京都・静岡・宝塚・東京・横浜、
そして尾張名古屋からの季節だより
西本願寺そして龍谷大学の西側、
大宮通が通っている、
大宮正面、
西本願寺の蔵屋敷が続く、
正面通りを少し西に入ると、
大門、
花街島原(正式地名新屋敷町)への正門、
新屋敷仲の町通り東入る、
芸者置屋の輪違屋がひっそりと佇む、
道を戻りさらに進むと、
揚屋角屋の板塀が続く、
戸は閉じられていた、
潜り戸を何れの方が潜ったのだろうか、
町名に名残りが、
太夫町、
そして東本願寺の方に、
西本願寺の北東の隅、
忘れ去られたように残る、
太鼓楼、
新選組壬生屯所が手狭取り、
ここ西本願寺の太鼓楼に拠点を移す、
玄関式台の扉、
閉ざされた戸に新選組の出入りを思う、
当時のままとか、
重要文化財、
ちなみに西本願寺には、
国宝建造物11、
重要文化財建造物11、
御影堂に取って返す、
回廊から東を見ると、
伝道院の丸屋根が見える、
目を下に向けると、
内塀の向こうに辛うじて国宝飛雲閣を見る、
以前と違って閉ざされていた、
余り人の行かない大玄関門に回ってみる、
西本願寺の南面、
大玄関、
大玄関に至る大玄関門、
内側より見ると、
外に回って表から見ると、
堂々たる門、
横に唐門、
内側から見ると、
同じように外から見ると、
その表通りとは、
北小路通という、
小学校の頃にはここまでも遊びに来た所、
この小路の大玄関門の前に、
龍谷大学の正門がある、
鉄扉はイギリスのアームストロング社製、
幕末期の最新式火砲アームストロング砲、
さらには越後長岡藩、
家老河井継之助による、
ガトリング銃もまたアームストロング社製、
正門を入ると、明治が香る、
旧守衛所、
明治から幕末に、
その3、