ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
http://furoshikiouji.asia
メール isamix@gmail.com
 



流してよくないものは、体にもよくない。

人は、自分の生活と環境問題を別に考えやすい。
暮らしやすさは環境に負荷をあたえ、環境によい暮らしは
不便なことになると。

しかし体というもの自体が、生きている環境そのものであり、
体内の機能は大自然の循環の仕組みに等しい。

強力な界面活性効果を持つ合成洗剤は、皿洗いがはやくて便利かも
しれないが、分解されにくく、流れた先の生物の粘膜や
細胞膜の脂質を壊し、本来の生態系を破壊する。

そしてそれは、無関係な川の中だけのできごとではなく、
使う人の体において同じことが起きている。

皮脂をさらい、しみこんで細胞を壊し、体にダメージを与える。

その影響には個人差があるが、アトピーなどでバリアのない人には
痛烈なものとなる。

自覚できる困難の生じない人であっても、
体の奥底では、暗くて冷たくて、かなしい何かが
進行していく。

環境に負荷を与えない選択をする生き方は、どこか遠くの
森の動物を守るといった利他のこころにとどまらず、
自分自身の健やかさに直結しているのだ。

あらゆる自分の行ないは、自分ごとになる。
誰かのための行動も、最も恩恵を得るのは自分なんだ。

それは、自己満足とか、お礼や感謝といった分かりやすい
ものを超えて、もっと細かな、見えない反作用として
深く温かく、ゆっくりとしみ込んで、生涯の骨子になる。

あらゆる対象は自分自身とイコールであり、
親切は偽善じゃなくて、自分を大切にする
当たり前の道理となるし、

誰かを傷つけ、他人の犠牲によって
自分がしあわせになるということは、不可能である。

同じだけのダメージが返ってきて、知らんぷりしておっても
内なるハートは傷ついていく。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




僕はメモ魔ゆえに忘れっぽいので、
物理的な見える化をしておかないと、抜け落ちる。

何かを持っていくことを忘れないようにするには、
通りみちの真ん中に置いて、歩けばぶつかるように
しておけば忘れにくい。

また、様々な小物たちも、全部見えるようにしておけば、
必要性を感じるための確認がしやすいので、
片付けの極意は、きれいに収納するだけでなく、
しまったものが分かるようにすることだ。

これは、お店の商品の陳列にもいえる。
聞かれてから取り出すことができても、
まずは店に置いてあるかは、視覚的に判断されるので、
全商品が分かりやすく目に入るとよい。

人の場合は、服装で、何をしている人だかを判断されやすいが、
逆に、たかをくくられる可能性もある。

頭が坊主で、野球のユニフォームを着ていたら、
野球少年と判断されるだろうが、実はバイオリンの名手であっても
野球以外の関心は持たれにくい。

もし、野球のユニフォームを着ていながら長髪であれば、
逆に天才プレイヤーであるとか、何か他の才能がありそうという
興味を起こさせるかもしれない。

分かりやすいようで、どこかを外すのは
氣になるきっかけとなる。

ハイハイ、またあれでしょ?分かったわかった。とは言い切れない、
あれ?というふしぎ。

さような意味では、スカートの丈の短い女学生は問題です。

セーラー服等の制服は、学業に専念する身分であり、
色めきたる大人の女性ではないという情報が発信されて、
それが身を守ることにもなるはずなのに、

矛盾するように短いスカートでは、かえってギャップによって
目立つ存在となってしまう。

で、日本では既に生徒の制服自体が、むしろ性的な魅力を響かせる
アイコンという逆転現象が常態化してしまっている。

だから、落ち着いた普段着を着ていたほうが、
かえって目立たなくて安定するのかもしれない。

ともあれ、未成年のスカートは長いほうがよい。

髪もありのままに、黒くて長いのがよい。

成長期は、人為的なおしゃれに偏らず、自然素材に
守られながら、心身の基礎を培う季節なのだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする




今朝はよく冷えておるのじゃが、
マナツに種まきしたのらぼう(菜っぱ)は今月入ってから
ぐんぐんと成長してきた。

じっくり、ゆっくりと、寒さに慣らしてくるから、真冬も
乗り越えられる。
これが、秋めいてからの種まきでは
大きくならないままに冬を越すため、菜っぱを収穫しづらくなる。

さて、こんな寒い朝なれど、近所の川原の浅瀬に、
白と黒の鳥がたっくさん集まっている。

チュウサギやカワウであろうが、毎年、時おり見る光景。

土手には、カメラを携えたおじさまたちがぽつぽつ。

この場所だけに何らかの餌が集結してるとも考えにくいので、
この群れは、真冬に向けた鳥たちの作戦会議集会なのかも。
または多勢で囲む漁のかたち?

横目に、今日は横濱さ向かっている。
南武線はほぼ多摩川沿いかな。

環境汚染を解決する装置のメンテナンスに協力している。

実は、横濱と神戸は下水道の汚染が大きい。
それは中華街があり、油をそのまま流す店も少なくないのだ。
さらに、街が古いから、下水道は合流式で、大雨の日は
トイレの排水も油の塊も、近くの川へ直接排出される。

だから、横濱の街を流るる川は、灰緑色をしていて、
これが流れ込む東京湾も大腸菌が見つかるから遊泳できない。

汚染物質は、ケミカル(合成化学物質)と有機(炭素化合物)があり、
前者の洗剤や薬剤は直接生物の細胞を壊すが、
食用油など食品廃棄物は栄養のかたまりで、水中のプランクトンが
異常にふえて酸欠を起こし、魚や小動物の死へつながる。
比較的浅い位置でプランクトンがふえるのが赤潮。
一方、海底のヘドロの微生物が酸素を消費し、その酸欠の水が
潮の流れで上昇し、巻き込まれた生物が犠牲になるのが青潮。

確かに、川や海には自然の浄化機能があるけれど、
今はその許容範囲を超えている。
流す内容が不自然だから、結果もバランスが壊れている。

何でもかんでも、水に流してしまう感覚はいかがなものか。

アメリカなどによくある、台所のディスポーザーは、
生ごみをミキサーのように粉砕し、そのまま排水として流すのだが
これも、栄養のかたまりなので、直接川へ入れば汚染が生じる。

濡れた生ごみを燃やすのは燃料コストがかさみ、
不完全燃焼はダイオキシン等の有害物質を生むから、
生ごみは下水に流したほうが環境によいという見方もある。

だけど、魚の骨や野菜くずやピザの残りをドロドロにして
台所から流すという発想が、解せない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする