ふろしき王子のブログ◎
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 この季節は毎日、庭の百日紅とアオギリの落ち葉が
玄関前に舞い散っている。よほど急ぎでなければ
それを掃くのが朝の日課のひとつ。

集めた落ち葉はゴミに出さず、庭の片隅にどっさり積んである。

きっとこの中や下は、でえぶ暖けえにちげえねえ。
から、虫や小動物が冬眠してるかも。

このごろはあまり、道端を覆いつくすほどの落葉を見ないと
思ったら、最近は葉の落つる前に街路樹を剪定するようだ。
落ち葉対策も目的のうちだから、容赦なくぱっつんと伐られる。

付近の住人にとって掃除は楽だけど、
紅葉に道が色づく季節感を失う。

でも掃除を面倒と思わない人もいるから、所々に
ほうきとちり取りと、やや細かめのパイ助(竹かご)を
備えておけば、近所の人でも通りがかりの人でも、
自主的に掃き清めると思う。

それで、燃えるごみと一緒に回収されてもよいし、
落ち葉を使いたい人はつかう。

何もしない楽と、みんなで助け合う楽があるが、
前者は人のつながりを分断し、社会を弱体化させる。

恩師である芸術人類学者・中島智氏の言葉を引用すると、

障害とは、個体の問題ではなく、個体が生きていく時に立ちはだかる
社会的障害という問題である。
この意味で「障害者/健常者」という区分けはナンセンスとなる。
ただ手を差し延べるという相互扶助で、
社会的障害のほとんどは解消する。
(以上引用)

物理的なバリアフリーも非常に大切だが、
人同士の無関心という社会的障害・損失を減らすには、
共通の課題が適度にあると、つながり合える。

落ち葉を掃くのも、レレレのおじさんが如く、あいさつの
入り口になったりするよね。

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