伊藤ファミリーBLOG

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個体差? 弾き込み不足?

2016-08-04 20:48:05 | ギター・音楽関係
久々に楽器関連の投稿です。

今日の会社帰りに、たまたま楽器屋さんに立ち寄ってみたら、私のギターと同年式のHD-28VRが店頭に並んでいました。

しかもロット番号もほぼ同じ…これは中古楽器には滅多に出くわすことのないチャンスと、試奏させていただきました。

さっそくオープンEコードをジャラーン…

あれ、なんか思ったよりも音が前に出てこない。

しばらくコードストロークとアルペジオを交えて試し弾きしてみましたが、各弦の出音のバランスは良いものの、音が硬いし、低音の響きも、ボディの振動も、私のギターとは違う…

Eコード一発で思わず衝動買いしてしまった豊かな低音、腹に伝わるボディ鳴りは、このギターには感じられませんでした。

個体差なのか、あまり弾き込まれていないのか…。でも、今年でもう20年物なので、そこそこ材も枯れて音が馴染んできても良い頃なのに。

私のHD-28Vはあちこちキズだらけのオンボロなのに対し、今日見つけたギターは見た目は年式相応でそれなりに綺麗でしたが、やはり楽器は音が命。改めて良い買い物をしたと、妙なところで安心しました。
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【COGHCC聖書通読】 2016/08/04

2016-08-04 08:05:00 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 3:2-3
「時に主はわたしに言われた、『彼を恐れてはならない。わたしは彼と、そのすべての民と、その地をおまえの手に渡している。おまえはヘシボンに住んでいたアモリびとの王シホンにしたように、彼にするであろう』。 こうしてわれわれの神、主はバシャンの王オグと、そのすべての民を、われわれの手に渡されたので、われわれはこれを撃ち殺して、ひとりをも残さなかった。」

約束の地に向かって進むイスラエルの前に、バシャンの王オグが軍勢をもって立ちはだかりました。しかし主はすでにバシャンの地をイスラエルの手に渡したといわれ、戦いに勝利させてくださいました。

私たちの信仰生活の歩みも、毎日が平安ばかりではなく、時に戦いがあります。しかし私たちが御言葉に忠実に歩むならば、神様は私たちの手にすでに勝利を渡してくださっています。この約束を堅く信じて、神様の御心に適う勝利の人生を歩み続ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.3.2-3.ja1955

*****

申命記 3:4-5
「その時、われわれは彼の町々を、ことごとく取った。われわれが取らなかった町は一つもなかった。取った町は六十。アルゴブの全地方であって、バシャンにおけるオグの国である。 これらは皆、高い石がきがあり、門があり、貫の木のある堅固な町であった。このほかに石がきのない町は、非常に多かった。」

モーセとイスラエルが攻め取ったバシャンの町々は、高い城壁に囲まれた要塞の町だけでも60もありました。自分たちを守るもののない丸腰のイスラエルが、これら難攻不落な町に勝利したことは、人間的な常識では奇跡です。しかしイスラエルには神様が共にいてくださり、目には見えない堅固な城壁となって守られたからこそ、戦いに勝利することができたのです。

私たちの人生も、常識的には不可能と思われる高い障壁が立ちふさがることがあります。しかし全知全能の主が共にいてくださるならば、私たちは何者をも恐れることはありません。主が勝利もたらしてくださると確信し、主と共に戦う私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.3.4-5.ja1955

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申命記 3:8, 10
「その時われわれはヨルダンの向こう側にいるアモリびとのふたりの王の手から、アルノン川からヘルモン山までの地を取った。

すなわち高原のすべての町、ギレアデの全地、バシャンの全地、サルカおよびエデレイまで、バシャンにあるオグの国の町々をことごとく取った。

アモリ人の王シホンとバシャンの王オグとに戦って勝利したイスラエルは、ヨルダン川の東側に、死海の中央に流れるアルノン川から、シリアとの国境にあるヘルモン山に至るまで、広大な土地を手に入れました。それでもこれらの土地は、神様の約束の地ではありませんでした。神様の祝福は、すでに勝ち取った地よりも大きく、豊かな土地です。私たちもまた、今までの小さな成功例にもはるかに勝る真の祝福を目指して歩み続ける者でありたいと願います。

http://bible.com/81/deu.3.8,10.ja1955

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申命記 3:13-14
「わたしはまたギレアデの残りの地と、オグの国であったバシャンの全地とは、マナセの半部族に与えた。すなわちアルゴブの全地方である。(そのバシャンの全地はレパイムの国と唱えられる。 マナセの子ヤイルは、アルゴブの全地方を取って、ゲシュルびとと、マアカびとの境にまで達し、自分の名にしたがって、バシャンをハボテ・ヤイルと名づけた。この名は今日にまでおよんでいる。)」

