にいて戦ってくださる神様に全幅の信頼を置いて、勇敢にこの世の戦いに臨む私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.1.ja1955
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申命記 20:2-4
「あなたがたが戦いに臨むとき、祭司は進み出て民に告げて、 彼らに言わなければならない、『イスラエルよ聞け。あなたがたは、きょう、敵と戦おうとしている。気おくれしてはならない。恐れてはならない。あわててはならない。彼らに驚いてはならない。 あなたがたの神、主が共に行かれ、あなたがたのために敵と戦って、あなたがたを救われるからである』。」
いざ敵と戦うとき、戦士を励まし指揮するのは普通は王または軍隊の大将です。しかしイスラエルでは祭司がその役目を担いました。なぜならイスラエルがこれから戦おうとしているのは、約束の地を支配している闇の勢力との戦いであり、神様が自ら戦ってイスラエルを救われるからです。
私たちもまた、この世の戦いにおいて、まず神様に祈って心に平安を得、目に見える敵を恐れることなく、また自分の力に頼ることなく、すべてを神様に委ねて戦いに臨む私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.2-4.ja1955
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申命記 20:8-9
「つかさたちは、また民に告げて言わなければならない。『恐れて気おくれする者があるならば、その人を家に帰らせなければならない。そうしなければ、兄弟たちの心が彼の心のようにくじけるであろう』。 つかさたちがこのように民に告げ終ったならば、軍勢のかしらたちを立てて民を率いさせなければならない。」
信仰の戦いにおける最大の敵は、目に見える相手ではなく、自分たちの中にある恐れの心です。どんなに弱い相手でも、心が恐れに支配されるならば勝つことはできません。
また恐れは、神様に全幅の信頼を寄せていない証拠です。不信仰は私たちを敗北へと追いやります。私たちの中にほんの少しでも恐れる心、万軍の主に信頼できない不信仰があるならば、神様は共に戦ってくださりません。
この世の戦いにおいて、神様は私たちに完全な信仰を求められます。自分の中から恐れる心、主に信頼できない不信仰を取り除き、すべてを主に委ねてこの世を戦い抜く私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.8-9.ja1955
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申命記 20:10-13
「一つの町へ進んで行って、それを攻めようとする時は、まず穏やかに降服することを勧めなければならない。 もしその町が穏やかに降服しようと答えて、門を開くならば、そこにいるすべての民に、みつぎを納めさせ、あなたに仕えさせなければならない。 もし穏やかに降服せず、戦おうとするならば、あなたはそれを攻めなければならない。 そしてあなたの神、主がそれをあなたの手にわたされる時、つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない。」
平和を愛される主は、無用な戦いといのちの奪い合いを望んでおられません。ですから敵に対してまず和睦を図り、主なる神様に従うように勧めることを神様はイスラエルに命じられました。しかし相手が心を頑なにし、神様に従うことを拒むならば、戦って攻め落とすようにとも神様は命じられました。
私たちは、できる限りこの世の人々と平和に過ごすことが求められてきます。しかし神様に従うことを拒み、敵対して反抗する者とは戦わなければなりません。博愛の精神を兼ね備えつつも、信仰の自由のためには徹底的に戦う私たちでありますように。
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申命記 20:16-18
「ただし、あなたの神、主が嗣業として与えられるこれらの民の町々では、息のある者をひとりも生かしておいてはならない。 すなわちヘテびと、アモリびと、カナンびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとはみな滅ぼして、あなたの神、主が命じられたとおりにしなければならない。 これは彼らがその神々を拝んでおこなったすべての憎むべき事を、あなたがたに教えて、それを行わせ、あなたがたの神、主に罪を犯させることのないためである。」
約束の地であるカナンの地の先住民に対しては、神様は容赦なく戦い、滅ぼし尽くすべきことを命じられました。なぜならカナンの地の先住民たちは、神様の忌み嫌われる罪と偶像礼拝を行い、祝福の地を呪いで満たしてしまった張本人たちであったからです。もし彼らに情けを掛けて滅ぼし尽くさないならば、後の日にイスラエルに罪を犯させる誘惑の火種となることを、神様はよくご存じでした。
義に反する憎むべきことを公然と行う者を、神様は決して赦すことはなさいません。私たちもまた、神様から心が離れ、この世の誘惑に陥り、罪を犯すようになるならば、カナンの先住民たちのように主に滅ぼされる対象となってしまうことを、決して忘れてはなりません。自らを滅びに至らしめる罪の根を、徹底的に、完全に取り除くことを怠らない私たちでありますように。
http://bible.com/81/deu.20.16-18.ja1955