ふろしき王子のブログ◎
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無事に、このたびの24(土)の自宅風呂敷講座を終えることができました。
2時間は短い!

今日をさきがけに、来年は自宅そして旅ながら風呂敷講座を
開催して参ります。
すてきな街や野道を歩きながら風呂敷を実地で覚え、
カフェでまた復習、するような。

写真はみなさんで結んだニワトリ。
分かりづらいかもしれませんが、今日結んだ中で
一番楽しかった、との声もありました。

風呂敷って、ふろしきの世界の中だけの話ではありません。

生き方の核心の部分に触れます。それは、現在のたいていの
経済活動はプロジェクト=計画でありまして、
考えてから、設計してから、実際に形を作るわけです。

しかし、風呂敷は、既に形はできているので、白紙からのスタートじゃありません。
その上で、いつでも元の形へ戻せるため、作りながら
考えることができます。

ですから、大元の思考から全く違います。

だけど、本来は世の中も、白紙からのスタートではなく、
歴史や環境が存在するわけですが。

街の開発を見ても、なるべくまっ白にしようとして、
古い建物たちは解体して更地にした上で、
一義的なテーマ(世界観)やコンセプト(意図)に沿って
頭ん中でこね上げたデザインを実現してるのが、トレンド(流行的方法論)です。

海さえも埋め立てて、四角四面のコンクリートの、
いわゆるゼロの状態にしてから、好きなようにやってきましたね。

だけど、風呂敷は、もう初めから出来てて、変えません。
切ったら風呂敷じゃなくなる。
折り紙も、切ったら折り紙とはいわなくなる。

元々あるものを、そのまま生かして、好きな意味を持たせる。

かたちはそのままだけど、意味を与えることで、変身させる。

こんなすてきなものだったって、知らなかった。もっと早く
知りたかった。
失われる前に…
というのは、風呂敷に限った話ではなくて、あらゆることにいえるでしょう。

計画してから形にするというのは、当たり前の筋道に見えますが、
その計画って、脳内の了見を出ないから、過去の再構成に過ぎません。
二番煎じになります。

逆に、新しい発見発明のほとんどは、実際に形づくる中で、
そこから導かれひらめいたり、非効率不合理なれど
ついそうしたくなっちゃって、実際にぶつかった困難の
脱却による、時元を超えた発想であったりします。

親になってから子ができるのではなく、
子ができたから親に生まれ変わる。

先に物が、形があってこそ、頭が育つので、
はじめに隅々まで完成像と設計計画を造り上げてから
作りはじめるのは、確かに洗練はされるかもしれませんが、
創造的とは言い難い。

下町のおばちゃんが玄関前に、小宇宙ともいえる
鉢植えの森を育てているが、もちろん事細かな計画に
沿ったもののわけがなく。

下町は江戸時代から長屋やし、庭が無いに等しいから、
路地や玄関サイドに鉢の植物を置く。

毎朝水をやって世話しながら、生長や季節の移ろいに
出会うのはよろこびがある。

そのうち、買ったりもらったり種を蒔いたりで、鉢が増える。

大雨で水浸しになれば、下に板やブロックやレンガを置く。

スペースが狭くなり、立体的になる。
もらった鉢が余っていたら、その収納を兼ねて、
逆さに並べた鉢の上に板を載せて、植木台にする。

それでも場所が無くなって、道の向かい側(車道側)の
街路樹や灌木の周囲にも進出する。

たとえばそんな様に、日々いじりながら工夫を続けていくことは
ごく自然な運びであるから、
先にキッチリ決め込んで、それに沿って作るのは
特殊な段取りともいえるのだけど、世の中9割はさういふ
やり様にしてしまっているから、融通がきかず、
何か問題があっても簡単には元に戻せず、取り返しのつかない事態にもなる。

そこにあるものの、素顔の機能を生かして
配置や組み合わせだけ工夫し、用が済んだり時季が過ぎたら
いつでも元に戻せる、そういう思考回路で
私たちは太古から行なってきたから、
大きな環境破壊もせずに何万年も暮らせてこられた。
日々ふろしきを結ぶことが、その感覚を取り戻すことに
つながる。
その方がかえって効率的で、遠回りのようでいちばんの近道という
自分自身の体験があるから、あらためて風呂敷は
佳き教材と思う。

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