ヨルダン川中流の東側、死海に至るまでの土地は、マナセの半部族の嗣業の地となりました。マナセの子ヤイルは、オグから奪い取った町バシャンに自分の名を名付けました。これは神様から賜った祝福を自分の功績とする行為であり、神様の御心に適うものではありません。私たちは、すべての祝福は神様からの授かり物だと感謝する心を、決して忘れてはなりません。

http://bible.com/81/deu.3.13-14.ja1955

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申命記 3:18, 20
「その時わたしはあなたがたに命じて言った、『あなたがたの神、主はこの地をあなたがたに与えて、これを獲させられるから、あなたがた勇士はみな武装して、兄弟であるイスラエルの人々に先立って、渡って行かなければならない。

主がすでにあなたがたに与えられたように、あなたがたの兄弟にも安息を与えられて、彼らもまたヨルダンの向こう側で、あなたがたの神、主が与えられる地を獲るようになったならば、あなたがたはおのおのわたしがあなたがたに与えた領地に帰ることができる』。」

ルベン族とガド族、マナセの半部族は、すでに攻め取ったヨルダンの東側の地を自分たちの嗣業の地として得ました。しかしイスラエルの信仰の戦いはまだ残っています。そこでモーセは、神様の約束された地をすべて勝ち取るまでは共に戦うべきことを彼らに誓わせました。

私たちもまた、信仰の戦いを途中で放棄してはなりません。信仰を一つにする仲間たちが信仰の戦いの中にあるならば、私たちもまた彼らを助け、共に戦うことが大切です。自分たちだけ祝福や平安に安住することなく、同じ神様を信じる同士として最後まで信仰の戦いを共に戦い抜く私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.3.18,20.ja1955

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申命記 3:21-22
「その時わたしはヨシュアに命じて言った、『あなたの目はあなたがたの神、主がこのふたりの王に行われたすべてのことを見た。主はまたあなたが渡って行くもろもろの国にも、同じように行われるであろう。 彼らを恐れてはならない。あなたがたの神、主があなたがたのために戦われるからである』。」

モーセは後継者ヨシュアに、すでに主が得させてくださった勝利と同じように、これから渡って行くカナンの地でも神様は必ずイスラエルに勝利を賜ると励まし奮起させました。

神様が私たちと共にいるならば、私たちには勝利が約束されています。私たちが戦うのではなく、神様が自ら戦われるからです。この勝利の約束を信じて、いかに強大な信仰の敵をも恐れることなく、勇敢に戦って勝利を手にする私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.3.21-22.ja1955

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申命記 3:23-25
「その時わたしは主に願って言った、 『主なる神よ、あなたの大いなる事と、あなたの強い手とを、たった今、しもべに示し始められました。天にも地にも、あなたのようなわざをなし、あなたのような力あるわざのできる神が、ほかにありましょうか。 どうぞ、わたしにヨルダンを渡って行かせ、その向こう側の良い地、あの良い山地、およびレバノンを見ることのできるようにしてください』。」

モーセは神様に今一度、約束の地に渡って自分にも見させてくださいと祈り願いました。神様の祝福を見る者は、その素晴らしさに心惹かれ、必ず自分のものにしたいと乞い願うようになります。もし神様の祝福を手にしたいと思わないならば、それは本当の祝福が見えていない証拠です。信仰の目を見開いて、神様が賜る祝福の神髄を見させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.3.23-25.ja1955

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申命記 3:26-28
「しかし主はあなたがたのゆえにわたしを怒り、わたしに聞かれなかった。そして主はわたしに言われた、『おまえはもはや足りている。この事については、重ねてわたしに言ってはならない。 おまえはピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。おまえはこのヨルダンを渡ることができないからである。 しかし、おまえはヨシュアに命じ、彼を励まし、彼を強くせよ。彼はこの民に先立って渡って行き、彼らにおまえの見る地を継がせるであろう』。」

モーセの最後の願いに対し、神様はメリパの水でモーセが犯した罪の故に、約束の地には入ることができないと聞き入れてくださいませんでした。しかし神様はピスガの頂から、約束の地をはるかに臨み見る希望を残されました。このときのモーセの気持ちを思うと、さぞ無念であっただろうと、他人事のようには思えません。しかし神様は、たった一度の不従順と高慢の罪を見過ごすことはなさいません。このモーセの失敗を通して、神様の御言葉に徹底的に従うことを学ばせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.3.26-28.ja1955
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【今日の聖句】 2016/08/04

2016-08-04 06:40:11 | 今日の聖句
ヨハネの第一の手紙 4:11-12
「愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。 神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。」

愛は愛する相手が存在してはじめて成立します。神様は、その大いなる愛を注ぐ対象として人間を造られました。私たちが互いに愛し合うとき、神様の愛が完全に表されます。神を愛し、人を愛し、目には見えない神様を世に証する私たちでありますように。

http://bible.com/81/1jn.4.11-12.ja1955
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